化蛇、巴蛇(修蛇)、委蛇など様々な恐ろしい中国の蛇の妖怪たち その1

中国に伝わる様々な妖怪たちをご紹介するシリーズですが、今回は蛇の妖怪についてです。蛇の形状は玄武や龍などにも取り入れられていますので、これらの神獣たちは蛇にゆかりがあると言えます。しかし、玄武は霊亀、龍は龍とそれぞれ別の種族をなしています。これらの神獣とは別に蛇がそのまま化け物になった蛇直系とも言うべき妖怪にはどんなものがいるのでしょうか?

蛇の妖怪の中で最も有名で強大なのは螣蛇(とうだ)でしょう。螣蛇は奇門遁甲などの卜占では神として扱われておりますし、黄龍と並べられる場合もありますので青龍や白虎などよりも少し上位の神獣です。その他には干ばつの前触れとして現れるという、肥遺も有名ですね。今回は中国に伝わる蛇の妖怪を集めてみました( ´∀`)

螣蛇、肥遺については以下をご覧ください!

曹操の詩にも詠まれた蛇の上位神獣、螣蛇(騰蛇)

食べると病気が治る中国の蛇の妖怪、肥遺(フェイイー)

今回ご紹介する蛇の妖怪は、化蛇、巴蛇(修蛇)、委蛇の三種類です。

  • 化蛇 かだ hua1she2 ホアシォ

化蛇は古代中国の妖怪です。《山海経・中次二教》には、”化蛇は水獣である。人面で豺(さい:アカオオカミ)の胴体と翼を持ち、蛇のように動き、その声は人が叱責しているようであり、また、水を招く。”という記載があります。つまり、豺のような胴体に二つの翼があり、頭部は人の顔をしています。そして蛇のように蛇行して進み、くねくねと動きとぐろを巻く怪物です。化蛇の声は赤ちゃんの泣き声とも、女性の怒鳴り声とも言われていますが、声を発すること自体珍しいと言われています。しかし、いったん声を発すると地を押し流すような大洪水を起こしてしまいます。

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春秋時代にある農夫が魏国の大梁城付近で赤ちゃんの泣き声を聞きました。農夫は声の主を探したところ、一条の蛇型の妖怪を見つけました。その後三日間黄河が大氾濫を起こし、この氾濫で黄河沿岸の八百五十以上の村が水没したと言います。

《山海経・中山経巻》には、”西に三百里に陽山という山があった。その山中には多くの化蛇がいた。顔は人面のようで豺の胴体、鳥の翼を持っており、蛇のように動いた。その声は怒鳴り声のようで、化蛇の声を聴くと村に洪水が起こった。”とあります。

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化蛇は漫画サザンアイズにも出てきた妖怪ですので、日本でも少しなじみがあるかもしれません。もともとの形態は人面の蛇で、翼と豺の胴体を持っていました。鳴き声を聞くと洪水を呼ぶという恐ろしい妖怪ですので、なるべく見つけないようにしたいですね((;゚Д゚))

出典:baidu

  • 巴蛇 はだ ba1she2 バーショ(修蛇:しゅうだ xiu1she2 シウショとも)

巴蛇は巨大な蛇で修蛇とも言われています。《山海経》によると、巴蛇は体長数丈で、周囲7,8尺(1丈約1.8mなので、長さ2~20m?で、周囲1.5mほど)の巨大な蛇で、頭部は青色、体は黒色であったと言います。

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《淮南子・本経訓》には英雄羿が巴蛇を倒したという話があります。巴蛇は洞庭湖に住み、道行く動物たちを食べていました。一度、巨大な像を丸呑みしたことがあり、三年後に象の骨を吐き出したと言います。この時洞庭湖には巴蛇の他にも五種類の妖怪が出現しており、人々に危害を加えて暴れまわっていました。堯帝は巴蛇討伐のため配下で当代随一の弓の使い手である羿を派遣しました。

羿は巴蛇を見つけると、先制攻撃を行います。巴蛇を弓で射ると、矢は命中しました。巴蛇は逃げ出したので、羿は遥か西方まで追いかけていき、遂には巴蛇を斬り殺しました。巴蛇の死体は丘陵に変わり、その丘陵地が今の巴陵です。その他の妖怪たちもことごとく殺してしまいました。さらに、堯帝在位の時、十個の太陽が産まれ天で輝いていたので草木は枯れ果てていました。羿は10個の太陽の内9個を射て、地上を灼熱地獄から救います。このため羿は古代中語神話上の英雄となっています。




《山海経・海内経》には、”西南に巴国があった。また、朱巻国という国もあり、黒い胴体に青い首、象を食べる蛇がいた。”とあります。この蛇の事を郭璞は巴蛇である、と注釈しています。《山海経・海内南経》には、”巴蛇は象を食べ、三年後に象の骨が出てきたことに君子は感心した。巴蛇は腹の病気にもならなかった。その蛇は青黄赤黒の色をしていた。または、黒蛇で青い首をしており、犀牛の西にいた。”とあります。

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《左伝・定公四年》には、楚と呉の戦いの際に祖国滅亡の危機に見舞われた楚の申包胥が秦に援軍を求めに行きました。その時、申包胥は楚の王に”呉は封豕長蛇であり、楚を虐げ我が物にしようと狙っています。”と言いました。2500年前の出来事で、呉には孫子の兵法でおなじみの孫武がいたとも言われており、呉軍が破竹の勢いで連戦連勝を重ね、やがて楚を滅ぼす一歩手前にまで至りました。この時代は伍子胥の屍に鞭を打つや、呉王夫差と越王句践の臥薪嘗胆などのことわざが出来た時代です。申包胥が言ったと言われている封豕長蛇の蛇は巴蛇を表しており、貪欲であり悪の元凶であることを意味しています。

出典:baidu

  • 委蛇 いい wei1yi2 ウェイイー

委蛇はいだと読まずにいいと読みます。委蛇自体は日本語でも曲がりくねった道という意味がありますので、語源はこの中国の妖怪にあると推測されます。

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委蛇はまたの名を延維といい、人間の首と蛇の胴体を持っており、何と頭は二つありました。体は紫で、頭部は紅色でした。体長は馬車を引くための二本の棒である轅(ながえ)と同じくらいでした。雷の音をとりわけ嫌がり、雷が鳴ると毎回動かなくなってしまったと言います。

《山海経・海内経》には、”延維を見た後には命あるものは天下に覇を唱える。”とあり、《庄子・達生篇》では、”斉の桓公が委蛇を見た。その後桓公は春秋五覇の一人になった。”とあります。

出典:baidu

今回は蛇の妖怪のご紹介でした。中国には様々な妖怪の話が残っています( ´∀`)

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