無支祁:西遊記の孫悟空のモデルとも言われている獰猛な猿の水怪

無支祁(むしき wu2xhi1qi2 ウージーチィー)

無支祁は中国の伝説上の水怪です。無支祁は無支奇や無支祈とも書き、済南舜井の故事の中では巫支祁と言われています。その形状は猿ですが、獅子鼻で額は突き出しており白い頭に青い体、火眼金睛と言う外見をしています。西遊記の孫悟空のモデルになった神獣とも言われています。

その頸は長さ百尺でその力は九頭の大象に勝ると言います。常に淮水にいて風を興し浪を作り、百姓に害を与えていました。大禹(だいう)が淮水の治水を行っている際、無支祁は怪を作り風雷を起こし周囲を薙ぎ払いました。禹は大いに悩み怒り、群神を招集し神獣夔龍(きりゅう)に命じて無支祁を捕縛させたと言います。




禹:黄河の治水を成功させた大英雄で夏王朝の建立者

無支祁は掴まれても暴れまわったので誰も大人しくすることができませんでした。そこで禹は大きな鎖を無支祁の首に巻き付け、金鈴を無支祁の鼻の上につけました。これによりやっとのことで無支祁を淮陰亀山の下で鎮圧することに成功しました。その後淮水は東海へと静かに流入するようになりました。

これが一般に伝わっている淮河に住む無支祁の伝説です。獰猛な猿の怪物、鎖でつながれて閉じ込められるなど西遊記の孫悟空との共通点が多くみられます。

  • 古籍中に見る無支祁

漢代に書かれた山海経には、”水獣がおり害を為していた。禹が軍山の下で鎖につないだ。その名を無支奇と言った。その形は猿に似ており金目で雪牙、非常に身軽に動いた。”とあります。大禹が治水を行っていたときに無支祁は邪魔をしていたために成敗されて淮井の中に鎖でつながれてしまいました。これが有名な禹王鎖蛟の故事でこのことから淮水には有名な無支井という井戸があります。

  • 大禹治水

大禹は神話時代の偉大なる帝で夏王朝を建国した人物です。当時は大河の大洪水に悩まされており、治水が重要な政治案件となっていました。様々な人物が挑みましたが皆失敗しました。そんな中、帝舜(ていしゅん)に任命された大禹が治水に挑み成功を治めます。

大禹は治水のために三度桐柏山に行きました。しかし、毎回桐柏山には大風が吹いており、まるで禹の治水を阻むように雷鳴が轟いていました。その有様に治水は不可能だと誰もが思いました。しかし、禹だけはこれは妖怪の仕業だと気が付いており、憤慨しました。そこで諸神と各部落の首領を集めて会談し、妖怪を排除するために夔龍を派遣しました。




しかし、桐柏山付近の諸山の部落の首領は災いが降りかかるのを恐れて禹に妖怪の命令を聞くように訴えました。妖怪のあまりの獰猛さに鴻蒙氏、商章氏、兜盧氏、犂婁氏などの諸部落の首領は恐れをなして怯んでしまいました。しかし、禹としても大業のため引き下がることはできずに浮足立ってしまった軍勢を何とかまとめて戦いに挑みました。この時禹たちが戦った相手が水怪無支祁でした。

無支祁は理を知る知性を持っており、江水、淮水の深さを知っている上に地形にも明るく禹の侵攻に供えていました。無支祁は猿に似ていますが鼻は額付近の上部にあり青い体に白い頭、金目の雪牙でした。首は伸び、百尺もの長さがあったと言います。力は九頭象よりも強く敏捷でその動きを眼で捉えることは困難でした。

両者は桐柏山の下に陣を敷きました。先手を打ったのは禹で、童律、烏木を先鋒にして無支祁を攻撃しました。しかし両者とも無支祁の前に敗れ去ってしまいました。次に命令を受けたのが猛将庚辰でした。禹は庚辰を出撃させ無支祁を捕獲するように命じました。庚辰は鴟脾、桓胡、木魅、水霊、山妖、石怪などの妖怪を従えた無支祁に迫りました。無支祁の姿を捕らえると、庚辰は方天戟を構え烏合の衆である妖怪軍団を蹴散らしながら諸神たちと共に無支祁に向かって突撃しました。

周囲を守る妖怪軍団が壊滅してしまっても無支祁は意に介さずに大暴れしました。あまりの獰猛さに直接捕らえることが無理だと悟った禹は夔龍などと共に大鉄鎖を無支祁の首に巻き付けさせて動きを奪いました。そして鼻に銅鈴鐺を取り付けた後に淮河の南面の亀山の麓に幽閉しました。

