呉剛伐桂:様々な神話のモチーフになっている永遠に月の桂を伐り続ける人

呉剛伐桂(ごごうさいけい wu2gang1fa2gui4 ウーガンファーグイ)

呉剛伐桂は古代の中国神話伝説の一つです。月の上には呉剛と言う人物がおり、天帝から懲罰を受けて月宮の桂樹を切り倒すことを命じられていました。桂は切った先から合わさってしまい、天帝は永遠に休まずに労働すると言う気の遠くなるような懲罰を呉剛に与えたのです。

月に関する伝説は神話の大英雄である后羿とその妻嫦娥の物語につながって語り継がれています。后羿は人々を苦しめていた十個の太陽の内の九個を射落として地上に平和をもたらしました。そのため西王母から不死の仙薬を下賜されましたが、この薬を飲んでしまったのが妻の嫦娥でした。嫦娥が薬を飲むに至ったいきさつには様々な物語が分岐していました、薬を飲んだ嫦娥は月へと昇ってしまい広寒宮に住むようになりました。




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この嫦娥が月へと昇った日が八月十五日であり月は大きく輝いていたと言います。嫦娥は后羿を忘れられずまた后羿の心痛を察した民衆たちは毎年旧暦の八月十五日に月と嫦娥を祀る宴席を設けお供え物を備えると言う風習が出来たと言います。

桂の木とは中国では金木犀などの種類の木を指します。西洋の月桂樹とは異なる種ですが、月桂樹が中国へ渡ってきて中国名を付ける際に、この月の伝説に因んでつけたかどうかは調べる限りでははっきりわかりませんでした。

  • 伝説其の一

伝説によると呉剛の妻と炎帝の孫の伯陵が私通しており、これを知った呉剛が激怒し伯陵を殺してしまいました。これに太陽神である炎帝は激怒し呉剛に月の不死の木を伐採させました。しかし、月桂樹は伐った先から繋がってしまい呉剛が枝を伐るごとに枝葉が樹上に戻ってしまいました。気の遠くなるような時間が経過しても呉剛はいまだに月桂樹を伐り倒すことができませんでした。呉剛の妻子は慙愧の念から三人の子を蝦蟇と兎、蛇に変えさせて呉剛と共に居るように命じました。子供たちは父親を助けるために桂樹を伐り、玉兎は伐った枝をすぐに搗いて粉々に砕いていると言います。

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  • 伝説其の二

呉剛は呉権とも言い、西河人でした。炎帝の孫伯陵は呉剛が仙道を学ぶために三年間家を離れている間に呉剛の妻と私通しており三人の子供を儲けていました。これを知った呉剛は激怒して伯陵を殺し、孫を殺された太陽神炎帝は呉剛を月へと追放し不死の樹である月桂を伐採するように命じました。

月桂は高さ五百丈に達し、伐っても伐っても伐った先から枝がくっついてしまうため、炎帝は懲罰として永遠に終わらない労働を呉剛に課したのです。呉剛の妻は夫の境遇に心を痛めて三人の子を月に行かせ呉剛を手伝うように命じました。一人はヒキガエルに、もう一人は兎に、もう一人は蛇に変わったと言います。

  • 伝説其の三

天界にある南天門の呉剛と月の嫦娥との関係は良好で、呉剛は嫦娥と合っており南天門の見張りの役目をおろそかにしてしまいました。玉皇大帝がこれを知り呉剛を月へ送り月桂の大樹を伐らせました。呉剛はこの月桂樹を伐り終わるまで南天門には帰れず、また嫦娥と会うことも出来ませんでした。




呉剛は冬から夏までの半年間木を伐り続けました。伐り終わりそうになると玉帝は烏鴉を月に送り木の上で一鳴きした後、呉剛が木の枝にかけていた衣服を持ち去りました。呉剛はすぐに斧を置いて烏鴉を追いかけ、衣服を取り返した後に戻ってみると斬られた枝葉の場所には新しい枝葉が生えていたのです。これ以降、呉剛が伐り終わるころになると烏鴉が木の上で鳴くと枝葉は元通りに戻ってしまいました。

これを毎年繰り返し、呉剛は枝葉を伐り終えることはできませんでした。ただ、毎年旧暦の八月十六日に一片の葉を月から地上へ落とします。この金葉は最も勤勉な人物の家へと落ちていき、落ちた家には尽きることのない富をもたらすと言います。

