句芒:扶桑に住んでいて生き物の成長と繁栄を司る春の神様

句芒(こうぼう gou1mang2 ゴウマン)

句芒は古代中国神話中の木神(春神)で樹木の芽吹き成長を司るとともに、伏羲を補佐しています。太陽は毎日早朝に扶桑(ふそう)から昇っていると伝えられていますが、伏羲の補佐に加えて句芒はこの扶桑を管理しています。

伝説によると伏羲は渭水流域の成紀で生まれ、八方の風音を聞き分け、琴瑟を作り、八卦を書きだし、蜘蛛を真似て漁の網を作ったと言い中国の石器時代に進歩をもたらしたとされており、古の三皇に数えられている偉大な存在です。

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句芒は古代より重要視されており、毎年春祭には常に祀られ続けてきました。現代では祭祀儀式と年画の中にその姿を見ることができます。句芒は本来鳥の姿をしているとされ、鳥の胴体に人面の姿で二条の龍に乗っています。一方で春祭の時には、春天騎牛の牧童で、頭には二つの髻(もとどり:頭上で束ねられた髪)があり、手には柳鞭を持っていると言う少年の姿で描かれています。またの名を芒童と称します。

《左伝・昭公二十九年》には、”木正は句芒と言う。”とあります。《礼記・月令》には、”その帝瞳が大きく、その神句芒である。”と書いていますが、この文章に陳玄が注釈を行っており、”句芒、少皞氏の子の日重で木官であった。”と木に関連する役人であったと解釈しています。




《山海経・海外東経》にも記述がみられており、”東方句芒、鳥身人面、二条の龍に乗る。”とあります。郭璞は注釈として、”木神也。四角い顔をしており喪服を着ている。”と書いており、句芒が鳥身人面で騎龍の形象を示しています。

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《淮南子・時則訓》には、”東方の極、竭石山から朝鮮を過ぎ、貫大人の国、東は日の出の次に至り、皞木の地、青土樹木の野、太眸、句芒の所司る者一万二千里。”とあります。山海経も淮南子もどちらも句芒は東にいると書いており、淮南子に至っては日の出よりもさらに東の地に居ると書かれています。

また、句芒は伏羲とのかかわりが強く、《呂氏春秋・孟春》には、”その帝太皞、その神句芒。”とあり、高誘は、”太皞、伏羲氏、木徳王を以って天下に号する。死して東方に祀られ、木徳の帝を成す。句芒、少皞の子孫で重と言い、木徳の帝を補佐し、死して木官の神となす。”とあります。

山海経にあるように、句芒は古くは鳥身人面で龍に乗る姿として描かれていますが、これは東方にいた大白皋部族に由来しているという説があります。この部族は鳥の図柄をトーテム信仰する部族であり、句芒神もこの部族が信仰していたトーテムであったと言う説です。

出典:baidu

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