竹取物語の中の中国神話
日本は古来より多大なる中国の影響を受けてきました。それは文字や建築、着物や銅銭、食品、造船など枚挙にいとまはありません。日本では平安時代から文学が発展してきましたが、その中にも中国の影響を見て取れます。
日本の古典を読んでいても中国由来であると思われる内容が時々見られます。中国神話を知らなければスルーしてしまいそうな内容ですが、そのままにしておくのはもったいないと思い、陰陽五行説や中国神話などと照らし合わせて日本の古典中の中国由来の内容を考察することで当時の日本の状況や中国との関係などが浮き彫りにできれば面白いと思いました。日本の古典を通して昔の中国と日本との関係が見えてくれば幸いに思います。
日本の古典の中にある中国神話を見つけ出していきましょう。第一回目は誰もが知っている竹取物語です。
- 竹取物語とは
今は昔竹取の翁…で始まり、最初の一文くらいは暗記できる方も多いのではないかと思います。昔話の代名詞ともなっている非常に有名な作品です。
竹取物語は平安時代の初期に成立したとされています。平安時代は都が平安京に遷都された794年から始まりますので、この年以降に成立しています。794年以前は遣隋使や遣唐使が派遣されており、大陸との交易も行われており様々な中国の文化や情報が入ってきていた時代です。文章も漢文で書かれていましたし、様々な中国の書物をお手本にして日本の文学が発展していきました。平安時代の書物は漢文で書かれてましたが、枕草子や源氏物語など女性たちによる文学作品で仮名が用いられることにより、難解な漢文よりも読みやすいため一般的に読まれるようになって行きました。
竹取物語のあらすじは言うまでもなく、竹により生計を立てる老夫婦が竹の中にいた小さな女の子をかぐや姫と名付け育てました。かぐや姫は美しい女性に成長し、貴族たちからの求婚されるようになりましたがこれらの求婚を無理難題を言って断り続けました。その美しさにより遂には天皇からも求婚されてしまいました。天皇の求婚を断るなど当時の世では考えられませんが、かぐや姫はただの人ではなく月の住人であり、いずれは月へ帰らなければなりませんでした。このため天皇の求婚を受けることが出来ませんでした。
そして、十五夜になると月からの使者がやってきて使者と共に月へと帰っていきました。
- 中国神話の流入
中国神話を見てみますと、神話自体は3000年以上前の商王朝、つまり殷の時代から存在していることが甲骨文字などからわかっています。また、神話の舞台となった時代は神話中で最も有名な黄帝の時代で4500年程前だと言われています。
神話は古代の部族同士の争いなどが神々の話に置き換えられて物語として残っていると考えられており、これはギリシャ神話や日本の神話など世界各国の神話と同じです。
この中国神話は紀元前から西暦にかけての2000年くらい前の漢の時代に山海経や神異経、史記、淮南子など現代では文献として重要な書物が書かれました。特に司馬遷の書いた史記には五帝本紀と言う章があり、黄帝の話などが書かれています。
現実主義者の司馬遷としては歴史書に実在したかどうかも疑わしい五帝の話を書くこと不本意でしたが、神話で語られる内容に関連する事柄が起こっていた可能性も考慮して五帝本紀を記しています。
つまり、竹取物語が書かれた平安時代には豊富な中国の様々な書物が書かれており、遣隋使や遣唐使を始めとし、交易などを通してすでに日本に入ってきており、教育水準の高い人々は漢文で書かれたその書物を読みこなし、さらには漢文で文章を書いていました。古事記などは書かれた当時は漢文と日本語の文法で書かれた文章が混在していたといいます。
平安京の朱雀門など四象の名前も出てきますし、平安京自体も四神相応の都だと言われていますので、様々な名称からも読み取れる上に風水の影響を受けていることが分かります。
- 中国神話のストーリーから見る竹取物語
竹取物語を呼んでいると、中国神話の嫦娥奔月(じょうがほんげつ)を想像します。嫦娥は美しい女性として書かれており、帝俊の子供で母親は十個の月を生んだ常羲です。夫は中国神話の大英雄である太陽を射落とした后羿(こうげい)です。
嫦娥と羿の物語は現在では並行した様々な話が創作されており、一つではありません。一般的には夫の羿が太陽を射落として英雄となった後、羿は崑崙山の西王母から不死薬をもらいました。そして嫦娥がその薬を飲んでしまい月へ飛んで行き、月の広寒宮に住むようになりました。
月には白兎である玉兎がおり、不死薬を搗いていました。この玉兎が薬を搗いている様子は現在では餅を搗いている様子と混同されています。この嫦娥の神話から人々は十五夜の日に月を見て嫦娥を祀るようになったと言います。
月から来て十五夜に月に帰る美しい女性は嫦娥を連想させ、さらに最後の別れの際に不死薬を手渡すなど嫦娥奔月との共通点が見られます。一方で、広寒宮や玉兎、呉剛、后羿などの関連性のある話は見られていません。
嫦娥に関しては以下をご覧ください!
