鳳凰 (ほうおう heng4huang2 ホンフアン)
鳳凰(ほうおう)は日本でも有名な中国の神鳥です。宇治平等院鳳凰堂など古くから様々な装飾などに使用されてきました。鳳凰は鳳皇とも書き、古代神話によく出てくる伝説の百鳥の王です。似たような神鳥に四神の朱雀がいますが、これらの違いは属性の違いにあります。朱雀は鳳凰が陰陽五行説に取り入れられ南方を守護する神鳥になりました。五行説において南方は火や赤、夏などに属しますので、赤い火属性の鳳凰が出来上がったという訳です。
東方を守護する四象の青龍も同様に作られました。因みに龍と鳳凰が一緒に現れると龍鳳呈祥と言い、大変縁起が良くおめでたい吉兆とされています。この龍鳳呈祥の図柄は食器などによく使用されています。また、鳳凰は平和の象徴でもあり、太平の世に現れると言います。麒麟も同様に太平の世になると現れると言います。
鳳凰の鳴き声は実は最古の音階に使用されたと言います。音階は黄帝の部下である伶倫(れいりん)により作り出されたといいます伶倫は鳳凰の鳴き声を聞きながらその鳴き声を真似るように長さの異なった竹製の簫管を吹いて音階を定めたと言います。
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麒麟などと同様に雄を鳳、雌を凰と呼び、雌雄まとめて鳳凰と呼びます。また、別名も多くあり、丹鳥、火鳥、鶤鶏、威鳳などです。古来から瑞祥の象徴として用いられており、中国文化に深く根ざしています。
鳳凰と龍のイメージは同じく吉祥を表していますが、その関係はだんだんと複雑になっていきました。最初の書物中の記載は山海経で、”鳥がいた、その形状は鶏の如く五彩で模様があった、名を鳳皇を言った。”とあります。そして、麟の上半身に鹿の下半身、蛇の頭に魚のしっぽ、龍の模様に亀の背中、燕の顎と鶏の嘴など様々な鳥獣の特徴を集めた神獣として描写されています。
秦、漢以降、龍はだんだんと帝王の象徴になりました。すると、皇后達は龍と同様に吉祥の象徴である鳳凰を使用し始めたため、鳳凰はだんだんと女性的な性質を帯びていきました。また、小学紺珠の第十巻には、”鳳は五種類おり、それぞれ色を持っている。すなわち、赤を鳳、黄を鵷雛、青を鸞、紫を鸑鷟、白を鴻鵠という。”とありますので、鳳凰は多くの亜種がいることになります。
亜種の一つが有名な朱雀です。朱雀はもともと鳳凰から派生したと言われており、南方の守護神となりました。五行に則ると南方は火と赤と夏に属するので、鳳凰に火属性と赤色と夏などの属性が付きました。そして出来上がったのが四象の一柱である朱雀です。
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鳳凰の種類について
鳳と凰は両者とももともとは五彩の鳥を指していました。鳳は鳳鳥を、凰は皇鳥を表します。山海経には、五彩の鳥が三種いる、一つは皇鳥、一つは鸞鳥、一つは鳳鳥である。後世の人たちは鳳と凰は同種の雄と雌であると解釈しました。鳳と凰は実在の鳥が下敷きになっておらず、空想上の鳥でした。このため、実在の生き物に当てはめようとしましたが、どの生き物にも当てはめることはできませんでした。以下に鳳凰の亜種をご説明します。
- 鳳(ほう)
