中国神話の不思議が詰まった神様達。神様特集3(女祭と女薎、熏池、泰逢、武羅、員神磈氏、江疑、天神耆童)

中国神話に出てくる神様特集の第三弾です。今回も様々な神様が出てきます。古代中国の神様は外見が人間と動物の組み合わせと言った明らかに人間ではない神様が出てくる一方で、神か人間か区別がつかない場合も多々あります。

女祭と女薎(じょさいとじょべつ nv3ji4 nv3mie4 ニィュージィ ニィュミエ)

女祭と女薎は山海経に出てくる女巫です。

山海経の大荒西経には、”大荒の中に常陽山があり、太陽と月が沈む場所であった。寒荒国があり、そこには女祭と女薎と言う二柱の神人がいた。”とあります。




晋の郭璞はこの文に対して、”或いは觯を持ち、或いは俎を持つ。”と注釈を加えており、精霊信仰を行う巫術師であることを示唆しています。觯とはお酒を注ぐ器、俎とは生贄を捧げる台をそれぞれ指します。

山海経大荒西経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,16 大荒経大荒西経編

出典:baidu

熏池(くんち xun1chi2 シュンチィー)

熏池は山海経に記載が見られる神で、泰逢、武羅と共に出てきます。しかし、他の二神にはさらに説明が加えられていますが、熏池は名前が一度だけ記載されているのみで終わってしまっています。

山海経の中山経には、”諸山の山神の祭祀は、泰逢、熏池、武羅の三柱の神は皆一頭の羊を開き、玉器には吉玉を用いて祀る。その他の二柱の神は鶏を一羽捧げた後で地下に埋める。祀神の米には稲米を用いた。”とあります。

山海経中山経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,5 五蔵山経中山経編

出典:山海経

泰逢(たいほう tai4feng2 タイフォン)

泰逢は人の形状をした神ですが、虎の尾を一本持っています。さらに、天地の気を動かすことが出来ると言いう凄い神様です。

泰逢は山海経の中山経に記述が見られており、”さらに東へ二十里に和山があり、山上には草木は育たずに至る所に瑶や碧の一種の美玉があった。この場所は黄河中の九条の水源が集まる地方であった。この山は螺旋形に五層あり、九条の水はこの山より流れ出て合流し北へ向かって黄河へと注いだ。水中には多くの蒼玉があった。吉神である泰逢がこの山を治め、その形状は人であるが虎と同じ尻尾があり、萯山で南向きに住むことを好んだ。出入りするときには閃光を放ったと言う。泰逢は風雲を起こすことができた。”とあります。

泰逢は吉神であり、南向きに住んでいます。さらに閃光を放つと書かれています。閃光を放つのは中国神話では比較的よくみられており、夔牛なども海中を出入りする際に閃光を放っています。

夔牛に関しては以下をご覧ください!

夔:伝説によるとこの世のどこかにあと一匹存在する一本足の牛

《呂氏春秋・音初篇》には、”夏王朝の昏君孔甲が萯山の麓で狩りをしていた。すると大風が吹き天は薄暗くなってしまい、孔甲は道に迷ってしまった。これは則ち泰逢の仕業であった。”とあります。

晋の郭璞は《図賛》で、”神は泰逢と言い山の南面で遊ぶことを好んだ。九州に足を入れ、出入りするときには光を放った。天気は動き、孔甲は恐れて迷った。”と書いています。

山海経中山経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,5 五蔵山経中山経編

出典:baidu

武羅(ぶら wu3luo2 ウールオ)

武羅は古代中国の神ですが、中国神話の英雄、后羿(こうげい)の臣にも同名の人物がいます。ここでは神様についてご紹介します。


武羅は山海経の中山経に記載が見られ、”さらに東へ十里に青要山があり、天帝の密都であった。青要山の山頂から北を向けば黄河の湾曲部分が見え、ここには野鵝(ガチョウ)が多くいた。青要山から南を向くと墠渚が望め、大禹の父親である鯀が黄熊に変わってしまったしまった場所であった。ここには多くの蝸牛と蒲盧がいた。山神である武羅がこの地方を掌握しており。この山の山神の形状は人面であるが全身には豹と同じ模様があり、腰は細く歯は白かった。そして耳には金銀環を掛けており、発する声は赤玉がぶつかる音のようであった。この青要山には女性が住むのに似つかわしい。”とあります。




武羅は鯀が処刑された地を統括している神として描かれています。鯀は夏王朝の建国者の大禹の父親ですが、悪人として描かれる場合が多く、この場所で祝融により処刑されたという伝説があります。

鯀に関しては以下をご覧ください!