后羿に関しては以下をご覧ください!
后羿:太陽を射落とした中国神話最大の英雄で月の女神となる嫦娥の夫
玉兎に関しては以下をご覧ください!
玉兔搗薬:中国神話では月にいる兎はもともとは薬を搗いていたというお話。
呉剛に関しては以下をご覧ください!
呉剛伐桂:様々な神話のモチーフになっている永遠に月の桂を伐り続ける人
その他にかぐや姫が竹の中にいる時に小さかったことに関して神異経の内容を連想しました。
神異経には、”西北荒中に小人がいた。高さは一寸しかなかった。彼らの国君は紅の衣を身に着けていた。頭には黒い冠を被り、馬のひく大きな車に乗っており十分厳粛であった。人が偶然にも車に乗る小人国の皇帝に出会うと、彼をつまみ上げて食べるとその味は辛く、その後はどんな物も恐れず、並びに各種の物の名前を認識でき、さらに人の腹の中にいる三虫を殺すことが出来る。”という一文があります。
漢代の中国の一寸は約2.3cmで日本の平安時代では一寸は約3cmでした。
まるで唐辛子のような小人ですが、大きさ的には三寸ばかりのかぐや姫よりもさらに小さいです。子の文章だけでは竹取物語の作者が神異経の内容を知っていたかどうかは判断できませんが、この他にも火鼠の皮衣など神異経の内容が見られますので、神異経を参考にしていた可能性は大いに考えられます。
神異経に関しては以下をご覧ください!
- 陰陽五行説から見る竹取物語
中国には陰陽説と言う考え方があります。この世の全ては陰と陽からできている、というものです。天地創造の女神である女娲(じょか)の兄、伏羲はこの陰陽説を発展させて八卦を作り出したと言われています。この陰陽説に戦国時代にできた火、水、土、金、風の五行説が組み合わさり、よく知られている陰陽五行説が作られました。
女娲に関しては以下をご覧ください!
女媧:中国神話における創造神で人を始めとして様々な動物を作り出した女神
伏羲に関しては以下をご覧ください!
伏羲:中国神話はここから始まった!三皇の首で八卦を創造した中国最初の王
陰陽五行説とは何かと言いますと、物事に対する理屈、根拠を与える理論です。現代では科学により説明されますが、当時は物事は陰陽五行説により説明されていました。特に医学においては発展が目覚ましく、この理論は医療や製薬にも応用されました。
現代科学から見ると陰陽五行説は意味不明なトンデモ理論となりますが、そこは中国の数千年にも及ぶ臨床試験の積み重ねで結構いい薬などが作られたりしています。これは漢方薬として現代でも使用されています。
神農本草経に関しては以下をご覧ください!
