后羿(こうげい hou4yi4 ホウイィ)
后羿は羿や大羿、司羿などとも呼ばれており、中国神話の五帝の時代の人物です。五帝の中に帝堯がおり、后羿はこの帝堯に射師として仕えたと言います。また、中国神話中の月の女神である嫦娥の夫でもありました。
羿の生い立ちは決して幸福なものではありませんでした。羿が五歳になると両親は羿を山奥に捨ててしまい、羿は山中で自分の力で成長しました。彼は弓術に秀でており、二十歳になったころには弓の技術は熟練し、やがて帝堯により商丘(今の河南省の商丘市)に封じられ帝嚳の娘である嫦娥を娶りました。
羿は帝堯に仕え、神話史上で比類のない大活躍を見せます。九つの太陽を射落とし民を救い、荒れ狂う怪物達を次々に射殺しました。この業績により人々は羿を大羿と呼ぶようになったと言います。
羿について気を付けたいのは、夏代の窮国の君主であった后羿と混同してしまうことです。窮国の后羿も弓術に優れていたと伝えられているため、たびたび混同されています。
后羿には結末の異なる様々な物語があります。これらの物語が作られた原因は、その妻である嫦娥が月の女神となったためです。日本でも十五夜の月見は有名ですが、本来の月見は嫦娥や一緒にいると言われている白兎を祀るために行われていました。歴史を通して嫦娥と后羿との間に様々な物語が作られ脚色されていきました。
- 后羿射日
当時は十個の太陽が出現してしまい、大地を焦がしていました。水は蒸発し食べる物はなく、人々は飢えと熱さで苦しみまさに地獄でした。さらにこのとき各地で悪獣が暴れ出し、たまりかねた帝堯は后羿へこの状況を何とかしてくれるようにお願いしました。羿はこの願いを聞き入れ、太陽を射落とす決意をしました。一説によると羿は天帝に仕えており、堯の願いを聞き入れた天帝により派遣されたとも言われています。
羿は肩にかけていた紅色の弓を手に取り、白色の矢をつがえると矢を引き絞って太陽めがけて放ちました。矢は太陽に命中し、太陽の中にいた三足鳥が地上に落ちてきました。羿は次から次に矢を放ち、瞬く間に九つの太陽を射落としてしまいました。これにより地上に涼しさが戻り作物は再び成長するようになったと言います。
- 誅殺悪獣
后羿が九つの太陽を射落とした神話は非常に有名ですが、これと並ぶ有名な話に様々な悪獣を誅殺した話があります。手の付けられない封豨や修蛇から悲劇の怪物である窫窳など誰も手の付けられなかった様々な悪獣達を次々と弓で射殺しています。
1. 封豨
封豨と修蛇は封豨修蛇として貪欲や暴力の象徴として現在でも用いられています。封豨は豚の怪物であり、桑林(現在の商丘夏邑県桑固郷)に住んでいました。水に入る時には嵐になりさらに体が光るとも言われる不思議な怪物でした。これを射殺してその肉を帝堯に献上したと言います。
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2. 修蛇
修蛇は洞庭湖に住む象をも丸のみにしてしまう巨大な蛇でした。修蛇は巴蛇とも呼ばれており羿により射殺されましたが、巴蛇が死んだ場所は巴陵と呼ばれています。
修蛇に関しては以下をご覧ください!
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3. 窫窳(あつゆ)
窫窳はもともと人面で蛇の胴体を持つ天神で燭龍の息子であるとも言われています。窫窳は黄帝の時代に同じく人面蛇身の天神である貳負と危により忙殺されてしまいました。黄帝がこれを知り、貳負と危を処罰し彼らの右足に枷をし両手と頭髪を後ろでしばり西方の疏属山の山頂にある大木に縛り付けました。
黄帝は同時に窫窳の遺体を崑崙山へと運び、巫彭、巫抵、巫陽、巫履、巫凡、巫相と言った巫師を呼び寄せ術を施し不死薬を使用して窫窳を救おうとしました。巫術師たちによって窫窳は復活しましたが自分を失っており、狂ったように暴れまわり崑崙山の下の弱水に入って牛のようであるが人の顔、馬の蹄、紅色の長い毛を持った恐ろしい怪物に変わってしまいました。
十個の太陽が現れたときにはその熱で弱水は沸騰し、堪りかねた窫窳は岸に上がり人や家畜を見ると丸呑みしてしまい、窫窳によって食べられた人や家畜の数は数え切れませんでした。羿が窫窳退治にやってきたときには窫窳は死体を食べている最中で、窫窳がいた山は至る所に人骨が散乱していたと言います。
窫窳に関しては以下をご覧ください!