論語讖には、”鳳は六象九苞がある。すなわち、六象者は頭象天、目象日、背象月、翼象風、足象地、尾象緯で、九苞者は、口包命、心合度、耳聡達、舌詘伸、色光彩、冠矩朱、距鋭鈎、音激楊、腹文戸である。行鳴は帰嬉と言い、止鳴は提扶と言い、夜鳴は善哉と言い、晨鳴は賀世と言い、飛鳴は郎都と言い、梧桐(アオギリ)のみに止まり竹の実だけを食べた。故に王は九夷に居ることを欲し、鳳とあることを喜び、生き物は繁栄した。”とあります。
- 鵷雛(えんすう)
山海経・南山経には、”南禺の山には水が湧き出ており、その水は東南を流れて海にそそいだ。そこには鳳皇、鵷雛がいた。”郭璞が注釈として”または鳳属であった。”と言及しています。荘子の秋水には、”南方に鳥がいた、その名を鵷雛と言い、梧桐(アオギリ)以外の木にはとまらず、練実、すなわち竹の実しか食べず、醴泉、すなわち甘い味の泉の水しか飲まなかった。”とあります。
- 鸞(らん)
鸞は瑞鳥で、張華は、鸞は鳳凰の亜種であり、もともとは鳳類として生まれ、長い年月が経つと五彩になった。その鳴き声は鈴のようで、周の時代に用いられた大鈴は鸞の声と言われており、ゆえに鸞は鸞駕と言われるようになった。
- 鸑鷟(がくさく)
鸑鷟は鳳凰の一段下の存在です。禽経には、鳳の小さいものを鸑鷟という。五彩の模様があり、その模様は三歳以降に現れる。また、国語には周が振興した際には、鸑鷟が岐山で鳴いた、とあります。
- 鴻鵠(こうこく)
燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや、で有名な鴻鵠です。秦の圧政にいち早く反旗を翻した陳勝が言ったと伝えられています。鴻と鵠の漢字自体はそれぞれ雁と白鳥を意味しており、燕雀安くんぞの現代語訳でも二種類の鳥を表しています。一方で鴻鵠と書くと白い鳳凰を表しており、陳勝が鴻鵠を大きな鳥という意味で言ったとも、白い鳳凰という意味で言ったともとることができます。どちらの意味で言ったのか気になりますね( ´∀`) 王氏句読では、”鴻鵠とは名であり、黄鵠とは別である。この鳥は白く黄鵠の黄緑色とは異なる。”とあります。また、博物志伝では、”鴻鵠は千年生きる鳥で、皆卵生ではなく胎生である。”と書いてあります。
- 鷫鸘 (しょうそう? su4shuang1)
鷫鸘は古代中国伝説中の西方の神鳥です。説文(最古の漢字字典)にも記載が見られており、鷫、鷫鷞なり。五方の神鳥なり。東方発明、南方焦明、西方鷫鷞、北方幽昌、中央鳳皇である。とあります。説文中に直接鳳凰であるという記述はありませんが、中央が鳳皇ですので、鷫鸘も鳳凰と関連があると考えられます。
出典:baidu
鳳凰の外見
《爾雅・釈鳥》で郭璞は、鳳凰の外見を以下のように言及しています。”鶏の頭、燕の顎、蛇の首、亀の背、魚の尾、五彩色で高さは六尺である。”《説文解字》には、”鳳は象である。前方が麟で後方が鹿、蛇の頭に魚の尾、龍の模様に亀の背、燕の顎と鶏の嘴を持っており五色であった。”東方の君子国を出て四海の外まで飛翔し、崑崙を過ぎて砥柱にて水を飲み、弱水で羽を洗う。日が暮れて風穴で暮らし、鳳凰が現れることはすなわち天下泰平である。”とあります。鳳凰の性格は高潔で、”梧桐(アオギリ)の枝にしか止まらず、練実(竹の実)しか食べず、醴泉(れいせん)しか飲まない。”とされています。
