羲和:太陽を十個生み大地に大干ばつをもたらした帝俊の妻

羲和(きわ xi1he2 シーホー)

羲和は中国神話に由来しており、天帝である帝俊の妻で十個の太陽を生んだ人物です。最初は”日母”として信仰され、次第に”日御”に変化していきました。そしてさらに時代を経ると羲和は太陽神話を為し、天文史官の代表的な人物となりました。

帝俊に関しては以下をご覧ください!

帝俊:天帝でもともとは夔と言う神様な上、太陽と月の父親でもあった帝

羲和は中国神話中の日月女神と歴を制定する女神ですが、羲和と同様に帝俊の妻に常羲がいます。羲和は太陽を、常羲は月をそれぞれ産んでおり、中国の一部の学者は羲和と常羲は同一人物を指していると考えています。つまり、もともとは一人の人物の故事が羲和と常羲に分かれて行ったと解釈しています。




羲和の原型に関して記載されている最も古い書籍は《山海経・大荒南経》で、”東海の外、甘水の間に羲和国があった。ここには羲和という名の女性がおり、今まさに甘淵中で太陽を洗っていた。羲和は帝俊の妻で十個の太陽を生んだ。”とあり、羲和と太陽の母、即ち日母との関係が伺えます。このため羲和は人類に光をもたらした神であり、太陽崇拝における最も尊い神とされます。

山海経大荒南経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,15 大荒経大荒南経編

帝俊は古の帝であり五帝の一人に数えられる場合もあります。一方で、山海経などでは天に住む天帝として書かれてもいます。羲和から始まり后羿に続く神話では天帝として描かれています。帝俊は帝嚳とも言われていますが、妻は常羲という記述もあり、山海経・大荒西経には常羲が十二個の月を生んだという記述があります。山海経内で帝俊の妻に太陽を生んだ羲和と月を生んだ常羲の二人の人物が描かれています。

山海経大荒西経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,16 大荒経大荒西経編

山海経にはさらに羲和の生んだ十個に太陽についての記述があります。海外東経には、”下方には湯谷があった。湯谷には一本の扶桑樹があり、十個の太陽が入浴する場所で、黒歯国の北面にあった。大量の水を湛えた中間にある大きな樹木に九個の太陽が下の枝に、一個の太陽がその上枝に止まっていた。”とあります。扶桑樹とは東の果てにある太陽の昇る巨大な木と言われています。

山海経海外東経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,9 海外経海外東経編

他にも大荒東経には、”大荒の中に孽摇頵羝という名の山があった。山上には扶桑樹あり、三百里に渡ってそびえ立っていた。葉の形状は芥菜(からし菜)葉のようであった。温源谷という山谷があり、湯谷上面には扶桑樹が生い茂っており、一つの太陽が先ほど湯谷に戻り、別の一つの太陽が先ほど扶桑樹の上を出て去った。全て三足鳥の背中に乗っていた。”とあり太陽が三足鳥に乗っている記述があります。古代中国では元々太陽は鳥に月は兎に例えられており、その原型が見て取れる非常に面白い内容です。兎の記述は月を生んだ常羲の娘である嫦娥の嫦娥奔月の神話に見て取れます。




山海経大荒東経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,14 大荒経大荒東経編

三足鳥に関しては以下をご覧ください!

三足鳥:太陽の中に住んで大空を自由に飛び回った神鳥

  • 后羿射日の伝説

この羲和の生んだ十個の太陽は同時に出現した為、穀物は枯れ水は蒸発してしまい大地は荒廃してしまいました。その上猛獣たちが徘徊しだすと言うまさにこの世の地獄の様相となってしまいました。

当時の帝は徳が高く名君であった堯でしたが堯の力をもってしてもどうすることも出来ずに、天帝である帝俊へ助けを求めに生きました。事態を重く見た帝俊は后羿を派遣し、太陽を射落とさせました。后羿射日の伝説です。羿は瞬く間に九つの太陽を射落としてしまい、大地は冷えて人々の歓喜は広大な中国の大地を揺るがしたと言います。その後、后羿は日照りにより出現した怪物たちを弓で次々に倒してしまい中国神話上で並ぶもの無き英雄となりました。

帝堯に関しては以下をご覧ください!

堯:お酒や囲碁を発明したという聖人で五帝の一

この話は実は帝俊の一族の間で完結してしまいます。そもそも十個の太陽を生み出したのは帝俊とその妻の羲和でした。一方で、帝俊と別の妻である常羲との間には嫦娥と言う娘がおり后羿の妻となっていました。そして帝俊に助力を求めた帝堯も帝俊の次男という内輪の話となっています。無関係な一般庶民にとってはいい迷惑ですね(;´∀`)

山海経に記載されている羲和が太陽を洗っていると言う内容は後世に発展し、羲和は毎日十子を龍車に乗せて黎明の頃に曲阿を出発し黄昏には蒙谷へと到着し、その後湯谷へと戻り子供たちがその日に汚れてしまった体を洗うのを手伝いました。そして、これを年中休まず毎日繰り返し、羲和と十個の子供たちは昼間に人々にぬくもりを与えました。一方で、太陽を生み過ぎて人々を苦しめる原因を作ってしまったと言う側面もあり、人々に恩恵をもたらす一方で害もまたもたらしています。

出典:baidu

今回は羲和のお話です。月を生んだ常羲とは対照的に描かれています。太陽も月も父親は天帝である帝俊です。帝俊は複雑な経緯を持った帝です。元々は夔と言う神様で、この夔が帝俊や帝嚳、帝舜などに分かれてしまいました。神話的には帝俊も帝嚳も帝舜も地上の部落連盟の首領ですが、帝俊に関しては夔神の名残で山海経では天帝として描かれていると考えられています。

羲和の生んだ太陽の正体は三本足の鳥である金烏、三足鳥とも言いますが、月と言えば兎と言うように太陽と言えば金烏と言われていました。現代でも月の兎は有名ですが太陽の鳥に関しては忘れ去られてしまっています。月の兎に関しては月で餅を搗いていると言われていますが、元々は嫦娥の伝説中に出てくる玉兎が搗いていたのは餅ではなく薬でした。

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