山海経を読もう!No,2 五蔵山経西山経編

山海経翻訳シリーズNo,2 五蔵山経西山経です。

山海経の概要に関しては以下をご覧ください!

山海経:中国の妖怪はここから来ている!妖怪のネタ帳として有名な山海経

山海経のその他の翻訳に関しては以下をご覧ください!

山海経翻訳まとめページ

五蔵山経西山経の注目すべき点は黄帝(こうてい)や少昊(しょうこう)と言う五帝が登場することです。さらに玉山の西王母(せいおうぼ)や崑崙山(こんろんさん)など神様たちの住まう山及びその場所も出てきている上に、各種神話がちりばめられていますので非常に興味深いです。西方は神聖な地方であったことでしょう。




しかし、黄河や渭水など聞き覚えのある河の名前が出てくると少し安心しますね( ´∀`)

文中にさりげなく窮奇(きゅうき)という名が出てきますが、窮奇は四凶と言い舜により討伐された四名の悪神で少昊の息子だと言われています。しかし、この西山経には説明がほんの少ししかないため、ここで言う窮奇は少昊の息子の四凶であるのか別の野獣を指しているのかはっきりはしません。

  • 翻訳文
  • 西山経一経

西方第一列山系華山山系の首は銭来山と言い、山上には松の木が多くあり、山下には多くの洗石があった。山中には野獣がおり、形状は一般的な羊で、馬の尻尾があり名を羬羊(れいよう)と言った。羬羊の油脂は皮膚のひび割れによく効くと言う。

銭来山から西へ四十五里に松果山があった。濩水はこの山より流れ出て北へ向かい渭水へ注ぎ、その中からは多くの銅が産出された。山中には禽鳥がおり、名を【虫鳥】渠と言った。その形状は野鶏と似ているが、黒色の体に紅色の爪があり皮膚の萎縮の治療に用いられている。

さらに西へ六十里に太華山があり、山の崖は切り立っており刀で四角形に切り出したようであり、高さは五千仞で幅十里で禽鳥や野獣は住むことが出来なかった。山中には蛇がおり、肥遺(ひい)と言った。六本の足と四本の羽を持っており、出現すると天下に干ばつが起こったと言う。

肥遺に関しては以下をご覧ください!

食べると病気が治る中国の蛇の妖怪、肥遺(フェイイー)

さらに西へ八十里に小華山があり、山上は牡荊(ニンジンボク)と枸杞(クコ)の木が多くあった。山中の野獣は【牛乍】牛がほとんどで、山北陰面からは磬石(磬という楽器を作る際に用いられる石。)が、山南陽面からは【王雩】琈玉が多く産出された。山中には多くの赤鷩鳥がおり、赤鷩鳥を飼うと火を避けることができたと言う。山中にはさらに萆荔草があり、その形状は烏韮(大葉金花草)のようであり、石の上面に生えている場合や下から上に木を伝うように生えている場合もあり、人が食べると心臓の痛みに効果があると言う。

さらに西へ八十里に符禺山があり、山南陽面からは銅が産出され、山北陰面からは鉄が産出された。山上には樹木があり、文茎と言い棗(なつめ)のような実で聾(ろう)に効くと言う。山中に生えている草は主に条草で、形状は葵と似ているが花は紅色で黄色の果実を実らせた。果実は赤ちゃんの舌のようで、それを食べると惑わされなくなるという。符禺水はこの山を出て北へ向かい渭水へと注いだ。山中には野獣がおり、葱聋と言った。その形状は一般的な羊であるが紅色の鬣があった。山中には禽鳥もおり、鴖鳥と言った。形状は一般的な翠鳥であったが紅色の嘴を持っており、鴖鳥を飼うと火を避けることができたと言う。




さらに西へ六十里に石脆山があり、山上の樹木のほとんどはヤシの木と楠であり、ほとんどの草は条草であった。条草の形状は韮に似ているが白色の花を咲かせ、黒色の果実を実らせた。人がその果実を食べると疥癬の治癒に効果があると言う。山南陽面からは【王雩】琈玉が多く産出され、山北陰面からは銅を多く産出した。灌水はこの山より流れ出て北に向かい禺水へと注いだ。水中には硫黄と赭黄があり、この水を牛や馬の体にかけると壮健になり病気にならないと言う。

さらに西へ七十里に英山があり、山上の至る所には杻(杏の一種)の木と檀の木があり、山北陰面からは鉄が豊富に産出され、山南陽面からは黄金が豊富に産出された。禺水はこの山より流れ出て北へ向かい招水に注いだ。水中には多くの鱧魚がおり、形状は一般的な鼈(すっぽん)で、発する声は羊のようであった。山南陽面にはさらに箭竹と【上竹下媚】竹が多く生えており、住んでいる野獣の大部分は【牛乍】牛と羬羊であった。山中には禽鳥がおり、その形状は一般的なウズラで黄色の体に紅色の嘴をしており名を肥遺(ひい)と言った。その肉を食べるとハンセン病に効果があり、さらには体内の寄生虫を殺すことができると言う。

肥遺に関しては以下をご覧ください!

