四凶(饕餮、窮奇、梼杌、混沌):中国神話中で暴虐の限りを尽くした凶悪な四凶神

四凶(しきょう si4xiong1 スーシオン )

中国の伝説には恐ろしい様々な怪物が登場しますが、その中で最もでやばい凶獣達がこの四凶です。この四凶に関しては諸説ありますが、最も有力なのが饕餮、窮奇、梼杌、混沌の四柱です。この四凶は古代の五帝の一人、帝舜により追放されるまで、破壊の限りを尽くしたと言います。

中国の神話時代は女媧の天地創造から時代が流れて、偉大なる帝である黄帝(こうてい)が蚩尤(しゆう)を倒して中原を統一したことから新たな時代を迎えます。この時代以降は黄帝の孫の顓頊(せんぎょく)や堯(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)などの帝王を経て夏王朝が成立したとされます。五帝は書物により諸説ありますが、この時代に活躍したとされる炎帝、黄帝、顓頊、帝嚳、帝堯、帝舜などを指しています。




黄帝に関しては以下をご覧ください!

黄帝:中国の始祖であり古代神話中最大の功労者

蚩尤に関しては以下をご覧ください!

蚩尤:中国神話中で最も恐れられた荒れ狂う不死身の戦神

《史記・五帝本紀》には以下のような記述があります。

昔、鴻氏に非才の子があった。義を貶め賊を匿い、凶行悪事を好み天下はこれを渾沌(こんとん)と言った。

少皞氏に非才の子があり。信義に反し忠義とは程遠く悪言を並べたてた。天下はこれを窮奇(きゅうき)と言った。

顓頊氏に非才の子があった。教えることが出来ずに言葉も知らない。天下はこれ梼杌(とうこつ)と言った。

世はこの三族を憂いた。堯(ぎょう)の時代に至るが堯もどうすることできなかった。

縉雲氏に非才の子があった。貪欲に飲食し賄賂を貪った。天下はこれを饕餮(とうてつ)と言った。

天下はこれらの悪の元凶を憂いた。舜の時代になると四門をもてなす時に、予め兵を派遣しこの四凶族を四裔に追放して螭魅(ちみ)を防いだ。そして四門に対して悪人はいないと言った。

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四凶と似ていますが、四罪という四柱の悪神たちもいました。この四罪も舜により断罪されてしまっています。このため、帝舜は四凶と四罪を鎮め加えて徳の高い治世を行ったことで偉大なる帝王として称えられています。

四罪に関しては以下をご覧ください!

四罪(共工、鯀、三苗、驩兜):古代中国神話中の悪行を尽くし舜に断罪されてしまった悪神達

帝舜に関しては以下をご覧ください!

舜:五帝に数えられる古代中国の名君で意地悪な親にも忠孝を尽くした帝

史記によると四凶とはもともとは帝王など身分の高い人物のダメ息子たちとして描かれています。しかし、神話は歴史を投影している場合がありますので、四凶が舜帝に敵対していた部族の長であり、それが変化して伝説中に登場している可能性も指摘されています。文献によって諸説入り乱れている様相を呈していますがどれも恐怖の対象として描かれています。今回はそんな恐ろしい四凶達をご紹介します。四凶の中で最初に紹介するのが饕餮です。




饕餮(とうてつ tao1tie4 タオティエ)

饕餮は中国古代神話中の神獣で最大の特徴は食べるということにあります。饕餮は非常に貪欲で、目についたものはなんでも食べまい自分の身体すらも食べます。このため大きな頭と大きな口が一つずつある怪物としても描かれます。周りのもののみならず自分も食べてしまうので、最後は食べ過ぎで破裂して死んでしまいますので饕餮は貪欲な人の象徴として用いられることもあります。

伝説によると、黄帝が蚩尤と大戦争を起こした際、蚩尤は負けて首を切り落とされました。その首が饕餮になったとも言われています。《山海経・北山経》には、”鈎吾山の上には玉が沢山あり、その下には銅が沢山あった。また、神獣もいて胴体は羊で顔は人間、目はわきの下についており、虎の牙と人間の爪を持っていた。その声は赤子のようで、人をとって食った。名を狍鴞といった。”とあります。晋代の山海経の注釈には、この狍鴞が饕餮であるとあります。

山海経北山経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,3 五蔵山経北山経編

狍鴞に関しては以下をご覧ください!

