四凶(饕餮、窮奇、梼杌、混沌):中国神話中で暴虐の限りを尽くした凶悪な四凶神

中国の伝説には様々な恐ろしい怪物が登場しますが、その中で最もでやばい凶獣達がこの四凶です。この四凶は諸説ありますが、最も有力なのが饕餮、窮奇、梼杌、混沌の四柱です。この四凶は古代の五帝の一人、舜帝により追放されるまで、破壊の限りを尽くしたと言います。

《史記・五帝本紀》には以下のような記述があります。

昔、鴻氏に非才の子があった。義を貶め賊を匿い、凶行悪事を好み天下はこれを渾沌(こんとん)と言った。

少皞氏に非才の子があり。信義に反し忠義とは程遠く悪言を並べたてた。天下はこれを窮奇(きゅうき)と言った。

顓頊氏に非才の子があった。教えることが出来ずに言葉も知らない。天下はこれ梼杌(とうこつ)と言った。

世はこの三族を憂いた。堯(ぎょう)の時代に至るが堯もどうすることできなかった。

縉雲氏に非才の子があった。貪欲に飲食し賄賂を貪った。天下はこれを饕餮(とうてつ)と言った。

天下はこれらの悪の元凶を憂いた。舜の時代になると四門をもてなす時に、予め兵を派遣しこの四凶族を四裔に追放して螭魅(ちみ)を防いだ。そして四門に対して悪人はいないと言った。

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また、神話は歴史を投影している通り、四凶が古代に舜帝に敵対していた部族の長であり、それが姿かたちを変えて伝説中に登場している可能性が指摘されています。今回はそんな恐ろしい四凶達をご紹介します。四凶の中で最初に紹介するのが饕餮です。




微妙な記憶ですが、饕餮はトウテツという名前でロマンシングサガの敵キャラで出てきた記憶もあります…。

  • 饕餮(タオティエ tao1tie4  トウテツ)

饕餮は中国古代神話中の神獣で、最大の特徴は食べるということにあります。饕餮は非常に貪欲で、目についたものはなんでも食べます。自分の身体すらも食べます。なので、大きな頭と大きな口が一つずつある怪物としても描かれます。周りのもののみならず自分も食べてしまうので、最後は食べ過ぎで破裂して死んでしまいます。つまり、饕餮は貪欲な人の象徴として用いられることもあります。

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伝説によると、黄帝が蚩尤と大戦争を起こした際、蚩尤は負けて首を切り落とされました。その首が饕餮になったとも言われています。《山海経・北山経》には、”鈎吾山の上には玉が沢山あり、その下には銅が沢山あった。




また、神獣もいて胴体は羊で顔は人間、目はわきの下についており、虎の牙と人間の爪を持っていた。その声は赤子のようで、人をとって食った。名を狍鴞といった。”とあります。晋代の山海経の注釈には、この狍鴞が饕餮であるとあります。

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《辞海》には、饕餮は伝説中の貪食の悪獣である。古代の容器の側面にこの饕餮の頭部が多く彫られており、装飾にもちいられていた。《呂氏春秋 先識覧》には、周時代の鼎には饕餮がよく彫られており、身体はなく頭のみであった。《神魔志異 異獣篇》には、神州極南に悪獣がおり、目が四つで黒い皮で覆われており、首が長く四足で、凶暴貪欲、動きは風のごとく速く災いの元凶であった。

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さらに《神魔志異 西荒経》には、悪獣の名前は饕餮と言い、胴体は牛のようで、人面でわきの下に目があり人を食う。とそれぞれ記述されています。

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饕餮は一種の悪獣であり、魚や蛇、鰐など魚類や爬虫類ではありません。饕餮は貪食で、これは狼の性質からきています、草原の狼は群れを成し獲物に襲い掛かり、仕留めた獲物を飽くことなくむさぼります。天下には狼と並ぶ貪欲な動物はいないと考えられてきました。草原の遊牧民にこの世で最も貪欲な生き物は何かと答えると、狼という返答が返ってきます。西漢の思想家、董仲舒は秦を狼の貪欲さにたとえました。狼子野心とも形容されています。このことから、饕餮は悪獣と貪食である狼と重ね合わせて見られるようになりました。時代が経過すると饕餮の外見は狼の外見の特徴を次第に帯びていきます。 このことから、伝説中の饕餮は狼もしくは狼が変化した神獣として描かれています。

また、何でも貪欲に喰らうと言う性質から、魔をも喰らう魔よけの神様として信仰を集めるようにもなりました。

  • 窮奇(チオンチ qiong2qi2 きゅうき)
窮奇は古代の神獣で、《山海経 海外北経》には、北に悪獣有り、名を窮奇と言い翼があり空を飛べ、人の言葉を理解しよく人心を惑わし、好んで戦争を起こした。一方で死人は好みではなく食べなかった、という記述があります。
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天神と怪獣と悪人が三位一体となって、奇怪な生き物が創造されました。《淮南子 地形訓》には、それは北方の天神と称し、身体は二頭の龍に乗っている大きな虎のようである、とあります。《山海経 西次四経》には、外見は牛のようで、野犬のような唸り声をあげ、粗く硬い光沢のない毛で覆われていて、人を食べたとあります。




《海内北経》では、窮奇の外見を虎にたとえ、翼を持ち、人を食べるときは決まって頭からかぶりついたとあります。

《左伝》では、饕餮や梼杌と同類でパッとしたところもなく、才もなく、いつも忠実な人間をそしっていたため、人々から窮奇(貧しく奇妙という意味)と呼ばれるようになった、と書かれています。