竹取物語に出てくる不死薬に関してですが、中国の不死薬はもともとは神農氏による練丹術に由来します。神農氏は様々な薬草を練って丹と言う不死薬を作っていたと言います。この練丹術は時を経て煉丹術に変わります。
煉丹術の丹とは紅色を指しており、朱墨の原料となる硫化水銀のことも指します。赤い砂である丹砂は硫化水銀を意味します。この硫化水銀から硫黄を還元することで水銀が得られます。そしてこの水銀を各種の金属と反応させて不老不死の仙薬を作ることが煉丹術です。丹(硫化水銀)を煉る術となります。これは西洋の水銀を各種金属と反応させてアマルガムを作り、金という別の元素を得ようとする錬金術に似ています。中世の西洋は火や水など四つのエレメントで世の中ができていると考えられていましたので、西洋の錬金術と中国の煉丹術や五行などは案外シルクロードを介して繋がっていたのかもしれません。
しかし、水銀を使用して体にいいわけがありません。多くの皇帝が煉丹術により作り出された仙薬で死にました。そこでできたのが腹部の丹田で気を練る内丹術で、内丹術が発展して気功が出来たと言われています。
少々脱線しましたが、そんな陰陽五行説ですが、主人公のかぐや姫は女性であり陰に属します。さらに月も陰に属しており、月と女性は陰同士の関係となります。これと対比するように、嫦娥の夫である羿と太陽は陽同士の関係と言えます。
しかし、月と女性という陰が出てきますが、それと対比すべき陽の存在が出てきませんので、陰陽説に基づいて書かれているとは読み取れませんでした。飽くまで嫦娥の物語に着想を得て作られたという印象です。
陰陽五行説の内の五行説では物事はそれぞれが決まった属性を持っています。例えば東であれば青色と春などがセットでついてきます。青春という言葉は実はこの五行説に由来しています。
五行説に因み、五という数字は非常によく用いられており、身近な言葉では五官、五臓、五穀などが思い浮かびます。これはそれぞれが属性を持ち、互いに影響を与えているという考えにつながります。つまり、五蔵の内の心臓は火で肺は金に属しています。火と金は相克の関係にあり、火剋金(かこくごん)と言い、心臓(火)の病は肺(金)に由来する場合があることを示しています。
竹取物語で五という数字を探してみると、五人の貴公子と彼らが探し求めた五つの宝に五という数字を見て取れます。しかし、これらの宝が五行に即して考案された可能性は無きにしも非ずですが子安貝や鉢などは色や季節などの属性がはっきりとせずに五行に基づいているかどうかははっきりとは分かりません。
さらに、五行説では方角もありますが、方角に関しては唐や天竺という西方のみであり、物語中の五という数字は五行にはつながっているとは言えません。五行説に忠実に作るのであれば、東西南北中央と言う方角へそれぞれ対応する季節ごとに探しに行っているという話になると思います。
五行説で物語を作るのであれば春になると東方に龍に関する青い宝を、夏には南方に鳥に関する赤い宝を、秋には西方に虎に関する白い宝を、冬には北方に亀に関する黒い宝を、そして土用には中央で龍もしくは麒麟もしくは騰蛇に関する黄色の宝をそれぞれ探し求める、と言う内容がすっきりします。
唯一五行と関連性が見られそうな宝は龍の持つと言われる五色に光る玉です。この色は五行に由来していると連想されます。もしもこの五つの色が青、赤、白、黒、黄ならば五行に基づいていると言ってもいいと思いますが、原文に色の記述は見られません。五色は仏教にも見られており、色も五行と同じで青、赤、白、黒、黄です。
- 珍しい宝から見る竹取物語
かぐや姫は五人の貴族にそれぞれ宝を持ってくるように言いました。この五つの宝の内、三つ、則ち蓬莱の珠、火鼠の皮衣、龍の首にある五色の珠は中国との関連性が見られます。
蓬莱の珠は蓬莱山にある木になる珠です。蓬莱山は東海にあると言われる仙人の住む山のことです。ここで言う東海とは、中原(山海経では洛陽ですが)を中央として東にある海のことです。古代中国では中原の周辺は四海により囲まれていると考えられていました。現在では四海と言えば渤海、黄海、東海、南海の四つの海を言います。
秦時代の方士(道教の前身)である徐福が始皇帝のために不死薬を求めて蓬莱へと船出した話でも有名です。
中国の伝説中には、渤海の東方には帰虚という大海があり、この海には五つの仙島があるとされていました。すなわち、岱輿(たいよ)、員嶠(いんきょう)、方壷(ほうこ)、瀛州(えいしゅう)、蓬莱(ほうらい)です。これらの島は山になっており、高さが三万里と言われています。島に住んでいる人は皆神か仙人でした。このうちの蓬莱山には珠が実る木があると言われています。この蓬莱山の記述は列子の湯問に見られています。また、山海経にも一文だけ記載が見られています。
山海経の蓬莱山に関しては以下をご覧ください!