食べると病気が治る中国の蛇の妖怪、肥遺(フェイイー)

さらに西へ五十二里に竹山があり、山上のいたるところに背の高い木があり、山北面からは鉄が豊富に産出された。山中には草があり、名を黄雚と言い、形状はニワウルシに似ていたが、葉は麻の葉に似ていた。白色の花を咲かせ紅色の果実を結び、果実の表面の色は紅褐色で入浴の際に用いると疥癬の治療に効果があると言い、また腫物の治療にも使用できると言う。竹水はこの山より流れ出て北に向かい渭水へと注いだ。竹水の北岸には多くの小竹叢があり、さらに多くの青色の玉石があった。丹水はこの山より流れ出て南へ向かい洛水に注いだ。水中からは多くの水晶が産出され、多くの人魚がいた。山中には野獣がおり形状は小さな豚のようで白色の毛が生えており、毛は簪のように細く尖っており、先端は黒色であった。名を豪彘と言った。

さらに西へ百二十里に浮山があり、至る所に盼木があった。盼木はカラタチと同じ葉で棘はなく、木の上の虫はここに寄生していた。山中には草があり、名を薫草と言い、葉は麻の葉のようであるが、茎は四角かった。紅色の花を咲かせ黒色の果実を実らせ、味は蘼芜(香草の一種)のようで、身につけておけばライ病に効果があると言う。

さらに西へ七十里に羭次山があり、漆水はここより流れ出て北へ向かい渭水へと流れた。山上にはタラノキと樫木が生い茂っており、山下には小竹叢が繁茂していた。山北陰面からは赤銅が豊富に産出され、山南陽面からは嬰垣玉が豊富にあった。山中には野獣がおり、形状は猿のようで両腕は長く、投擲に長じており、名を嚻と言った。山中にはさらに禽鳥がおり、形状は一般的な猫頭鷹(ふくろう)に似ており、人面で足は一本しかなく、橐蜚と言った。冬によく現れ、夏には隠れており姿を見せない。その羽を身につけておくと雷に打たれても平気であるという。

さらに西へ百五十里に時山があり、草木はなかった。逐水はこの山より流れ出て北へ向かい渭水へと注いだ。水中には多くの水晶があった。

さらに西へ百七十里に南山があり、至る所に粟粒ほどの大きさの丹沙(辰砂とも。硫化水銀の事で朱の原料)があった。丹水はこの山より流れ出て北へ向かい渭水へと注いだ。山中の野獣のほとんどは猛豹であり、禽鳥のほとんどは布谷鳥(かっこう)であった。

さらに西へ百八十里に大時山があり、山上にはカジノキとカシが多くあり、山下には杻樹(杏の一種)と僵が多くあった。山北面からは銀を多く産出し、山南面からは白色の玉石が豊富にあった。涔水はこの山より流れ出て北へ向かい渭水へと注いだ。清水もこの山より流れ出ていたが南へと向かい漢水へと注いだ。




さらに西へ三百二十里に冢山があり、漢水はここより流れ出て東南へ向かい、沔水へと注いだ。嚻水もここより流れ出て北へ向かい湯水へと注いだ。山上には至る所に桃枝竹と鈎端竹が生い茂っており、住んでいる野獣は犀牛、兕、熊、羆が多く、禽鳥は白翰と赤鷩が多かった。山中には野草があり、葉は蕙草葉のようであり、茎は桔梗のようで黒い花を咲かせたが実は成らなかった。名を蓇蓉と言い、食べると子が生まれないと言う。

さらに西へ三百五十里に天帝山があり、山上には棕と楠が繁茂しており、山下に生えている草は茅草と蕙草が大部分であった。山中には野獣がおり、形状は一般的な犬で名を溪辺といい、その毛皮の上に座ると妖邪毒気を受け付けなくなると言う。山中人は禽鳥がおり、形状は一般的なウズラであるが黒い模様と紅色の毛をしていた。名を櫟と言い、その肉を食べると痔に効果があると言う。山中には草があり形状は葵に似ており、蘼芜と同じ味がしたと言う。名を杜衡と言い、馬につけると馬はより速く走ると言う。また、人が食べると首の上の瘤に効果があると言う。

さらに南へ三百八十里に皋涂山があり、蔷水はここより流れ出て西へ向かい諸資水へと流れ込んだ。涂水もここより流れ出ているが、皆無へ向かい集獲水へと注いだ。山南面には至る所に粟粒ほどの丹沙(辰砂とも。硫化水銀の事で朱の原料)があり、山北面からは銀、黄金が産出され、山上には至る所に桂の木があった。山中には白色の石があり、名を礜(礜石:よせきのことでヒ素を含む猛毒の鉱物)と言い、殺鼠剤として用いることができる。山中には草があり、形状は藁本(こうほん)に似ており、葉は葵のようであるが裏側は紅色であった。名を無条と言い、殺鼠剤として用いることができた。山中には野獣がおり、一般的な鹿であるが白い尾と馬と同じ蹄があり、人と同じ手で四本角があった。名を玃如と言った。山中にはさらに禽鳥がおり、形状はハイタカのようであるが人と同じ足があり、名を数斯と言った。その肉を食べると首の上の瘤に効果があると言う。