荒ぶっていた無支祁を打ち破ることで禹は桐柏山の治水工事を滞りなく終えることができ、淮水はこれ以降穏やかに海へと流れるようになったと言います。

  • 文献に記載されている無支祁

無支祁は北宋の李昉の《太平広記》巻467に唐朝の小説である《戎幕閑談》を引用して、”李湯と言う永泰楚州刺史がおり、漁師に亀山の下の水中に大鉄鎖があるかどうかを問い人や牛でこれを引き上げた。小雨の中突然激しい一陣の風が吹き猿のような獣の姿が現れた。高さ五丈ほどあり白首で長いたてがみを持っており、雪牙金爪、岸に上がっても騒ぎ雷のように目を張り群衆を見回し荒れ狂うように暴れた。その恐ろしさに逃げ出す者もいた。この獣は鎖を引き水中に戻り再び出てくることはなかった。”とあります。

英雄が水怪と戦うことは中国神話ではお約束のプロットとなっています。禹の治水は当時としては広範囲に渡り前例のない規模でした。そのため、黄河流域に勢力を持っていた各部落たちとの接触は避けられずに、中には協調し共に難題に挑む部落もいましたが、抵抗を受けたなど様々な困難があったと考えられます。その際に用いられた解決策は武力ですが、禹は偉大なる帝ですので治水の過程では天の理に背かず、また人とは争わずに治水を実施しなければなりません。人と争わないで治水を行うことは困難を極めますので、禹が武力を用いた内容は相手部落を水怪に置き換えて語り継がれていると考えられます。

  • 孫悟空の原型

北宋の《太平広記》巻四六七の李湯の下りには大禹の治水の際に暴れた水神無支祁が淮水の中に鎖でつながれているという内容があります。この猿に似て暴れまわる無支祁は孫悟空の原型ではないかと考える学者も多くいます。魯迅などもこの説を支持しています。




無支祁の故事が広まってから五百年くらい後に唐僧が経典を取りに行くと言う話が出現しました。西遊記の原型です。西遊記自体どういう過程をたどって成立していったかはっきりしたことは判っていませんが、何百年もの年月をかけて受けつかれていった戯曲がやがて一つの小説として昇華したものであると考えらています。

最も早い話は元代の戯曲作家である呉昌齢の雑劇《唐三蔵西天取経》の中に猿の妖怪が出て来る上に、”無支祁はその妖怪の姉妹である。”という文があります。その猿の妖怪は無支祁の影響を受けていることがこの一文より伺い知ることができます。そして明代になると蒙古族の戯曲作家である楊訥(景賢)が作った戯曲の中に《劉行首》と《西遊記》があり、西遊記と言う名前が出てきます。

そして無支祁の故事が出来てから八百年ほど後に呉承恩がこれまで語り継がれてきた唐僧が経典を取りに行く話をまとめて西遊記を記したと考えられます。この時の孫悟空は猿と人間を合わせたような外見で、誰も手の付けられない暴れ者でした。その後は今度は逆に、西遊記の方が無支祁よりもあまりにも有名になってしまったために西遊記以降は無支祁の形状は孫悟空に似ていきました。今では両者は同じようなイメージを持たれています。

また、無支祁は亀山の下の淮水の中に鎖でつながれてしまいましたが、孫悟空も如来仏に五行山の下に封じ込められてしまいました。また、狂暴で手が付けられないと言う性質も同じであるので呉承恩が無支祁の故事を参考にして西遊記を書いた可能性も十分に考えられます。

西遊記自体長い年月を経て成立した為に多くの動物や妖怪がモデルになったと考えられ、無支祁もその一つだと思われ、孫悟空の原型ではないかと言われています。

出典:baidu

大禹の治水は中国神話中でも非常に重要な出来事です。それを裏付けるように治水工事の際には様々な妨害の話があります。多大なる困難を経て黄河や淮河の治水と言う偉業を成し遂げその功績により中国初の王朝と言われている夏王朝の建国につながります。簡単に治水が成功してしまうとインパクトがありませんから困難の末に達成したことを喧伝すると言う意図が見て取れます。淮河の無支祁は大禹の治水を妨害しましたが、その他にも黄河の共工や相柳なども治水の妨害をしたと言う伝説があります。

共工に関しては以下をご覧ください!

共工:治水で民に尽くしそして山をも真っ二つに割ってしまう狂戦士

相柳に関しては以下をご覧ください!

相柳と浮遊:共工の忠実なしもべで洪水を起こす凶悪無比の悪神たち

中国の三大宗教の一つに道教がありますが、道教は神話のみならず歴史上の偉大な人物、創作上のキャラクターを取り込んで神として祀っています。西遊記の孫悟空も例外なく道教の神様として祀られています。一方で輪廻や閻魔大王などの仏教も取り入れており、言い方は悪いですが民衆に人気のある信仰や利用価値のある考え方などを巧みに取り込んで成長してきたので結構何でもありの宗教なのです(;´∀`)

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