《神異経》では、窮奇は西北で生活しており、外見は虎のようで翼があり、人を好んで食べる怪物である、とあります。また、人の言葉を聞き理解でき、人の口論を聞きつけると飛んでいき、正しい方を食べてしまう。さらには、忠誠心があり信義のある人がいると聞くと飛んでいき、鼻をかみちぎるが、凶悪な悪人には、自分がかみ殺した動物を送るとあります。

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《神異経 西北荒経》には、西北に神獣がいた。虎に似て翼を持っており、人を食べ、人間のしゃべる言葉を理解していた。その神獣は西方の天帝である少昊の子供であり、その名を窮奇と言った、とあります。




窮奇は饕餮などの凶獣と比べると、幾分知能が高く、個性を持っていると言えます。これにより、より人々の生活中で登場させやすく、人々により近い怖い存在として脚色され、現在の窮奇が生み出されました。

窮奇は凶獣の代表のように扱われていますが、実は悪獣ではない話もあります。古代に疫病が蔓延した際に、宮廷では疫病に対する祈祷が行われました。そこに12匹の異獣を引き連れて旅行中の方相氏が通りかかりました。すると、方相氏に同行していた異獣の窮奇と騰根が共同して祈祷の最中に人に害をなす疫病を食べてしまう仕事を引き受けました。この話から、最初窮奇は人に益をもたらす神獣として描かれていましたが、神話が歴史と重ねあわされて神や鬼も人格が与えられ、窮奇の場合は天下の四凶とされて、最終的には舜帝に征服されてしまいました。

《史記 五帝本紀》には、少昊氏には才の無い子がおり、信を貶め忠を誹り、身の回りには悪言であふれている、天下はこれを窮奇と言った。その後、舜帝により西北に追放され、4世代を経て魑魅を御すようになった、と窮奇の来歴が記されています。同じ境遇に混沌と顓頊がいました。混沌は黄帝の子で、梼杌は顓頊の子です。共に才がなく、これらの五帝の子供たちに饕餮を加えて全員舜帝により西方に追放されました。そのため、この神たちの出現場所は、決まって五帝たちが住んでいる宮廷の西方です。ちなみに宮廷は中原、つまり長江と黄河に挟まれた地域にあったと言われています。

  • 梼杌(タオウー tao2wu4 とうこつ)
唐の時代の張守節の《史記正義》では《神異経》を引用し、西方の荒中に魔獣がいた。外見は虎のように大きく、毛の長さは2尺あり、人の顔をしており、足は虎で、口や牙は豚で、尾の長さは1丈8尺あった。荒中を荒らしまわり、名を梼杌と言った、とあります。《神異経 西荒経》も《史記正義》と同様の記述があります。
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《左伝》の文公18年によると、顓頊には才の無い子がおり、何を教えてもダメで、おしゃべりをやめることができず、言っていることは愚かで、騒ぎ立て傲慢であった。これにより天は常に乱れ、天下の民はその子を梼杌と呼んだ、とあります。このことは、悪人が死んだ後に最終的に変わる古代の有名な魔獣ではないことを表しています。このことから、梼杌は頑固な人の例えとしてもちいられるようになり、時を経て現代のような凶悪なイメージに変わっていきました。

  • 混沌(フンドゥン hun4dun4 こんとん)

混沌は、渾敦とも書きます。外見は犬のようでヒグマに似ているが爪はなく、目はあるが見えず、両耳もあるが聞こえず、胴体はあるが内臓はなく、前に進むときも足は開けず、このような状況から、後世の人々は理解不能な人を渾沌というようになりました。《史記 五帝本紀》には、帝鴻氏には、才の無い子がおり、賊をかくまったり、凶悪な所業を好んで行っていた。天下の民はこれを混沌と言った、とあります。




清末期の学者であり思想家の章太炎は《新方言 釈言》の中で、混沌は現代の言葉で語ると混蛋である、と述べています。《山海経》中では混沌の神話があり、詳細に分析されています。

《山海経》第二巻の《西山経》では、西に三百五十里行くと天山があり、金や玉を多く産出し、青い雄黄も産出された。英水の源泉で、この地域から西南に流れて暘谷へ注いでいた。ここに神鳥がおり、渾敦と言い、黄身のような形状で、炎のように赤く、足が6本、翼が4本あり、顔と目はないが、歌や踊りは知っていた、とあります。これは帝江としても知られています。この渾敦(帝江)が混沌で、もともとは混沌は歌や踊りを好む神鳥でした。

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袁枚(1716-1798)の《子不語蛇王》では次のように語られています。楚には蛇の王者がいた。帝江に似ていて、耳と目と爪と鼻がなく、口だけあった。肉の塊で、行く先々の草木が枯れてしまった。




混沌は驩兜が死後怨念が変化したものであるという説もあります。この説によると、窮奇は共工が死後変化し、梼杌は鯀の死後変化し、饕餮は三苗もしくは蚩尤の死後変化したものであるということです。驩兜、共工、鯀、三苗は四罪と言われる中国古代の悪神で、五帝の敵でした。

出典:baidu 

中国で語り継がれている四凶はもともとは天帝の子供たちもしくは天帝に近い存在、または敵対していた部族の長が変化したものだったのです。それらが時代を経て様々な変化、解釈をされ、いつしか四凶として恐れられるようになりました。

また、舜帝により追放されたのも全部西方向であったことには少し驚きました。というのも、陰陽五行学説では常に方角がついているために、五行学説に則ると、四凶たちは東西南北に追放されたと考えるのが自然です。青龍、白虎、朱雀、玄武にはしっかりと方角が与えられているのに、四凶には与えられていないのは少し不思議な感じでした。

四神の中で西を守るのは白虎です。四凶がまとめて出てきた際には白虎にとっては災難そうですね((;゚Д゚))

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