さらに西に百八十里に黄山があり、草木はなく至る所に竹叢が生い茂っていた。盼水はこの山より流れ出て西へ向かい赤水へと注いだ。水中には玉石が多くあった。山中には野獣がおり、その形状は一般的な牛であるが、蒼黒色の毛に大きな目があった。名を■と言った。山中にはまた禽鳥がおり、形状は一般的な猫頭鷹(フクロウ)に似ているが、青色の羽と紅色の嘴があり、人と同じ舌を持っており、人と同じように話をした。名を鸚■と言った。

さらに西へ二百里に翠山があり、山上には棕と楠が生い茂っており、山下には至る所に竹叢があった。山南面からは黄金や玉を産出し、山北面には牦牛、羚羊(れいよう)、麝が多くいた。山中の禽鳥は大部分が鸓鳥であり、形状は一般的なカササギに似ているが紅黒色の羽毛に二つの頭が有り、四本脚で人が飼うと火を避けること出来たと言う。

さらに西へ二百五十里に騩山があり、西海の岸付近にあった。そこには草木はなかったが玉石が多くあった。凄水はこの山より流れ出て西へ向かい大海へ注いだ。水中には多くの采石、黄金があり、さらに多くの粟粒ほどの丹沙(辰砂とも。硫化水銀の事で朱の原料)があった。

ここまでをまとめると、西方第一列山系は自銭来山から始まり騩山で終わり、合計十九の山があり全行程は二千九百五十七里であった。華山神が諸山神の宗主であり、祭祀には豚、牛、羊の三種の生贄で祭品を作る。羭山神は神奇威霊であり、羭山山神の祭祀には燭火を灯し、百日後に百頭の毛の色が純色の生贄用の獣を用い、百個の瑜(美しい宝石)と共に地下へ埋め、さらに百樽の美酒を煮えたぎらせる。祭祀用の玉器は百個の玉珪と百個の玉璧を用いる。その他の十七の山神の祭祀は全て同じで、全て一頭の完全に整った羊を祭品を用いる。燭は百草で作った火であるが、これがまだ燃え尽きない時分に序列を示した各色の装飾がある白茅草席につくと言う。

  • 西山経二経

西方の第二列山系の首は鈐山と言い、山上からは銅が豊富に産出され、山下からは玉が豊富に産出された。山中の樹木の大部分は杻(杏の一種)と橿であった。

西二百里進むと泰冒山があり、山南面からは金を多く産出し、山北面からは鉄を多く産出した。洛水はこの山より流れ出て東へ向かい黄河へと注いだ。水中には多くの藻玉があり、さらに多くの白色の水蛇がいた。




さらに西へ百七十里に数歴山があり、山上からは黄金が豊富に産出され、山下からは銀が豊富に産出された。山中の樹木の大部分は杻(杏の一種)と橿であった。また禽鳥の大部分は鸚■であった。楚水はこの山より流れ出て南へ向かい渭水へと注いだ。水中には多くの白色の真珠があった。

さらに西北に五十里に高山があり、山上には豊富な白銀があり、山下の至る所に青碧、雄黄があり、山中の樹木の大部分はヤシの木であった。山中の草の大部分は小竹叢であった。涇水はこの山より流れ出て東へ向かい渭水へと注いだ。水中には多くの磬石(けいせき)、青碧があった。

さらに西南に三百里に女床山があり、山南面からは黄銅が多く産出され、山北面からは石涅(中医薬の黒石脂)が多く産出された。山中の野獣は虎、豹、犀牛、兕が多く住んでいた。山中にはさらに禽鳥がおり、形状は野鶏に似ているが鮮やかな模様の羽毛があった。名を鸞鳥(らんちょう)と言い、出現すると天下は安寧となると言う。

鸞鳥に関しては以下をご覧ください!

鳳凰:朱雀のモデルとなり火の中から甦るおめでたい神鳥

さらに西へ二百里に龍首山があり、山南面からは黄金を多く産出し、山北面からは鉄が豊富に産出された。苕水はこの山を流れ出て東南へ向かい涇水へ注いだ。水中には美玉が多くあった。

さらに西へ二百里に鹿台山があり、山上からは白玉が多く産出され、山下からは銀が多く産出された。山中の野獣は■牛、羬羊、白豪が多く住んでいた。山中には禽鳥がおり、形状は一般的な雄鶏であるが人面で名を鳧徯と言い、鳧徯の名はその鳴き声に字を当ててつけられた。一度出現すると天下に戦争が起こったと言う。