《山海経・図賛》には、”鳳凰の体には五種の字のような紋がある。首の紋は徳で、翼は順、背中は義、腹は信、胸は仁である。”とあり、《抱朴子》には、”五行では木行は仁と青を表す。鳳の頭上は青いのでゆえに仁を頂く也。金行は義と白で、鳳の首は白いので故に義を結ぶ也。火行は礼と赤で、鳳の嘴は赤いので故に礼を負う也。水行は智と黒で、鳳の胸は黒いので故に智を尊ぶ也。土行は信と黄で、鳳の足の下は黄色いので故に信を踏む也。”とあります。
鳳凰の象徴
- 華貴、たくましさ、向上、太平の象徴
鳳凰は瑞鳥であり、華貴、たくましさ、向上、太平の象徴です。古来の人々は太平の世になると鳳凰が飛んでくると思っていました。現代の漢字の元をたどると、甲骨文字に行きつきます。甲骨文字は出土している最古の漢字で、殷の遺跡である殷墟から大量に出土しています。風の甲骨文字と鳳の甲骨文字は同じであり、両者の漢字の語源は、風のある所には居ないところはない、という霊的な力の意味があります。凰は皇であり、至高至上の意味となります。これらの漢字を合わせて鳳凰が出来ました。
- 愛情の象徴
鳳は人々に幸福と吉祥をもたらします。そのため鳳は愛情の象徴の意味を持つようになりました。これにより婚礼の祝賀の際に用いられるようになり、夫婦仲睦まじいことを例えています。唐代には、銅鏡に”美鳳銜同心結図”がありました。すなわち鳳が嘴に同心結を銜えて幸福な愛情を象徴しており、夫婦がともに愛し合うことを示しています。これは、隋唐代には同心結が夫婦の愛情を象徴することは普通の事でした。
北宋になると鳳の髪留めを贈るようになりました。男女が婚約すると、女性が男性に贈ります。明代になると結婚式の礼服には鳳冠が有りました。鳳冠上には鳳凰があしらわれ、珠宝が飾られていました。現代に至っても人々は鳳を愛情の象徴に用いており、結婚式では鳳龍花燭や、鳳の図案を用いたりしています。
同心結
鳳釵
鳳冠
鳳龍花燭
- 和の象徴
ここで言う和は自然界の調和ではなく、人間社会の和を言います。人間社会の和は人間自身が作り上げていくもので、鳳凰の五色は古代中国社会の和を形成するために必要だと考えられていた、徳、義、礼、仁、信の五条の象徴となっています。
- 権力の象徴
秦の時代以前には鳳凰の図案は権力の象徴である玉器や青銅器上に描かれていました。後世では皇帝が鳳凰の使用を独占し、自身の紋や装飾にのみ使用したので鳳凰は様々な皇宮の装飾や器物、そして礼制と法律の形式を守るために鳳凰は使用されました。
- おめでたいことの象徴
鳳凰は太平の世になると現れると言い、鳳凰を見ると縁起が良いとされています。これは麒麟も同様で、太平の世になるととことこ出てきます。このため、鳳凰も麒麟もおめでたい象徴であり、瑞獣とも呼ばれています。鳳凰と龍の組み合わせは特に縁起がいいとされ、龍鳳呈祥といいます。よくラーメンなどの器に龍と鳳凰が描かれていますが、龍鳳呈祥を意味しており縁起のいい図柄とされています。
龍鳳呈祥
麒麟は孔子と縁が深く、孔子が産まれるときにとぼとぼと孔子の両親の家にやってきて口から書物を吐き出しました。そして、孔子の晩年にものこのこ現れてきて人々に捕獲されます。いわゆる獲麟の故事ですが、孔子はこの故事の後すぐに亡くなっています。つまり、孔子の生まれる時と亡くなる時に麒麟が出て来たと言います。
麒麟については以下をご覧ください!