  • 伝説其の四

伝説其の四は呉剛が桂を伐り仙酒娘子が天下第一の美酒である桂花酒を醸造させるというお話です。呉剛は毎日休まず桂を伐り続け万年が経過してもその神奇な桂の樹は依然としても元のままで毎年中秋にはその芳香があたり一面に漂っていました。呉剛は人間がまだ桂樹を持っていないことを知ると、桂樹の種を善人に対して善行を行った報いとして送りました。

遥か昔、現在の杭州の両項山の麓に山葡萄酒を売る未亡人が住んでいました。彼女は善良で酒を作っており酒は甘美であり人々は彼女の酒造の技術に敬服して仙酒娘子と呼びました。ある冬に雪が積もり凍える朝に仙酒娘子が家の門を開けると、門の外にやせ細り骨だけになってしまった中年の男性を見つけました。その様子は食べ物を乞うているようでしたので、仙酒娘子は親切心から家に中に入れ白湯を飲ませ、その後に酒を振舞いました。

その男性が我に変えると感動して言いました。”あなたは命の恩人です。私は不随の身で凍死寸前で、凍死しない場合は餓死していたでしょう。あなたはそんな私に生きる猶予を与えてくれました。”と。

仙酒娘子は未亡人ですので、見知らぬ男性が家にいることは好ましいことではありませんでした。しかし、その男性を凍死させるわけにもいかず暫く家に置くことにしました。しかし、悲しいことにこの仙酒娘子の噂話は瞬く間に広がり酒屋で仙酒娘子の酒を買う人は日増しに少なくなっていきました。

仙酒娘子はそんな人々の冷たい視線を気にも留めずその男の面倒を見ました。最終的には誰も酒を買いに来なくなってしまい生活を維持できなくなっていきました。そしてその男な挨拶もなく去っていってしまいました。

突然の別れに仙酒娘子は動転しその男を探しに行きました。すると山中で柴を担ぎあげようとしている一人の白髪の老人に遭遇しました。その難儀な様子に仙酒娘子は手伝おうとしたときに老人は倒れてしまい、柴は地面に散らばってしまいました。老人は両眼を閉じ、弱弱しい声で水を求めました。荒山の真っただ中で水など見つかりませんでした。仙酒娘子は自身の中指を咬み破り血を流し、その血を老人に飲ませようとして口に手を伸ばしたとき老人は忽然と姿を消してしまいました。

一陣の風が吹き天上から黄色の布袋が落ちてきました。その袋の中には黄色の紙きれが入っており、月宮から桂を贈り、善人に感謝をささげる。福は桂樹の碧ほど高く、寿は満樹花ほど高い。花を摘んで桂酒を醸し父親と母親に送る、呉剛は善人を助け、悪人には罰を与える、と書いていました。

仙酒娘子は、あの倒れていた男と柴を担ごうとした老人は全て呉剛であったことを悟りました。そしてこの出来事は瞬く間に広がり皆仙酒娘子の桂花酒を買いに来たと言います。
善良な人間が桂を植えると木は速く成長し美麗な花を咲かせ、その甘い香りは周囲を満たすと言います。しかし悪人が植えると発芽すらせずに堪えられなく感じさせると言い、これにより悪人たちは心を入れ替えるようになると言います。

月宮で桂樹を管理している呉剛仙人が仙酒娘子の善行に感じ入り、桂樹を人間に与えることで人々は桂花と桂花酒を楽しむことができるようになったというお話でした。

  • 伝説其の五

遥か昔に咸寧の一地方で疫病が発生し、人口の三分の一が死んでしまうと言う悲劇が起こりました。人々は様々な薬を試してみましたがどれも効果がなく病状が重い人々は回復の兆しはなくただ死を待つのみでした。

桂榜山の山中に一人の勇敢で忠義に厚く孝順な呉剛という少年がおり、母親が病に倒れて床に臥せていました。呉剛は母を救うために毎日山へ行き薬を探しました。西天が中秋節に差し掛かろうとしていたある日、観音菩薩が東遊からの帰りに少年が切り立った崖で薬を採っているのを見て深く感動し、その晩少年の夢に現れ、月宮中に木犀と言われる木があり黄金色の小さな桂花と言う花が咲くので水に浸して飲むとこの種の疫病が治り、そして桂榜山には八月十五日になると天梯がかかり月宮に行くことが出来ることを伝えました。