さらに西へ二百里に鳥危山があり、山南面からは磬石を多く産出し、山北面の至る所に檀とカジノキがあり、山中には女腸草が多く生えていた。鳥危水はこの山より流れ出て西へ向かい赤水へと注いだ。水中には粟粒ほどの丹沙(辰砂とも。硫化水銀の事で朱の原料)が多くあった。

さらに西へ四百里に小次山があり、山上からは白玉が豊富に産出され、山下からは黄銅が豊富に産出された。山中には野獣がおり、形状は一般的な猿だが頭部は白色で足は紅色であった。名を朱厭といい、出現すると争い事が起こると言う。

さらに西へ三百里に大次山があり、山南面からは堊土(石灰)を多く産出され、山北面からは碧玉が多く産出された。山中の野獣は■牛、羚羊が多かった。

さらに西へ四百里に熏呉山があり、山上には草木はなかったが金属鉱物と玉石が豊富にあった。

さらに西へ四百里に底陽山があり、山中の樹木の大部分は水松樹、楠(正確にはタブノキを表しています。)、樟(こちらがクスノキを表しています。)であり、野獣の大部分は犀牛、兕、虎、犳、■牛であった。

さらに西へ二百五十里に衆獣山があり、山上には至る所に【王雩】琈玉があり、山下には至る所に檀樹とカジノキがあり、黄金が豊富にあった。山中の野獣は犀牛(さいぎゅう)や兕(じ)が多く住んでいた。

さらに西へ五百里に皇人山があり、山上には金属鉱物と玉石が豊富にあり、山下には石青と雄黄が豊富にあった。皇水はこの山より流れ出て西に向かい赤水へと注いだ。水中には粟粒大の丹沙(辰砂とも。硫化水銀の事で朱の原料)が多くあった。

さらに西へ三百里に中皇山があり、山上からは黄金を多く産出し、山下には棠梨(ズミ)や梅恵草(バイケイソウ)が生い茂っていた。

さらに西へ三百五十里に西皇山があり、山の南面からは金を多く産出し、山の北面からは鉄を多く産出した。山中の野獣は麋(大きい鹿)、鹿、麋牛が多くいた。

さらに西へ三百五十里に、菜山があり、山中の樹木の多くは檀樹とカジノキであった。禽鳥の多くは羅羅鳥で人を食べた。

ここまでをまとめると、西方第二列山系は自鈴山から始まり菜山で終わり、全部で十七の山があり全行程は四千百四十里であった。その内の十の山の山神は全て人面で鳥の体をしていた。その他の七座の山神は全て人面で牛の体をしており、四本の脚と一本の腕があり杖をついて歩いていた。これらの神々はいわゆる飛獣の神で、この七柱の山神の祭祀は毛物中に豚、羊を用いて祭品を作り、白茅草の席上に置く。その他の十柱の山神の祭祀の典礼には毛物中に一羽の鶏を用い、米を用いずに祭品を作る。毛物の色は単一色である必要はなく色が混ざっていても良い。

  • 西山経三経

西方第三列山系の首は崇吾山と言い、黄河の南岸にあった。山上に立ち北を向けば冢遂山が望め、南を向けば■澤が望め、西を向けば天帝の搏獣山が望め、東を向けば■淵が望めた。山中には木があり丸い葉に白いガク、そして紅色の花びらには黒い模様があった。実った果実はカラタチの実に似ており、食べると子や孫が多く生まれると言う。山中には野獣がおり、形状は猿のようで腕には模様があり、豹と同じ尻尾を持ち投擲に長じていた。名を挙父と言った。山中には禽鳥がおり、形状は一般的な野鴨のようであるが、羽が一つしかなく目も一つしかなかった。このため、二羽が合わさることで初めて飛ぶことができた。名を蛮蛮(ばんばん)と言い、一たび出現すると天下に水害が発生したと言う。

蛮蛮(比翼鳥)に関しては以下をご覧ください!

比翼鳥:翼が一本と目が一つしかない鳥だが二羽集まると飛べるようになる神秘的な鳥

西北に三百里行くと長沙山があり、泚水はここより流れ出て北へ向かい泑水へと注いだ。山上には草木はなく石青と雄黄が多くあった。

さらに北へ三百七十里に不周山があり、山上から北を向けば諸■山を望め、東には泑澤を望め、黄河の源流はこの地を潜り地下を流れており、水流が噴出している地は水の吹き出す大きな音を発していた。ここには特別に珍貴な果樹があり、実った果実は桃と似ており、葉は棗の葉に似ていた。黄色の花を咲かせガクは紅色であり、人が食べると煩悩憂愁が無くなると言う。




