無懐氏:伏羲の後継でのんびりした時代の象徴である帝

無懐氏(むかいし wu2huai2shi4 ウーフアイシィ)

無懐氏は古代中国神話中の帝です。《管子・封禅》には、”昔、無懐氏は泰山を封じた。”とあり、封禅の儀式を行った帝でもあります。尹知章はこの一文に対して”無懐氏は古代の王者で伏羲の前に生きていた。”と注釈を加えています。

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宋の羅泌は《路史・禅通紀三・無懐氏》で、”無懐氏、帝太昊の先。世を慈しみ道を以って生き徳を以て罪を裁いた。その時代の人の食は甘く、生活は楽しく、生きることは容易でその寿命は長かった。”とあります。

無懐氏は無懐氏族を指している場合と帝となった一人の人物を指している場合の二通りあります。

伝説によると帝として即位した無懐氏は紀元前5278年に生まれ紀元前5209年に亡くなったとされ、紀元前5240年に即位しその年は蒼芒元年と呼ばれています。

無懐氏は現在では女性であったと考えられており、風姓で名を蒼芒と言い、無懐氏と号しました。風蒼芒は中国氏族連盟時代の伏羲女娲政権の第七十二代の帝です。蒼芒は帝澤治二十五年(紀元前5278年)に無懐氏の本拠地である懐城で生まれました。無懐氏も燧人氏で風姓の一支族であり、大伏羲氏族の比較的大きな部落でした。その居住地は今の河南省焦作市武陟県と和温県一体であったと考えられています。

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武陟県は古くは懐城と言われており、無懐氏族の活動の中心でした。氏族連盟時代が終わると無懐氏の部落は解体し、多くの族人は懐を姓として懐国を建国しました。西周時代には懐国は周の武王に征服され、西周の諸侯国として臣従しました。春秋初年に、懐国は鄭国の所有となり、戦国時代には魏国に所属したと言います。

蒼芒は初め無懐氏部落の大酋長でした。その突出した業績により伏羲女娲政権の七十一代帝渭茂に執政大臣として抜擢されて、帝都で政権を補佐したと言います。

執政大臣の任期中に職務に励み、公正明大な態度は部落の首領たちの支持を得ました。そして帝渭茂が老年の時に、天神と大伏羲氏族の臣民に対して帝位の継承を推薦しました。

紀元前5241年に七十一代の帝渭茂が逝去し、蒼芒が即位し帝となりました。蒼芒の即位後、象城に都を作り、辛丑年(紀元前5240年)を以て蒼芒元年としました。

蒼芒の執政時期は不祥であり、晩年に彼女の姪である節曲を帝位の継承人に推薦したと言います。蒼芒は紀元前5209年に70歳で逝去したとされています。蒼芒の死後遺体は象城西南の伏羲の帝陵(河南省漯河市舞陽県賈湖遺跡)に埋葬され、帝蒼芒と諡号されました。

出典:baidu

今回は日本ではほとんど知られていない無懐氏についてでした。七千年以上前の話ですが、もちろん記録が残っているわけでもなく完全に推測で干支を使用して生まれた年などを決めているようです。

無懐氏は伏羲の後継にあたり、無懐氏の治めた世はのんびりとしていたと伝わっています。元々伏羲と女娲の兄妹が天地を創造し、その後の系譜上に無懐氏はいたとされます。

無懐氏以降は炎帝神農氏や黄帝、帝顓頊や帝堯、帝舜に引き継がれています。

無懐氏は泰山で封禅を行った帝として史記の斉の桓公と管仲の話にも出てきます。

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