封豨(ほうき Feng1xi1 フォンシィ―)
言い伝えによると、封豨は封豕とも言い、堯の時代に禍をもたらした南方の桑林の野に住む双頭の大猪怪です。貪欲で力は尽きることなくどこでも人を傷つけ、民衆の苦痛は耐えがたいものでした。その最後は、堯により遣わされた英雄后羿により、桑林の野で脚を射られて生け捕りにされてしまいました。楚辞の記載によると、后羿が封豨を捕らえた後、その肉を切り取り蒸して堯に献上したと言います。
《史記・天宮書》には、”奎は封豕(豨)を為し、沟瀆を為す。”とあり、《正義》には、”奎は天豕とも言い、または封豕とも言い、沟瀆に居る。”とあり、封豨には様々な別称がありますが、時代を追うごとに表現方法が少しずつ変化していっています。
- 降雨の兆し
封豨は雨の兆しでもあり、こちらは大怪物のイメージは無く、水に入ると雨が降るという雨との因果関係のみが記されている文献ばかりです。例えば、《毛伝》には、”久しく雨が降っているので、封豨が水波を渉っている。”とあります。封豨が水に入ると即ち大雨が降るということを示しています。
《述異記》には、”夜半の天には黒い雲が出てきた。俗にいう黒豚が河を渡っているということで、雨が降るだろう。”とあり、封豨を黒豚と書いています。《太平御覧》には、”四方の北斗中には雲は無く、惟河中に雲があり、三つの雲が連なっている。猪豨が水に入ったようである、三日大雨が降るであろう。”とあります。
- 雨を降らす神
猪豨のこの雨を呼ぶ性質が発展して、封豨は雨を降らす神様となった可能性もあります。この場合は猪豨が直接神として祀られたと言う記述ではなく、猪豨は桑林に暗示されています。例えば、《淮南子・本経訓》には、”湯旱、身をもって桑山の林で祷る。”とあり、これは”桑山の林は雲雨をもたらすので、故に祷った。”という注釈もあり、桑林で祈ることで降雨を期待した、と言う訳です。他にも様々な文献に同様の記述がみられており、桑林の封豨は雨を司る神を為しているという説が考えられています。
- 暴虐な大怪物
中国には封豨修蛇という言葉があり、貪欲で暴虐な者や侵略者の例えとして用いられています。修蛇は象をも食べてしまう大きな蛇で、貪欲の象徴でした。この貪欲な怪物たちの名前を合わせて生まれたのが封豨修蛇ですが、両者とも后羿により退治されています。
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《淮南子・修務訓》には、”呉は封豨修蛇と為し、蚕が桑の葉を食べるように国を侵略した。”とあり、貪欲で乱暴な者の例えとして使用されています。封豨修蛇は封豕長蛇という場合もあり、《左伝・定公四年》には、”呉は封豕長蛇を為し、絶えず国を侵略した。”とあります。
出典:baidu
封豨には粗暴な一面に加えて雨を降らすという異なった面を併せ持っています。これは、異なる二種類の怪物が混同され結びついて今ある封豨像が作り出された可能性が考えられます。
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