さらに西北へ四百二十里に峚山があり、山上の至る所には丹木があり紅色の幹には円形の葉があり、黄色の花を咲かせ紅色の果実を実らせた。味は甘く人が食べると飢餓感を感じなくなると言う。丹水はこの山より流れ出て西へ向かい稷澤へと注いだ。水中には白色の玉石が多くあった。ここには玉膏もあり、玉膏が地中から湧き出しているときには沸騰している様子であった。黄帝はよくこの玉膏を服用していたと言う。この地からさらに黒色の玉石が産出された。湧き出る玉膏を丹木に流し込むと丹木は五年分成長し、五色の美しい花を咲かせ、非常に甘く美味しい五色の果実を実らせたと言う。黄帝は峚山の美しい玉石を採集し、鐘山の陽のあたる南面へ植えた。それ以降、美しい玉である瑾と上質な宝玉である瑜の類の玉が出来、硬く精密であり潤厚で光沢があった。五色の軟らかくしっかりとした色彩を放ち非常に美しかった。もちろん天神も地の鬼も皆ここへ来て服用し、君子もその玉を身に帯びることで妖邪を遠ざけたと言う。峚山から鐘山に至るまで四百六十里の長さがあり、その間は全て水澤であった。この場所には多くの奇怪な禽鳥、奇異の野獣、神奇な魚類がおり、皆珍しい怪物であった。

さらに西北へ四百二十里に鐘山があり、その山神の子は鼓と言った。鼓の外見は人の顔に龍の体であり、かつて欽丕と共に崑崙山の南面で天神葆江を殺した。天帝はこのことで鼓と欽丕を鐘山の東面の■崖の場所で誅殺した。欽丕は大鶚に変わり、形状は普通のクマタカであるが黒色の模様と白色の頭部、紅色の嘴に虎の爪を持っていた。鳴き声は晨鵠と同じであり、出現すると大戦争が起こったと言う。鼓も鵕鳥に変わり、形状は一般的なハイタカであるが紅色の脚とまっすぐな嘴を持っていた。体には黄色の模様があり頭部は白色で、鳴き声は鴻鵠(こうこく)と似ていた。現れた地方はどこでも干ばつが起こったと言う。

さらに西へ百八十里に泰器山があり観水はここより流れ出て西へ向かい流沙へと注いだ。水中には多くの文鰩魚がおり、形状は普通の鯉であるが魚の体と鳥の羽を持っており全身には蒼色の斑紋があり白色の頭と紅の口をしておりいつも西海に行き東海まで泳ぎ、夜には飛行した。その鳴き声は鸞鶏鳥のようで、肉の味は酸味の中に甘みを帯びていた。人が食べると癪狂病が治ると言う。一たび天下に出現すると五穀豊穣となるという。

さらに西へ三百二十里に槐江山があった。丘時水はこの山より流れ出て北へ向かい泑水へと注いだ。水中には多くの■螺がいた。山上には石青、雄黄が豊富に埋蔵されており、さらに琅玕、黄金、玉石も多くあった。山南面の至る所に粟粒大の丹沙(辰砂とも。硫化水銀の事で朱の原料)があり、山北面からは色彩を帯びた黄金白金が多く産出した。この槐江山は天帝がいる半空の園圃で、天神英招が主管している。天神英招の形状は馬の体に人面で、体には虎の模様と禽鳥の羽があり四海を巡行し天帝の旨命を伝布した。発する声は轆轤(ろくろ)で水を汲むときの音と同じであった。山上から南を向けば崑崙山を望め、そこの炎が煌々と燃え上がり、気勢が広がっていた。西を向けば大澤を望め、そこは后稷が死後に埋葬された場所であった。大澤の中には多くの玉石があり、大澤の南面には多くの榣木があった。そして榣木の上面にはさらに若木が芽を出していた。北を向けば諸■山を望め、槐鬼離侖と言う神仙が住む場所であり、また鷹鸇(ようせん)などの飛禽の生息地であった。東を向けば四重に連なった桓山を望め窮鬼の住まう場所がそこにあり集っていた。ここには大量の水が流れ落ちており、清々冷々で汩々流滴であった。ある天神が山中におり、その形状は普通の牛であるが八本脚で二つの頭に並び一条の馬の尾があった。鳴き声は吹奏楽器を吹いているような声であり、出現した地方はどこでも戦争があったと言う。

英招に関しては以下をご覧ください!

天神英招:槐江山の天神で四海を飛び回る翼のある人面馬

さらに西南へ四百里に崑崙山があった。ここは天神が下界に降臨した際の都であり、天神陸吾(りくご)の主管であった。陸吾の容貌は虎の体に九条の尾があり、人面で虎の爪があった。この神は天上の九部と天帝の苑圃の時節を主管していた。

陸吾に関しては以下をご覧ください!