鳳凰の伝説
鳳凰は中国文化に深く根付いていることもあって、様々な伝説があります。その鳳凰伝説のご紹介です。
- 鳳は梧に止まる
梧桐(アオギリ)は樹木の王で、霊樹とも言われており、時を知り令を知ると言います。《見聞録》では、”どんな鳥も梧桐には敢えて止まらず、鳳凰を避ける。”とあります。百鳥の王の鳳凰はその身に宇宙を抱いているため、梧桐にしか止まりません。そのため、他の鳥は鳳凰を避けるために梧桐には止まりません。《魏書・王勰伝》にも、”鳳凰は梧桐にしか止まらない。”とあります。鳳凰が止まる木を選ぶことは、後世では賢人は仕える主を選ぶことに例えられています。
- 鳳凰の象徴を得る
言い伝えによると、鳳凰は天下の治乱興亡を知ることができると言い、王道仁政を最もよく体現しており、乱世の興亡のバロメーターとなっています。このため、鳳凰は神学政治の代表的な象徴となってきました。昔の人々は五等級に分け、鳳凰の五種を政治の指標にしました。歴代の帝王は”鳳鳴朝陽(陽を浴びて鳳凰が鳴く)”、”百鳥朝鳳(全ての鳥が鳳凰の方を向く)”を盛世太平の象徴としました。
- 鳳凰が九雛を育てる
いわゆる龍生九子、鳳育九雛です。龍生九子とは、龍が様々な動物との間に子供をもうけた話ですが、鳳凰には雛を九羽育てた話があります。九雛は、《晋書・帝紀第八・穆帝哀帝廢帝海西公紀》に出てきます。すなわち、”昇平四年二月、鳳凰が九羽の雛を連れて豊城に現れた。”とあります。以降、”鳳引九雛”は天下太平で社会が繁栄する吉兆とされました。”九雛”の具体的な種類は不明です。雛なので鳥の種類であると推測され、龍生九子のように様々な鳥の雛を連れていたと思われますが、はっきりとはわかっていません。
- 鳳凰の図柄の歴史
《韓詩外伝》には鳳凰の姿が作られた経緯が書かれています。軒轅黄帝が三大部族と七十二の小部族を統合し、古代中国で初めて統一国家を作りました。統一後、統一の象徴として黄帝は一つの図柄を作ろうと考えました。大小の部族が用いていた図柄を参考位にして一つの新しい生き物を生み出しました。それが龍です。
しかし、この龍を作る際に使用されなかった部族の図柄がありました。黄帝の后である嫘は非常に聡明でありました。嫘は黄帝が龍を作る際に参考にした図柄以外の余った図柄を集めて黄帝が龍を作ったように図柄にあるパーツを組み合わせました。すなわち、孔雀の頭、白鳥の胴体、金鶏の翅、金山鶏の羽毛、金色雀の色などです。
すると一対の綺麗で華麗な大鳥が出来上がりました。漢字を作ったと言われている倉頡がこれら一対の大鳥を鳳と凰と名付けました。鳳は雄を凰は雌を表しています。この出来事以降、一対の大鳥は鳳凰と呼ばれるようになりました。
- 百鳥朝鳳
《韓詩外伝》にこのような記述があります。黄帝が即位し天下泰平となり、黄帝は伝説中の鳳凰に興味を示しました。黄帝は天老に教えを請い、天老は答えました。
「鳳凰は祥瑞の兆しで、太平の世のみ現れます。鳳凰を見ることは容易ではないですが、もし鳳凰を百鳥の中に見つけることが出来たらそれは千載一遇の祥瑞です。」
黄帝はこれを聞き面白くなかったため、言いました。「私が即位して以来天下泰平の世が続いています。しかし、鳳凰の影も形も見られないのはなぜでしょう?」天老は答えました。
「東に蚩尤が、西に少昊が、南に炎帝が、北に顓頊がそれぞれおり、四方に強敵がおりそれぞれ虎視眈々とお互いを狙っています。これの一体何が平和でしょうか?」これを聞き黄帝は兵を率いて天下統一をしました。
すると一羽の五彩の羽毛を持つ大鳥が天空を旋回していました。さらに、数ははっきりとはわかりませんでしたが、奇妙な鳥が大鳥の周りを囲んで舞を舞い出しました。黄帝はこの大鳥が鳳凰であると知り、また黄帝は祥瑞の百鳥朝鳳を見たのだと思いました。
- 鳳鳴岐山
《国語・周語上》には、周王朝が興る時、鳳凰の一種が陕西宝鶏の岐山で鳴いたという記載があります。また、西周末期の《詩経・大雅・巻阿》にも、”鳳凰は飛び、天に仕える。彼の高崗において鳳凰は鳴く。”とあります。この文も鳳鳴岐山を指しています。