その晩は八月十二日で中秋節まであと三日でした。桂榜山の山頂への道は断崖絶壁を登らなければならず困難を極めるため最低でも七日かかると言われており時間がありませんでした。八月十五日を過ぎると桂花の花は散ってしまいまた一年待たなければなりません。




しかし、母の命がかかっていたため呉剛は全力を振り絞って八月十五日に山頂まで登りつくと、そこには月へ至る天梯があり迷わず登っていきました。月へ至るとそこには桂花の香りが充満しており呉剛は桂花の香りをかぎながら辺りを見渡しました。そして観音菩薩に言われた通り花を摘みだしたました。そして花を少しでも多く持ち帰り、母のみでなく故郷の人々も救おうと思いました。しかし、持ち帰れる花の量にも限度があったため一計を案じました。

呉剛は枝を振るい花を落とすことで山下の河の中に花が入るようにしました。その時河面にすがすがしい香りが満ちて水が黄金色に変わりました。人々がその水を飲むと疫病はたちまち完治したと言います。人々はこの河の水には命を救う効果があるとして河の名前を金水としました。以降、水の意を表すために金の字にさんずいをつけて淦河と呼ばれるようになりました。
その晩は八月十五日で天宮の神仙たちが大集合する日でした。会場では皆が月を眺めながら月餅を食べていました。その時、桂花の香りが天から漂っており神仙たちは驚き調査させました。

月宮に行くと桂花の木から花がすべてなくなっており人間界の淦河の中へと落ちていることが判りました。天帝はこの報告に激怒しました。なぜなら玉天帝が最も好きな食べ物は月桂花で作った月餅であったので、桂花が無ければ月餅を作れず食べることができません。そこで犯人を捜すために天将を派遣すると天将は呉剛を捕まえて戻ってきました。

呉剛は天帝の前に引き出されて事の始終を話しました。天帝は話を聞いた後でも無言で不機嫌な様子でしたが心の中ではこの少年に敬服していました。呉剛は天規を犯しましたが、この少年を懲罰してしまえば玉天帝の威信にかかわります。玉天帝は呉剛に欲しいものは何かと尋ねると呉剛は桂花樹を持ち帰り人間の苦難を救うことに役立てたいと答えました。

この時天帝に呉剛の懲罰と呉剛の要求を同時に聞くというある考えがありました。天帝は呉剛の要求に応え、桂花樹を伐ることを許しました。呉剛は斧で木を伐り出しましたが、天帝の術により木は一度伐るとその分成長してしまいいつまでたっても伐り倒すことはできずに呉剛は何千年も木を伐り続けているのです。

呉剛は倒れない木を見ながら故郷や母を想い毎年中秋節になると桂花の枝を桂榜山の上に落とし故郷への思いを託しました。一年、また一年と桂榜山には桂花樹が増えていき、満開の花を咲かせるようになり故郷の人々はこの花をお茶にひたして飲むようになり咸寧には再び災いは起きなかったと言います。

呉剛の村には嫦娥と言う娘がいました。呉剛とは幼馴染で将来を誓い合った仲でした。呉剛が月宮へ行った後、嫦娥は呉剛の老婆の面倒を見ていました。程なくして老いた母はこの世を去ってしまいました。呉剛と嫦娥は天と地に離れてしまっていましたが、その思いは日増しに強くなりました。しかし、呉剛は桂花樹を伐り終えることが出来ずに、嫦娥も地上から月へ行くことはできなかったため会うことはできませんでした。

そんなある日、王母娘娘が七人の娘たちを連れて桂榜山の麓の鳴水泉に水浴びに来た時に嫦娥がそれを見つけ、七仙女の回天仙丹をこっそり盗み出して家に持ち帰り食べ、飼っていた兎と共に呉剛に会うために天に行きました。

七仙女は仙丹が無くなってしまったため天庭へ帰れず、三日後に水浴びに訪れる予定であった姉達の到着を待つしかありませんでした。天上の一日は人間の一年であり、七仙女は姉が来るまでこの地で三年待ったといいます。

出典:baidu

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