陸吾:高い霊力を持つ人面虎で天の九部を司る崑崙山の守護神

山中には野獣がおり、形状は普通の羊であるが四本の角を持ち名を土蝼と言い人を食べた。山中には禽鳥がおり形状は一般的な蜜蜂であるが大きさはオシドリと同じくらいであった。名を欽原と言った。この欽原鳥が刺すと刺された獣や禽鳥は死んでしまい、樹木を刺すと樹木は枯れてしまったという。山中にはさらに別の禽鳥がおり名を鶉鳥と言い、天帝の日常生活中に用いる器の装飾を主管していた。山中には樹木があり形状は普通の棠梨であるが黄色の花びらで紅色の果実を実らせ、味は李であるが種は無かった。名を沙棠と言いこれを用いると水を避け、人が食べると浮遊して沈まないと言う。山中にはさらに草があり名を■草と言い、形状は葵に似ているが味は葱に似ていた。これを食べると煩悩憂愁が無くなると言う。黄河水はこの山より流れ出て南へ向かい東を回って無達山へ注いだ。赤水もこの山より流れ出て東南へ向かい汜天水へ注いだ。洋水もこの山より流れ出て西南へ向かい丑涂水へ注いだ。黒水もこの山流れ出て西へ向かい大杆山へと到った。この山の山中には多くの奇怪な鳥獣がいた。

さらに西に三百七十里に楽游山があった。桃水はこの山より流れ出て西へ向かい稷澤へと注いだ。ここには至る所に白色の玉石があり、水中にはさらに多くの■魚がおり、形状は普通の蛇であるが四本脚でよく魚類を食べていた。山上の至る所に玉石があり、山下の至る所に青石があったが水は無かった。




さらに西へ三百五十里に玉山がありここは西王母の住まう場所であった。西王母の容貌は人と同じであるが豹と同じ尻尾と虎と同じ牙を持っており嘯叫を好んだ。ぼさぼさの頭髪の上には玉勝を戴いており天災歴と五刑残殺の気を主管した。山中には野獣がおり形状は普通の犬であるが豹の斑紋があり頭の上の角と牛の角は似ていた。名を狡と言い発する声は犬と同じであり、出現した国家はどこでも五穀豊穣となったと言う。山中には禽鳥がおり形状は野鶏のようであるが全身を通して紅色で名を勝遇と言いよく魚類を食べていた。発する声は鹿の鳴き声と似ていた。出現した国家はどこでも水害が起こったと言う。

さらに西へ四百八十里に軒轅丘(黄帝の名は軒轅(けんえん)と言いますので黄帝にゆかりのある場所であると推測されます。)があり草木は無かった。洵水は軒轅丘より流れ出て南へ向かい黒水へと注いだ。水中には粟粒ほどの丹沙(辰砂とも。硫化水銀の事で朱の原料)がありさらに多くの石青、雄黄があった。

黄帝に関しては以下をご覧ください!

黄帝:中国の始祖であり古代神話中最大の功労者

さらに西へ三百里に積石山があり、山下には石門が一つあった。黄河水はゆっくりとこの石門を過ぎ西南へと流れ去った。この積石山には万物が全て備わっていた。

さらに西へ二百里に長留山があり、天神白帝少昊(しょうこう)がここに住んでいる。山中の野獣は全て尾に模様がありで、禽鳥は全て頭に模様があった。山上からは彩色花紋の玉石が多く産出した。そこは員神磈氏の宮殿があった。この神は太陽が西の山に沈むときに光線が東方に投射することを主管している。

少昊に関しては以下をご覧ください!

少昊:黄帝の息子で鳳凰を中国中に広めた五帝の一

さらに西へ二百八十里に章莪山があり、山上には草木はなく至る所に瑶、碧の類の美玉があった。山の中では怪異現象がよく発生していた。山中には野獣がおり、形状は赤豹で五条の尾と一本の角があり発する声は石を叩く音に似ていた。名を狰と言った。山中にはさらに禽鳥がおり形状は一般的な鶴であるが一本足で紅色の斑紋と青色の体で白い嘴を持っていた。名を畢方(ひっぽう)と言い、その鳴き声は自身の名前となった。その出現する地方はどこでも怪火が発生したと言う。

畢方に関しては以下をご覧ください!

畢方:紅色で火の兆しとされている一本足の鶴に似た怪鳥

さらに西へ三百里に陰山があった。浊浴水はこの山より流れ出て南に向かい蕃澤へと注いだ。水中には多くの五彩の模様がある貝殻があった。山中には野獣がおり形状は野猫であるが白い頭部を持ち名を天狗と言った。その発する声は”猫猫”(現代風にいうとマオマオ)の読み方に似ていた。人が飼うと凶邪の気を避けると言う。

さらに西へ二百里に符惕山があり山上の至る所に棕と楠があり、山下には金属鉱物と玉石が豊富にあった。江疑と言う神がこの地に住んでいた。符惕山はよく怪異の雨が降っており、風と雲もこの地より発生した。

さらに西へ二百二十里に三危山があり、三青鳥はここに生息していた。この三危山は周囲百里あった。山上には野獣がおり、形状は普通の牛であるが白い体に四本の角があり、体には硬い毛が密集しており蓑衣を着たように見えた。名を■秵と言い、人を食べると言う。山中にはさらに禽鳥がおり、一つの頭部に三つの胴体を持ち、その形状は■鳥によく似ていた。名を鴟と言った。