このことから西周の時代には鳳鳥は神秘的な瑞獣とみなされており、遺跡から発掘される器などの上に鳳凰の模様を見て取れます。岐山は周の文公が兵を起こした山として知られ、その後天下を平定しました。織田信長は美濃の稲葉山城を改名する際にこの話を参考にして岐山の岐と孔子の生まれ故郷の曲阜の阜をとり岐阜城と命名したとも言います。
- 吹簫引鳳
伝えられるところによると、春秋時代に秦の穆公に一人の娘がいました。名を弄玉と言い、絶世の美女でさらに比較するものもないほど聡明で、音律を好みよく簫(しょう)を吹いていた。彼女が玉で飾られた笙を吹くと、その音色は鳳凰の鳴き声のようでした。穆公は宮殿内の鳳楼に彼女を住まわせました。
楼の前には高台が立っており鳳台という名でした。穆公は彼女の婿を探したいと思っていましたが、弄玉は”どうか必ず簫を吹くのが上手い人を選んでください。”と懇願しました。
穆公は四方に人を派遣し簫が上手い人を探しましたが、見つかりませんでした。ある日、弄玉は夢の中で一人の美男子を見ました。美男子は、”私は大華山(すなわち華山)の主人です。上帝は私にあなたと結婚するように命じました。”弄玉は夢で見た光景を穆公に話しました。すると穆公は大臣の孟明を華山に派遣しました。
孟明は華山で一人の簫の上手な人を見つけました名を簫史と言いました。孟明は簫史を連れて帰り、穆公に拝謁させました。穆公は簫史に簫を吹かせました。簫史は第一曲を吹き始めました。爽やかな風が吹くようなすがすがしい曲でした。第二曲目は彩雲四合、三曲目は白鶴が対を成し空に舞い孔雀も数羽木に止まっていました。百鳥が同時に鳴きやがて四方に去って行きました。穆公は遂に弄玉を簫史に嫁がせ、その後夫婦は仲睦まじく暮らしました。
簫史は弄玉に簫を教え、弄玉は《来鳳之曲》を学びました。ある日の晩、夫婦は月の下で簫を吹いていると、紫の鳳凰が来て鳳台の左に止まり、さらに赤龍が来て鳳台の右に落ち着きました。簫史は言いました。”私は本来天井の神仙です。上帝が人間の歴史が乱雑になってしまっているのを見て私に整理するように命じました。そのため簫史と称し今日にいたるまで百年以上の時の移り変わりを見てきました。
上帝は私を華山の主に命じ、あなたと結婚するように命じました。故に簫の音律を作ってあなたとの婚姻を成就させたのです。しかし、私は長期間人間界に住むことができません。今、龍と鳳が迎えに来ましたので行かなければなりません。”と言い、簫史は赤龍に乗り、弄玉は紫の鳳に乗り鳳台から飛び去ってしまいました。その晩、ある人は太華山で鳳の鳴き声を聞いたと言います。華山東峰にある引鳳亭は、《吹簫引鳳》の故事にちなんで建てられました。
- 鳳毛麟角
鳳毛麟角とは、傑出した人才や類まれな珍宝の例えとして用いられます。南朝宋人劉義慶の《世説新語・容止》に、東晋の将軍桓温を”鳳毛”としています。また、丞相王望の第五子、王敬倫を称える語でもあり、”敬倫の風姿は父に似ており、斉の桓公は「彼は生まれつきの鳳毛である。」”と言いました。
麟は麒麟で伝説中の神獣です。麟角と鳳毛は一緒で、珍しいことを表しています。《北史・文苑伝序》には、”学を志す者は牛毛の如く、学を成す者は麟角の如し。”とあり、傑出した人才や類まれな珍宝の例えとして用いられています。
- 鳳凰涅槃
鳳凰には、火を浴びて生まれ変わる、という伝説があります。昔、一種の神鳥がおり、香木を集めて自ら火を焚きました。その後、体が燃えて出来た灰の中から復活し、非常に美しく死ぬことはないので、不死鳥と言われこれは鳳凰の事を言っています。また別の伝説では、鳳凰は死神の死者であり人の魂魄を奪うことを仕事にしており、善人は天に、悪人は地に行きます。地域によってはまだこの”鳳凰勾魂”の伝説が伝えられています。
出典:baidu
鳳凰は古くから中国で信仰されてきた神鳥です。生活にも非常に深く根付いており、縁起物としてそのデザインはアクセサリーや食器など様々なものに使用されています。
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プロメテウス管理人です。
記事を書きましたのでお時間あればご覧ください^^
http://prometheusblog.net/2017/01/20/post-2866/
またネタがあればよろしくお願いいたします( ´∀` )