少昊:黄帝の息子で鳳凰を中国中に広めた五帝の一

少昊(しょうこう shao3hao4 シャオハオ)

少昊は紀元前2598年から2525年にかけて生きたと言われている伝説的な帝で、姓は己、名は摰と言いました。その功績から三皇五帝の内、五帝の一柱の西方天帝とされており、白帝や少皞、少皓、少顥などとも称されています。また、歴史上では青陽氏、金天氏、窮桑、雲陽氏、朱宣とも言われています。一説によると、黄帝の長子である玄嚻の事を指しているのではないかという指摘もあります。

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黄帝:中国の始祖であり古代神話中最大の功労者

少昊は古代中国の華夏部族連盟の首領であり、同時に早期の東夷族の首領でもあり、都を窮桑に定めました。部族が信奉する図柄であるトーテムには鳥が描かれており、少昊は今でも中国に深く根差している鳳凰文化の源流ではないかと考えられています。

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鳳凰:朱雀のモデルとなり火の中から甦るおめでたい神鳥

少昊の子孫の姓は数多く分かれており、張、尹、己、梁、秦、譚、徐、黄、江、李、趙、修など数多くの姓の祖となっています。(中国では同じ姓を持つ人は祖先も同じであると言う考えがあります。)

  • 少昊の誕生

少昊が誕生した時には天空にはそれぞれ色の異なる五柱の鳳凰がとんでいたと言います。その色は紅、黄、青、白、黒で、少昊のいる部屋に降りました。この故事から少昊は鳳鳥氏と称されます。少昊のトーテム(図柄)は最初は玄鳥、即ち燕でした。そして、後に部落連盟の首領になった時に鳳鳥が飛来してきたので大喜びしたため、鳳鳥が氏族の神となり鳳鳥の図柄を崇拝するようになりました。

即位してすぐに都を曲阜に遷し、管轄している部族名に鳥を使い、鴻鳥氏、鳳鳥氏、玄鳥氏、青鳥氏、など二十四の氏族を鳥に因んだ名にして部族内に鳳鳥の信仰を広めました。

少昊の父は黄帝で母は嫘祖だと言われています。その両親の下で愛情を受けて育ち、小さなころから神奇で超人的な能力を発揮したと言います。黄帝は少年であった少昊を東夷部落連盟中で最大の部落であった鳳鴻氏の元へと送り、鳳鴻氏の娘を妻にして鳳鴻部落の首領となり、その後には東夷部落の首領にもなりました。

少昊は東海の浜に一つの国家を建立し、その際に一つの奇妙な制度も作っています。それは、各種各様の鳥の様子の文武百官を設立したのです。鳳凰は百鳥を管轄し、燕は春を管轄し、モズは夏を、セイコウチョウは秋を、キンケイは冬を管轄します。

これ以外にも少昊は様々な政務ごとに五種の鳥を設置しました。即ち賢く忠実なシラコバトを教育に、獰猛な鷲を軍事に、公平なカッコウを建築に威厳のある鷹を法律に、善をわきまえているキジバトを言論の管理にそれぞれ割り当てました。

  • 文献から見る少昊

《帝王世紀》には、”少昊帝、名を摰と言い、字は青陽、姫姓也。母は女節といい、黄帝の時に虹のような大きな星があり華渚に流れた。女節は夢を見て少昊を生み、玄嚻(少昊)と成した。邑は窮桑にあり帝位に就くと都を曲阜としたので、窮桑帝とも言う。その地は魯城の北にある。”とあります。この説は漢代以降に多く見られます。

漢代に書かれた司馬遷の《史記》には、”黄帝には二十五子がいた。その姓を得たのは十四人であった。黄帝は軒轅の丘に住み、西陵氏の娘を娶り嫘祖と言った。嫘祖は黄帝の正姫となり二人の子を産んだ。一人は玄嚻で青陽と成し、青陽は江水に降り住んだ。もう一人は昌意と言い、若水に降り住んだ。”とあります。昌意は顓頊(せんぎょく)の父親です。

顓頊に関しては以下をご覧ください!