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4. 九嬰
九嬰は北方におり、九つある頭部からそれぞれ水と火を吐きます。回復力も高く、傷ついてもすぐに傷を回復させていました。九嬰は天地が生まれた際にはすでに水と火を吐いていたとも言われている怪物で川の中に住んでいましたが、あまりの熱さに耐えかねて地上へ出て暴れまわっていました。羿はこの怪物の火と水を躱しながら矢を同時に放つことで回復の時間を与えずに倒してしまいました。
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5.鏨歯
鏨歯は南方に住んでおり、鏨(たがね)のような鋭い歯を持っている怪物でした。羿は最初は剣と盾を持って鏨歯に斬りかかりましたが、その鋭い歯で盾を真っ二つにされてしまいました。そこで弓を取り出し、鏨歯の心臓めがけて放つと矢は心臓に命中して鏨歯は絶命しました。
鏨歯:后羿により誅せられた神話時代に暴れまわった鋭い牙を持つ怪物
6.大風
務成子の助けを借りて青丘の沢で大風を殺したと伝えられています。
- 淮南子にある后羿の死
后羿の死は諸説ありますが、淮南子の覧冥訓には后羿の死について以下のように書かれています。
后羿は日を射て悪獣を倒すことでその功績により天帝により褒賞をもらいました。しかし、多くの人々から嫉妬されたため、天帝に羿の悪口を吹き込む者も多くいました。そして天帝は羿と嫦娥を人間界に追放してしまいました。
嫦娥は慣れない人間界の暮らしに苦しみ遂に霊薬を手に入れて月へ飛んで行ってしまいました。嫦娥が去ってしまい后羿は深く悲しみ悲しみの中で死んでしまったと言います。
- 殺されて神になった説
后羿には逢蒙という弟子がいましたが、ある時この弟子に裏切られて殺されてしまいました。その死後には生前の功績を称えられて神に封じられ、万鬼を統率するようになりました。中国では桃の木は神聖で鬼たちが恐れると言われていますが、この理由は鬼たちを統べる后羿が桃の木で殺されてしまったためであるとも言います。
出典:baidu
今回は中国古代神話中の大英雄である羿についてでした。羿は様々な解釈がなされておりますが、自身の英雄的な行為のみではなく妻の嫦娥との関係もあり複雑な物語を作り出しています。
嫦娥に関しては以下をご覧ください!
嫦娥自体もかなり複雑で、家族全員が神話中で重要な地位を占めています。嫦娥は帝嚳(ていこく)と常羲(じょうぎ)との間に生まれた子だとされています。元々の名は姮娥(こうが)ですが、西漢の文帝劉恒の恒と姮が似ていたため使用を避けられて嫦娥になりました。そもそも帝嚳の妻も常羲や羲和、娘の嫦娥はもともとは姮娥と言い名前が似ていますので混乱してしまいます。さらに帝嚳は帝俊と同一人物を指していると言う解釈もありますので、理解が非常に難しいです。
嫦娥の父である帝嚳は名君として名高く、母の常羲は12個の月を生んだという伝説があります。嫦娥の兄は帝執と言い帝嚳の後を継いで帝位に就きましたが暗愚であったため腹違いの兄弟の帝堯に帝位を譲位しています。常羲が月を生んだと言う話は漢代に書かれた山海経の大荒西経にも載っています。
大荒経大荒西経に関しては以下をご覧ください!
帝堯は五帝にも数えられ、後継者の帝舜と共に堯舜時代と言う一時代を築き上げたとされています。ちなみに帝舜はその徳の高さと忠孝から儒教において手本となる人物とされています。
帝嚳に関しては以下をご覧ください!
帝堯に関しては以下をご覧ください!
帝舜に関しては以下をご覧ください!
舜:五帝に数えられる古代中国の名君で意地悪な親にも忠孝を尽くした帝
また、帝嚳には羲和(きわ)と言う別の妻がいましたが、この羲和が10個の太陽を生んでしまったために人々は苦しむことになります。そこで帝堯が嫦娥の夫の后羿に頼んで太陽を射落としてもらいます。これは全て身内で完結する話です。一般人から見ると迷惑な一族ですね(;´∀`)
羲和に関しては以下をご覧ください!
因みに、この時代の太陽は三本足の鳥であり、三足鳥や金烏(きんう)などと呼ばれていました。
后羿の妻の嫦娥は最終的には月に行ってしまいますが、この際にも様々な伝説が作られました。嫦娥とセットで語られる話には呉剛と玉兎があります。呉剛は月に生えている桂の木を伐り続けており、玉兎は不死薬を搗いています。月の兎が餅を搗いていると言われますが、もともとの中国の神話では臼で餅ではなく薬を搗いていたのです。昔の中国では、太陽の事を金烏玉兎(きんうぎょくと)と呼ぶことがありました。これは神話に由来します。日本では月と言えば兎ですが、一方で太陽には特に形容する動物はいませんが、中国では三本足の鳥が当てはまります。
金烏に関しては以下をご覧ください!
金烏:太陽の正体は何と鴉だった!中国神話の中で太陽の中にいるとされている三本足の鴉
呉剛に関しては以下をご覧ください!
呉剛伐桂:様々な神話のモチーフになっている永遠に月の桂を伐り続ける人
月の兎に関しては以下をご覧ください!
玉兔搗薬:中国神話では月にいる兎はもともとは薬を搗いていたというお話。
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