狍鴞:四凶の饕餮とも言われている人を食べる恐ろしい悪獣

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《辞海》には、饕餮は伝説中の貪食の悪獣である。古代の容器の側面にこの饕餮の頭部が多く彫られており、装飾にもちいられていた。《呂氏春秋 先識覧》には、周時代の鼎には饕餮がよく彫られており、身体はなく頭のみであった。《神魔志異 異獣篇》には、神州極南に悪獣がおり、目が四つで黒い皮で覆われており、首が長く四足で、凶暴貪欲、動きは風のごとく速く災いの元凶であった。さらに《神魔志異 西荒経》には、悪獣の名前は饕餮と言い、胴体は牛のようで、人面でわきの下に目があり人を食う。とそれぞれ記述されています。

饕餮の貪欲な性質は狼の性質からきています。草原の狼は群れを成し獲物に襲い掛かり、仕留めた獲物を飽くことなくむさぼります。天下には狼と並ぶ貪欲な動物はいないと考えられてきました。草原の遊牧民にこの世で最も貪欲な生き物は何かと答えると、狼という返答が返って来たと言います。

西漢の思想家、董仲舒は秦を狼の貪欲さにたとえました。狼子野心とも形容されています。このことから、饕餮は悪獣と貪食である狼と重ね合わせて見られるようになりました。時代が経過すると饕餮の外見は狼の外見の特徴を次第に帯びていきます。 このことから、伝説中の饕餮は狼もしくは狼が変化した神獣として描かれています。

また、何でも貪欲に喰らうと言う性質から、魔をも喰らう魔よけの神様として信仰を集めるようにもなりました。

窮奇(チオンチ qiong2qi2 きゅうき)

窮奇は古代の神獣で、《山海経 海外北経》には、北に悪獣有り、名を窮奇と言い翼があり空を飛べ、人の言葉を理解しよく人心を惑わし、好んで戦争を起こした。一方で死人は好みではなく食べなかった、という記述があります。

山海経海外北経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,8 海外経海外北経編

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天神と怪獣と悪人が三位一体となって、奇怪な生き物が創造されました。《淮南子 地形訓》には、それは北方の天神と称し、身体は二頭の龍に乗っている大きな虎のようである、とあります。《山海経西山経西次四経》には、”さらに西へ二百六十里に邽山があり、山上には野獣がおり形状は一般的な牛のようだが全身に刺のような剛毛があり名を窮奇(きゅうき)と言った。発する声は犬の吠える声のようで人を食べた。”とあります。




山海経西山経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,2 五蔵山経西山経編

《海内北経》では、”窮奇の形状は一般的な虎に似ているが羽が生えている。窮奇は人を食べるが人の頭から食べ始める。まさに食べられている人の髪の毛が乱れている。窮奇は蜪犬の北面に居る。別の言い方をすると、窮奇は人を食べるときは足から食べ始める。”とあります。

海内北経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,12 海内経海内北経編

司馬遷の《史記 五帝本紀》には、少昊氏には才の無い子がおり、信を貶め忠を誹り、身の回りには悪言であふれている、天下はこれを窮奇と言った。その後、舜帝により西北に追放され、4世代を経て魑魅を御すようになった、と窮奇の来歴が記されています。同じ境遇に混沌と顓頊がいました。混沌は帝鴻の子で、梼杌は顓頊の子です。共に才がなく、これらの五帝の子供たちに饕餮を加えて全員舜帝により西方に追放されました。そのため、この神たちの出現場所は、決まって五帝たちが住んでいる宮廷の西方です。ちなみに宮廷は中原、つまり長江と黄河に挟まれた地域にあったと言われています。

少昊に関しては以下をご覧ください!