顓頊:黄帝の孫で中国古代の国家である華夏王朝の始祖。

《山海経・西山経》には、”西に二百里、長留の山という山があった。住んでいる神は白帝少昊であり、その獣は尾に模様があり、鳥も首に模様があった。多くの玉が紋石玉であった。”とあります。

山海経に関しては以下をご覧ください!

山海経:中国の妖怪はここから来ている!妖怪のネタ帳として有名な山海経

  • 少昊の息子たち

少昊には以下に示すように性格や才能が様々な子供たちがいました。

1.重

重は人の顔をしていましたが、鳥の身体で顔は真四角で常に白色の衣服を着ていました。外に出るときには二条の飛龍を操って出て行ったといいます。古い書物の中には句芒と書かれており、古代中国神話中の木神で伏羲と共に春を管轄していると言います。木神はコンパスのようなものを持っていて春の大地の生命の息吹を司ります。句芒は生命の神も兼任しており、善行の多い人物や国家の発展に大きく貢献した人物に対しては寿命を延ばすと言います。

句芒に関しては以下をご覧ください!

句芒:扶桑に居て生き物の成長と繁栄を司る春の神様

2.該

該は虎の爪と人の顔、全身は白毛という見た目です。古い書物中では蓐收と称されており、中国神話中の金神と少昊が管理する西方の一万二千里の土地を管轄しています。該は太陽が落ちる時、西方の光芒が正常であることに責任を負います。これ以外では、蓐收は天上の刑罰も管轄しており、悪事を働いた者や国家に損害を与えた者に対して懲罰を加えます。懲罰は寿命を縮めたり重刑となると生命を奪い取ってしまいます。

3.窮奇

窮奇の外見は虎ですが、脇腹の下には一対の翼があります。窮奇は天下各地で話される言語を理解することができました。窮奇は善悪の区別できない悪神であり、喧嘩をしている二人を見つけると理がある人の法を食べてしまうとともに、凶悪な悪事を働くならず者が罪を受けずに自由に暮らせるようにしてしまいます。ただし、毎年農歴十二月八日には窮奇は仲間たちを伴って人を食べる害虫を探し出して食べてしまいます。

虫とはそもそも蛇や蜥蜴、蛙などの小動物全般を指す言葉で、今のように蜘蛛や昆虫を指す言葉ではありませんでした。蛇などの漢字に虫偏があるのは古い虫の意味の名残となっています。ですので、ここに出てくる害虫とは昆虫とは限らずに毒蛇や蝙蝠なども含まれています。

窮奇の悪事は度を超えていたようで、四凶として舜により追放されてしまいました。

四凶に関しては以下をご覧ください!

四凶(饕餮、窮奇、梼杌、混沌):中国神話中で暴虐の限りを尽くした凶悪な四凶神

4.般

般は弓と矢を発明したと言われています。

5.倍伐

倍伐は南方へ左遷され、緍淵の主神となりました。

6.昧祖

昧祖は孫昧で水官であり、玄冥と称されました。昧祖の子供は台駘と言い、治水の功績が認められ汾川に封ぜられました。

7.蟜極

蟜極は帝嚳と張揮の父親で大業の父親方の祖父でした。また、伯益の曽祖父でもあり、趙国、秦国、江国、黄国、梁国、徐国、費国と言った春秋戦国時代にも名前が見られる国々の王家の祖先とされています。

8.窮申

窮奇の弟で帝顓頊(せんぎょく)の堂兄弟(父親方の従兄弟)で皋陶(こうよう)の堂祖父です。

9.瞽穆

瞽穆は目の見えない人の意味であり、本来の名前ではありません。瞽穆の目は顔の中央部に一つしかなくその目でものを見ていたことに因みます。瞽穆は一目国の建国者でその国は遥か北方にあり、この部落のトーテム(図柄)は”一目人”でした。

出典:baidu

かなり難解な内容で恐縮ですが、中国神話になじみがない人にとっては何のことかさっぱりわからないかと思います。中国神話を少しかじった程度でも理解するのには難しい内容にも思えます。

中国神話は登場人物が多く、登場人物が時代を超えて出現することに加えてそれぞれが神であったり妖怪であったり、数々の伝説を持っていたり、名前は異なるけど同一人物を指していたりしますので大混乱してしまいますね(´;ω;`)

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