火鼠の皮衣は神異経に以下のように記載が見られています。
“南荒の外に火山があり、長さ四十里で幅五十里あった。その中の至る所に不烬の木が生えており、その中には火鼠が生きていた。
不尽木火中に鼠がおり、重さ千斤で毛の長さは二尺余り、細く絹のようであった。火の中にいたので赤く、時々外に出た。すると毛は白く水をかけると死んでしまった。その毛を取り紡いで布にすると汚れても火にくべると白く綺麗になったという。”とあります。
神異経に関しては以下をご覧ください!
これらの記述により、漢代に書かれた神異経の内容が平安時代初期には日本にも入っていたことが見て取れます。火鼠に関して神異経の内容と竹取物語の内容を比較してみると、細部まで同じことが分かります。このことから、神異経の書物自体が日本に入ってきている可能性が考えられ、日本のどこかで発掘されたりすることを想像するとわくわくしますね( ´∀`)
龍の首にある五色の珠の珠については五行もしくは仏教の影響が見られます。もう一つ、龍に関してですが、龍自体は中国でかなり古くから信仰されてきた霊獣です。龍の形成はトーテム信仰に基づいており、この信仰中で図柄が変化して龍が作られたとされます。龍は鹿の角と蛇の胴体、鷹の爪などを組み合わせてできています。
一方で龍が手に玉を握っているという話はありますが、五色の珠を持っているということに関しては中国では見られませんが、かわりに五龍と言い五行説に即した五色の龍、則ち青龍、赤龍、黄龍、白龍、黒龍が有名です。
- 地名や語句から見る竹取物語
竹取物語に見られる様々な単語から中国の影響を見ていきます。竹取物語中で中国の影響を受けていると思われる単語は少なく、強い影響は受けていない印象を持ちました。
まずは天竺という言葉が出てきますが、これは昔のインドの中国名です。直接中国とは関係ありませんが、仏教は一旦中国へと入りその後に日本に入ってきました。このため、インドの事を天竺と呼んでいました。仏教が伝来して以降、天竺はよく使用される単語となっています。
唐土という語は平安時代の中国の王朝であった唐から来ており、以降は中国の呼び名となりました。
五穀という語も気になる単語で、普通に使用していますが中国由来の単語です。これは五行説と関連が深く、米や麦などの主要な五つの穀物を指します。こちらも普通に日本に入ってきて現在まで使用され続けている語句です。
帝(みかど)という言葉も中国神話に見られる漢字です。黄帝や炎帝など帝は神様に近い帝王として描かれています。
- まとめ
全体的に中国の影響は少ないと思いました。陰陽五行などもあまり出てこないので道教の影響もありません。平安時代後期には安倍晴明という有名な陰陽師が出てきますので、平安前期に書かれた竹取物語が陰陽五行の影響を受けていてもおかしくはありません。
一方で竹取物語の原作者は神異経を読んでいた可能性が見て取れます。神異経や嫦娥奔月、列子などから着想を受け、様々な貴族たちを当てはめて物語を構成していったのかな、という印象を持ちました。また、神異経と内容が似ている山海経に関しては影響を受けたと思われる箇所は見当たりませんでした。山海経は神異経に比べて長いので単純に読むだけなら神異経の方が読みやすいです。
しかし、改めて竹取物語を読むとかぐや姫って結構酷い人だったのですね。竹取物語自体が作者の恨みのある人物たちに復讐するために書いたとも言われていますので、ああ、なるほどと思いました(;´∀`)
一つさっぱり分からなかったのが燕の子安貝です。この語源なり出てくる物語もさっぱりわかりませんでした。作者のオリジナルかとも思いましたが、宝として出ているので当時に人々にはこの貝は宝として認識されていたと思われます。子安貝自体は昔は貨幣として用いられていたこともあります。
山海経のその他の翻訳に関しては以下をご覧ください!
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竹取物語の現代文は以下のサイト様を参考にさせていただきました。
竹取物語現代語訳:学ぶ.教える.com様