さらに西へ百九十里に騩山があり、山上は美玉で覆われていが石はなかった。天神耆童がここに住んでおり、その発する声はよく磬(けい)を打ち鳴らしているように聞こえた。山下の至る所に蛇が山のように集まっていた。

さらに西へ三百五十里に天山があり、山上には豊富な金属鉱物と玉石があり、石青、雄黄も産出した。英水はこの山より流れ出て西南へ向かい湯谷へと注いだ。山中には神が住んでおり、容貌は黄色の袋のようで出現するときに放つ紅色の光は火のようであり、六本の脚に四本の羽を持ち、混沌としており顔ははっきりしなかった。また歌を歌い舞いを舞うことを知っており、元々は帝江(ていこう)であった。

帝江(混沌)に関しては以下をご覧ください!

四凶(饕餮、窮奇、梼杌、混沌):中国神話中で暴虐の限りを尽くした凶悪な四凶神

さらに西へ二百九十里に泑山があり、天神蓐收がここに住んでいた。山上からは首飾りを作れるくらいの玉石を算出し、山南面の至る所に瑾、瑜の一種の美玉があった。また、山北面の至る所には石青、雄黄があった。この山の山頂に立ち西を向けば太陽が山の向こうに落ちる情景を望める。この種の気象は天神紅光が主管している。

さらに西へ水路を百里行くと翼望山へ至る。山上には草木はなく至る所に金属鉱物と玉石があった。山中には野獣がおり形状は一般的な野猫であるが一つ目で三条の尾があり名を讙と言った。発する声は百種の当物の叫び声に匹敵するが如くであり、飼うと凶邪の気を避けると言い、食べると黄疸病の治療に効果があると言う。山中には禽鳥がおり形状は普通の鴉であるが三つの頭に六条の尾があり笑い戯れることを好んだ。名を鵸■と言い人が食べると悪夢をみなくなり、さらに凶邪の気を避けると言う。




ここまでをまとめると、西方第三列山系は崇吾山から始まり翼望山で終わり、合計二十三座で全行程は六千七百四十四里であった。諸山の山神の容貌は羊の体に人面であった。山神の祭祀の典礼は、祀神の用の吉玉を地下に埋め、祀神の米には稷米を用いる。

  • 西山経四経

西方第四列山系の首は陰山で山上にはカジノキが生い茂っているが石はなく、ここの草は莼菜、蕃草が多かった。陰水はこの山より流れ出て西へ向かい洛水へ注いだ。

さらに北へ五十里にここには労山があり紫草が生い茂っていた。弱水はこの山より流れ出て西へ向かい洛水へと注いだ。

さらに西へ五十里に罷谷山があり、洱水はこの山より流れ出て西へ向かい洛水へと注いだ。水中からは紫色の美石、碧色の玉石を多く産出した。

さらに北へ百七十里に申山があり、山上にはカジノキと柞が生い茂っており、山下には杻(杏の一種)と殭樹が生い茂っていた。山南面にはさらに金属鉱物と玉石が豊富にあった。区水はこの山より流れ出て東へ向かい黄河へと注いだ。

さらに北へ二百里に鳥山があり、山上の至る所には桑の木があり、山下の至る所にはカジノキがあった。山北面からは鉄を多く産出し、山南面からは玉石を多く産出した。辱水はこの山より流れ出て東へ向かい黄河へと注いだ。

さらに北へ二十里に上申山があり、山上には草木はなかったが至る所に大きな石があった。山上には榛と楛が生い茂っており、野獣は白鹿が多かった。山中にいる禽鳥で最も多いのは当扈鳥であり、形状は普通の野鶏であるが髯毛を羽として用いることで高く飛翔した。その肉を食べると瞬きをしなくなると言う。湯水はこの山より流れ出て東へ向かい黄河へと注いだ。

さらに北へ八十里に諸次山があり、諸次水はこの山より流れ出て東へ向かい黄河へと注いだ。この諸次山の至る所に気が生えていたが草は育たずに禽鳥野獣も生息していなかった。ただし山中には多くの蛇が集まっていた。

さらに北へ百八十里に号山があり、山中の気の大多数は漆、棕で草は白芷草、虈草、芎草が多かった。山中からはさらに汵石を多く産出した。端水はこの山より流れ出て東へ向かい黄河へと注いだ。

さらに北へ二百二十里に孟山があり、山北面からは鉄を多く産出し、山南面からは銅を多く産出した。山中の野獣の大多数は白色の狼と白色の虎で、禽鳥の大多数は白色の野鶏と白色の翠鳥(カワセミ)であった。生水はこの山より流れ出て東へ向かい黄河へ注いだ。

さらに西へ二百五十里に白於山があり、山上には松と柏が生い茂っており、山下にはクヌギと檀が生い茂っていた。山中の野獣の大多数は■牛、羬羊であり、禽鳥は猫頭鷹(フクロウ)の類が多くいた。洛水はこの山の南面より流れ出て東へ向かい渭水へと注いだ。夹水はこの山の北面より流れ出て東へ向かい生水へと注いだ。