四罪(共工、鯀、三苗、驩兜):古代中国神話中の悪行を尽くし舜に断罪されてしまった悪神達

大禹に関しては以下をご覧ください!

禹:黄河の治水を成功させた大英雄で夏王朝の建立者

祝融に関しては以下をご覧ください!

祝融:中国神話中の赤帝で火を司り時代を超えて現れる火神

山海経中山経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,5 五蔵山経中山経編

出典:baike

員神磈氏(いんしんかいし yuan2shen2wei3shi4 ユエンシェンウェイシ)

磈氏は古代中国の神様ですが、その記述は山海経に出てきます。

山海経の西山経には、”さらに西へ二百里に長留山があり、天神白帝少昊(しょうこう)がここに住んでいる。山中の野獣は全て尾に模様があり、禽鳥は全て頭に模様があった。山上からは彩色花紋の玉石が多く産出した。そこは員神磈氏の宮殿があった。この神は太陽が西の山に沈むときに光線が東方に投射することを主管している。”とあります。

この文中では磈氏は宮殿に住み、自然現象を司る上級の神様として描かれています。しかし、山海経には神様の形状が書かれている場合が多いですが、磈氏に関しては外見に関する記述はありません。

少昊に関しては以下をご覧ください!

少昊:黄帝の息子で鳳凰を中国中に広めた五帝の一

山海経西山経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,2 五蔵山経西山経編

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江疑(こうぎ jiang1yi2 ジアンイィ)

江疑は山海経の西山経に記載があり、”さらに西へ二百里に符惕山があり山上の至る所に棕と楠があり、山下には金属鉱物と玉石が豊富にあった。江疑と言う神がこの地に住んでいた。符惕山はよく怪異の雨が降っており、風と雲もこの地より発生した。”とあります。

符惕山に住んでいると書かれていますが、それ以外の情報はありません。

山海経西山経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,2 五蔵山経西山経編

出典:山海経

天神耆童(ろうどう lao3tong2 ラオトン)

耆童は老童とも書き、顓頊の子であり、黄帝の曾孫で童姓の始祖とされています。よく歌を歌いこのため後世の人々はその名を姓にし田と言います。このことから童姓が生まれました。

老童は帝顓頊の息子ですが、その子供には太子長琴がいます。その家系は中国神話の本流であり、系譜は以下の通りです。

華胥氏ー伏羲(と女娲)ー少典ー黄帝ー昌意(黄帝の次子)ー顓頊(黄帝の曾孫)ー老童ー重黎

《世本・帝系》には、”顓頊が滕氏を娶り、滕氏の非嫡子を女禄といい、老童を産んだ。”とあります。

山海経の西山経には、”さらに西へ百九十里に騩山があり、山上は美玉で覆われていが石はなかった。天神耆童がここに住んでおり、その発する声はよく磬(けい)を打ち鳴らしているように聞こえた。山下の至る所に蛇が山のように集まっていた。”とあります。

この記述に関して晋時代の郭璞は、”耆童は顓頊の子で老童のことである。”と注釈を加えています。

三国時代の魏の嵇康の《琴賦》には、西山経の一文に対して、”その下には多くの蛇が積もっていた、則ち老童である。”と書かれています。

山海経西山経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,2 五蔵山経西山経編

老童の方が耆童よりも多くの記述が見られますが、これは単純に漢字が難しくて書くのがめんどくさかったために耆が老として書かれるようになったと推測されます。

老童に関しては、山海経の大荒西経に記載が見られ、”顓頊が老童を生み、老童が祝融を生み、祝融が太子長琴を生み、太子長琴は榣山上に住んでおり音楽を創造し世に広めた。

顓頊は老童を生み、老童は重と黎を生んだ。帝顓頊は重に命じて天を手で上に持ち上げるように命じ、黎には地を押して下に下げるように命じた。それで黎は地下へ来て噎を生んだ。”とあります。

こちらも耆童と同様に顓頊の子供として書かれています。一方で祝融の父親として書かれている上に太子長琴の祖父としても書かれています。

太子長琴に関しては以下をご覧ください!

太子長琴:楚国の先祖で音楽を創造したと言う神

山海経大荒西経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,16 大荒経大荒西経編

出典:baidu

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