玉兔搗薬:中国神話では月にいる兎はもともとは薬を搗いていたというお話。

玉兎搗薬(ぎょくとどうやく yu4tu4diao3ya4 ユィトゥディアオヤー)

玉兎搗薬は中国神話上の故事の一つで、漢代の《董逃行》にも記載されています。搗く(つく)は餅を搗くと同じく臼などに入れた原料を杵などで叩いて粉や餅にする動作です。

月の中には一羽の兎がいることは中国のみならず日本でも有名ですが、この兎は全身は玉のように白いため中国では玉兎と呼ばれています。この白兎が玉杵を持ち、跪いて薬を搗いて蛤蟆丸(蛤蟆はカエルの意味)と言う薬を作っています。

蛤蟆丸には物語によって空を飛ぶ薬、不老長寿の薬など薬効が異なる場合もありますが、一般的にはこれを服用すると仙に成れると言われています。この玉兎搗薬の言い伝えより玉兎は月の代名詞ともなっています。

一方の太陽には金烏(きんう)という三本足の鳥がいるとされており、太陽は鳥に例えられていました。しかし、太陽の方はいつしか忘れ去られたのか日本には伝わらなかったのか我々にはなじみがありません。




金烏に関しては以下をご覧ください!

金烏:太陽の正体は何と鴉だった!中国神話の中で太陽の中にいるとされている三本足の鴉

古代には多くの詩歌に玉兎を月の象徴としている句が見られるとともに、多くの小説にも月の暗示に兎が用いられてきました。道教中では陰陽に由来した月と太陽の関係のように玉兎は金烏と相対した存在として認識されています。

玉兎搗薬は多くのストーリーが存在しており、特に中国神話の英雄である后羿の妻で月の女神となった嫦娥の伝説と共に語られています。

嫦娥に関しては以下をご覧ください!

嫦娥:月を生んだ母常羲から生まれ、月の女神になった后羿の妻

  • 物語其の一

伝説中では月宮には一羽の白兎がおり、嫦娥の化身であるといいます。嫦娥が不死薬を飲み月へ行った後、玉帝の旨に反した為に嫦娥が玉兎に変えられてしまい、毎月満月になると月宮の中で天神のために薬を搗き懲罰を受けていることを示していると言います。

  • 物語其の二

伝説では三柱の神仙がおりみすぼらしい老人に化けて狐狸、猿、兎に食を乞いました。狐狸と猿は食べ物を差し出しましたが、兎だけは食べ物を持っておらず老人に、”どうか私を食べてください。”と言って烈火の中に飛び込みました。神仙たちは大いに感動して兎を広寒宮に送り玉兎にしました。以降、玉兎は広寒宮で嫦娥と共に住み、不死薬を搗くようになったと言います。

  • 伝説其の三

昔、千年修業を積んだ兎が夫婦がおり、仙になりました。彼らには四人の可愛い女の子がおりそれぞれ色が白く可憐でした。ある日天界の玉皇大帝が雄の兎を天宮へ召したので、妻と泣く泣く別れ雲彩に乗り天宮へと行きました。

雄兎が南天門に到達した時、太白金星が天将を率いて嫦娥の身柄を拘束し、兎の脇を過ぎ去るのを見ました。兎仙は何が起こったのかわからず、近くにいた天門の天神に聞きました。嫦娥は困っていた民百姓を助けるために禁を破り捕まってしまっていたのです。兎は嫦娥の境遇を聞き、兎仙は嫦娥が無実無罪であると思い同情しました。しかし、自分の力ではどうすることも出来ませんでした。

兎は嫦娥が月宮に一人閉じ込められて寂しい生活を送ることを想像すると誰かが一緒について行くべきだと思いました。そして、自分たちの四人の子を一緒に行かせようと決意しまし家に戻りました。

兎仙は嫦娥の境遇を雌兎に話し、自分たちの子供の一人を嫦娥と共に行かせようと考えていることを伝えました。雌兎は嫦娥に深く同情しましたが、自分の大切な子供を行かせるのは憚り、同意はできませんでした。子供たちも両親とは離れたくなく泪を流していました。

雄兎の決心は固く言いました。”もしも私が同じように孤独な境遇になったら一緒に来ないのか?嫦娥は百姓の苦しみを取り除くという立派な行いをしたことに同情できないのか?”

子供たちは父親の心を理解し、皆嫦娥と共に月へ行く決心をしました。雄兎と雌兎は眼に涙を湛えて笑いました。彼らは最も幼い女の子を行かせることにしました。この小玉兎は両親と姉たちと別れて嫦娥について月宮へ行き、薬を搗くようになったと言います。

  • 伝説其の四

別の説では玉兎は后羿であったと言う説があります。嫦娥が月に行くと后羿は嫦娥と共に居たかったため、嫦娥が好きな動物であった兎に変わり一緒に月へ行きました。しかし、嫦娥はその玉兎が后羿であることに最後まで気が付くことはなかったと言います。

  • 伝説其の五

周の文王姫昌は西伯侯と言われ、その長子である伯邑考は妲己に迫害を受けて殺されてしまいました。この伝説はその後伯邑考の三つの魂が玉兎となったという話です。

封神演義では伯邑考は温厚で仁義に熱い孝行息子として書かれています。父親は殷の紂王の逆鱗に触れ監禁されてしまったので父親を救おうと七香車、醒酒氈、白猿の三つの異宝を携えて紂王に献上しに行きました。




妲己は伯邑考が俊美で琴の腕前も素晴らしく自分達の下に置きたいと思いましたが伯邑考に非難されたため憤慨し、様々な嘘を紂王に吹き込みました。このため妲己に陥れられた伯邑考は四肢を裂かれ切り刻まれ肉餅にされ父親の姫昌に食べさせてしまいました。

西伯侯が牢から出され故郷に戻り、西周の地を踏んだとき気分が悪くなり三羽の小さな白兎を口から吐き出しました。西伯侯それが亡き息子の伯邑考の三魂が変化したものであることを理解しまし痛心で涙が止まりませんでした。この小兎たちは飛び跳ねながら西伯侯の宮殿に進んでいき、夫人である母親の前を飛び跳ねました。

夫人たちはその小兎がどこから来たのかわからなかったのですが、内心何とも言えない寂しさと悲しさが沸き起こってきました。この時、天はすでに暗く小兎たちは庭園に出て天を仰ぎました。この時、嫦娥は女媧の命により小兎たちを連れて月宮へと旅立ったといいます。

出典:baidu

今回は月の玉兎が薬を搗いているという中国の昔話についてでした。玉兎には様々な説がありますが、常に嫦娥と共に語られる上に悲しい話ばかりです。この兎は日本では月で餅を搗いていると言われていますが、元々の中国では杵と臼を使って薬を作っていたのです。

このお話は封神演義を始めとする様々な物語に取り入れられ様々な異なった物語が作られていきました。孫悟空で有名な西遊記にも嫦娥に加えてこの玉兎は登場しており、孫悟空と戦いを繰り広げていますので、中国では古くから人々の間に広く浸透していたことを伺わせます。

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