さらに西北へ三百里に由首山があり、草木はなく冬でも夏でも積雪があった。申水はこの山の山上より流れ出て地下を潜り山下へ到達した。水中には多くの白色の玉石があった。

さらに西へ五十五里に涇谷山があった。涇水はこの山より流れ出て東南へ向かい渭水へと注いだ。ここから白銀と白玉を多く産出した。

さらに西へ百二十里に剛山があり、至る所に漆が繁茂しており、【王雩】琈玉を多く産出した。剛水はこの山より流れ出て北へ向かい渭水へと注いだ。ここには多くの神■がおり、形状は人の顔に野獣の体をしており、脚が一本に手が一本しかなく発する声は人のうめき声のようであった。

さらに西へ二百里に剛山の尾に到る。洛水はこの山より流れ出て北へ向かい黄河へと注いだ。ここには多くの蛮蛮獣がおり、形状は普通の鼠であるが甲魚の頭があり、発する声は犬の吠える声のようであった。

さらに西へ三百五十里に英鞮山があり、山上には漆が繁茂しており山下には金属鉱物と玉石が豊富に埋蔵されていた。禽鳥はすべて白色であった。涴水はこの山より流れ出て北へ向かい陵羊澤へと注いだ。水中には多くの冉遺魚がおり、魚の体に蛇の頭と六本の脚があり、眼は馬の耳のように長かった。その肉を食べると悪夢を見ないと言う。また、凶邪の気を避けることができると言う。

さらに西へ三百里に中曲山があり、山南陽面からは玉石を多く産出し、山北陰面からは雄黄、白玉と金属鉱物を多く産出した。山中には野獣がおり、形状は普通の馬であるが白い体と黒尾があり、角が一本で虎の牙と爪を持っていた。発する声は鼓を叩く音と同じで名を駁と言い虎と豹を食べた。飼うと兵器を避けることができたと言う。山中にはさらに樹木があり、形状は棠梨のようであるが葉は丸く紅色の果実を結んだ。果実は木瓜ほどの大きさと形状で名を櫰木と言い、人が食べると気力が増すと言う。

さらに西へ二百六十里に邽山があり、山上には野獣がおり形状は一般的な牛のようだが全身に刺のような剛毛があり名を窮奇(きゅうき)と言った。発する声は犬の吠える声のようで人を食べた。蒙水はこの山より流れ出て南へ向かい洋水へと注いだ。水中には黄貝が多くいた。さらに蠃魚の一種がおり、魚の体に鳥の羽を持っており発する声はオシドリの鳴き声のようであった。この鳥が出現した地方はどこでも水害が発生したと言う。

窮奇に関しては以下をご覧ください!

四凶(饕餮、窮奇、梼杌、混沌):中国神話中で暴虐の限りを尽くした凶悪な四凶神

さらに西へ二百二十里に鳥鼠同穴山があり、山上には白色の虎が多くおり、真っ白な玉も多くあった。渭水はこの山より流れ出て東へ向かい黄河へと注いだ。水中には鰠魚が多く住んでおり、形状は一般的な鱣魚に似ており出現した地方はどこでも大戦が発生したと言う。濫水はこの鳥鼠同穴山の西面より流れ出て西へ向かい漢水へと注いだ。水中には多くの■魮魚がおり形状は銚を反転させた形状に似ているが鳥の頭に魚と同じ鰭と尾を持っており、叫び声は大きな石を叩くような声であり、珠玉を吐き出したと言う。




さらに西南へ三百六十里に崦嵫山があり、山上には丹樹が生い茂っており葉はカジノキの葉に似ていた。果実は瓜くらいで花には紅色のがくがあるが黒色の模様を帯びていた。人が食べると黄疸病が治癒し、火を避けることができると言う。山南面には多くの烏亀がおり、山北陰面の至る所には玉石があった。苕水はこの山より流れ出て西へ向かい大海へ注いだ。水中には多くの磨石があった。山中には野獣がおり形状は馬の体に鳥の羽を持っており人面で蛇の尾があり、人を抱き抱えることを好み、名を孰胡と言った。山中にはさらに禽鳥がおり、形状は一般的な猫頭鷹(フクロウ)であるが人面であり、蜼(オナガザル)と同じ体であるが一条の犬の尾があった。その発する叫び声は自分の名前を言っているように聞こえた。その出現した地方はどこでも大干ばつが起こったと言う。

ここまでをまとめると、西方第四列山系は陰山より始まり崦嵫山で終わり、合計十九の山があり全行程は三千六百八十里であった。諸山の山神の祭祀典礼には全て一羽の白色の鶏を用いて献じ、祀神の米は稲米を用いる。白茅草で神の座席を作る。

以上が西方歴山の記録であり、合計七十七座で全行程は一万七千五百十七里であった。

以上

原文に関しては以下をご覧ください!

出典:baidu

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