山海経翻訳シリーズNo,11 海内経海内西経編です。
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海内西経ですが、窫窳(あつゆ)の話が多く出てきます。面白いのが巫師達が窫窳を復活させようとしている描写がみられる点です。この描写はその現場を見ているようであり、もともと絵が描かれていたと考えられています。神話上では窫窳は殺された後に甦りましたが、悪龍となり暴れまわったため后羿により退治されてしまいました。
別の箇所に大澤という言葉が見て取れますが、この大澤は巨大な湖で水鳥達が雛を育てる地であるとも言われています。かの夸父が喉の渇きを潤すために黄河の水を飲み干した後にその水を飲もうと向かった場所がこの大澤でした。
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有名な崑崙山も西の方、と言っても中原から見て西ですが、にあり開明獣によって守られています。この崑崙山より黄河が始まり、大禹が氾濫を繰り返した黄河の治水を行った場所も記されています。大禹の治水は非常に有名で、古代(4000年くらい前)に大規模な土木工事を行っていたことを示唆される一文です。
厭火国という国がありますが、火獣、禍斗が住んでいると言われている国です。
- 翻訳文
海内は西南の隅から北の国家地域の事を指し、山丘河川の様子は以下の通りである。
貳負の臣を危と言った。危と貳負は協力して窫窳(あつゆ)を殺した。天帝は貳負を疏属山中に拘禁し、その右足を刑具の上に載せ、自分の頭髪で貳負の両手を縛り山上の大樹の元に縛り付けた。この地方は開題国の西北面にあった。
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蛟龍、虬龍、燭龍、蟠龍、窫窳など様々な龍たち:中国の神獣、四象、霊獣特集
大澤は百里四方で各種の禽鳥が卵を生み雛を孵しそして羽の抜け替えをする地方である。大澤は雁門の北面にあった。
雁門山は大雁が冬に去り春に来る地方である。雁門山は高柳山の北面にあった。
高柳山は代地の北面にあった。
后稷の葬られた地で、青山緑水が取り囲んでいた。后稷の葬られた地は氐人国の西面にあった。
流黄酆氏国は疆域にあり周囲三百里の大きさであった。道路が四方に通っており、中間に大きな山があった。流黄酆氏国は后稷の葬られた地の西面にあった。
流沙の発生源は鍾山にあった。西に流れそして向きを変えて南に流れて崑崙山を過ぎる。続けて西南に流れ大海に入り黒水山に至る。
東胡国は大澤の東面にあった。
夷人国は東胡国の東面にあった。
貊国は漢水の東北面にあり、燕国と国境を接していた。その後、燕国に滅ぼされた。
孟鳥は貊国の東北面におり、この鳥の羽毛の模様は紅、黄、青の三首の色からなり、東方を向いている。
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海内の崑崙山は西北面にあり、天帝が下界に降りたときの都城であった。崑崙山は周囲八百里で高さ一万仞であった。山頂には大木のような稲があり、高さは五尋で周囲は五人がかりで抱きかかえられるほどであった。崑崙山には一面ごとに九つの丸形の井戸があり一つ一つは玉石で囲いが作られていた。崑崙山には一面ごとに九つの道門があり、道門ごとに開明獣という神獣が門を守っており、数多の天神が集う場所であった。多くの天神が集う場所は八方の山岩の間であり、赤水の岸辺であり、そこは神話の英雄の夷羿(后羿)ですら登ることができないような岩山であった。
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開明獣:虎のような体に人の顔が九つついているので色んな意味で怖い神獣
赤水は崑崙山の東南の角を出て、崑崙山の東北面に至り、そこで西南に向きを変えて南海の厭火国の東面に注いでいた。
黄河は崑崙山の東北面の角より出でて崑崙山の北面に至る。その後西南に曲がって渤海に注ぎ、さらに海外へ流れ出して西に向かった後に北に流れて、そのまま大禹が治水工事を行った積石山に至る。
洋水、黒水は崑崙山の西北の隅から出でた後、東方へと曲がり流れ去る。そして東北方向に折れ南に曲がった後に大海へ注ぎ、羽民国の南面に至る。
弱水、青水は崑崙山の西南の隅を出でてその後東方へと曲がり北へ流れる。再度西南方向に向きを変えて畢方鳥の東面を流れる。
畢方鳥に関しては以下をご覧ください!
崑崙山の南面には深さ三百仞の湖があった。開明獣の体は大きな虎ほどあり九つの頭があった。頭は全て人の顔をしており、東に向いて崑崙山の山頂に立っていた。
開明獣の西面には鳳皇、鸞鳥がおり、皆蛇を巻き付け蛇を踏んでいた。胸の前にはさらに紅色の蛇があった。
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開明獣の北面には視肉、珠樹(真珠の樹)、文玉樹(五彩美玉の樹)、玕琪樹(紅色玉石の樹)、不死樹(不死の樹で人が食べると不老長寿になる)があり、そこにいる鳳皇、鸞鳥は盾を持っていた。さらに離朱(三足鳥)、木のような大きな稲、柏樹、甘水(醴泉とも言う薄い酒)、聖木曼兑(一説によると曼兑という聖木のこと。服用すると聖明の知恵が得られるという。)があった。別の言い方をすると、聖木曼兑は挺木牙交とも言う。
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開明獣の東面には巫師神医である巫彭、巫抵、巫陽、巫履、巫凡、巫相がおり、彼らは窫窳の屍体周囲を囲んでおり、手に不死薬を捧げ死気に逆らって窫窳を復活させようとしていた。窫窳は蛇身人面で貳負とその臣下の危により殺された。
服常樹があり、その上面には三つの頭を持った人がおり、その近くにある琅玕樹の様子を静かに伺っていた。
開明獣の南面に鳥がおり、六個の頭部を持っていた。頭部は、蛟龍、蝮蛇、長尾猿、豹、鳥秩樹からなり水池の四方の樹木に止まっている様子は大変美しかった。この場所にはさらに誦鳥、クマタカ、視肉がいた。
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以上
出典:baidu
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