少昊:黄帝の息子で鳳凰を中国中に広めた五帝の一

《左伝》では、饕餮や梼杌と同類でパッとしたところもなく才もなくいつも忠実な人間をそしっていたため人々から窮奇(貧しく奇妙という意味)と呼ばれるようになった、と書かれています。《神異経》では、窮奇は西北で生活しており、外見は虎のようで翼があり人を好んで食べる怪物である、とあります。また、人の言葉を聞き理解でき、人の口論を聞きつけると飛んでいき、正しい方を食べてしまう。さらには、忠誠心があり信義のある人がいると聞くと飛んでいき鼻をかみちぎるが凶悪な悪人には自分がかみ殺した動物を送るとあります。

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《神異経 西北荒経》には、西北に神獣がいた。虎に似て翼を持っており、人を食べ、人間のしゃべる言葉を理解していた。その神獣は西方の天帝である少昊の子供であり、その名を窮奇と言った、とあります。

窮奇は饕餮などの凶獣と比べると、幾分知能が高く、個性を持っていると言えます。これにより、より人々の生活中で登場させやすく、人々により近い怖い存在として脚色され、現在の窮奇が生み出されました。

窮奇は凶獣の代表のように扱われていますが、実は悪獣ではない話もあります。古代に疫病が蔓延した際に、宮廷では疫病に対する祈祷が行われました。そこに12匹の異獣を引き連れて旅行中の方相氏が通りかかりました。すると、方相氏に同行していた異獣の窮奇と騰根が共同して祈祷の最中に人に害をなす疫病を食べてしまう仕事を引き受けました。この話から、最初窮奇は人に益をもたらす神獣として描かれていましたが、神話が歴史と重ねあわされて神や鬼も人格が与えられ、窮奇の場合は天下の四凶とされて、最終的には舜帝に征服されてしまいました。




様々な書物が出てきましたが、一般的に重要視されている史料は山海経と史記の五帝本紀で共に漢代に書かれています。史記の作者は有名な司馬遷ですが山海経の作者は多数いると考えられています。山海経は謎に満ちた生き物や古代の神話を伝えていますが、司馬遷は山海経の存在は知っていてかなり胡散臭い書物であると言っています。司馬遷は史記を書く前に中国全体を回って調査を行った後に史記を書いていますので現実主義者です。この現実主義者の司馬遷にとっては山海経は受け入れられない内容でした。しかし、漢代の豊富にあったと思われる様々な書物が歴史を通して現在ではほぼ失われてしまっているため現存する山海経は貴重な資料として扱われています。

もう少し言うと、現実主義者の司馬遷は黄帝を筆頭にした五帝の存在自体も否定していました。黄帝が生きた時代は司馬遷の時代の二千五百年ほど前ですのでもちろん実在を示す証拠となる史料もなく飽くまで神話上の存在でした。にもかかわらずなぜ五帝本紀を書いたかと言うと現地調査を行った際に五帝伝説が残る地方には共通の風習などがあったため五帝のモデルがいて伝説として語り継がれているのではないかと思い、これを書き残すことに価値を見出したからです。

梼杌(タオウー tao2wu4 とうこつ)

唐の時代の張守節の《史記正義》では《神異経》を引用し、西方の荒中に魔獣がいた。外見は虎のように大きく、毛の長さは2尺あり、人の顔をしており、足は虎で、口や牙は豚で、尾の長さは1丈8尺あった。荒中を荒らしまわり、名を梼杌と言った、とあります。《神異経 西荒経》も《史記正義》と同様の記述があります。

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《左伝》の文公18年によると、顓頊には才の無い子がおり、何を教えてもダメで、おしゃべりをやめることができず、言っていることは愚かで騒ぎ立て傲慢であった。これにより天は常に乱れ、天下の民はその子を梼杌と呼んだ、とあります。このことから、梼杌は頑固な人の例えとしてもちいられるようになり、時を経て現代のような凶悪なイメージに変わっていきました。

混沌(フンドゥン hun4dun4 こんとん)

混沌は渾敦とも書きます。外見は犬のようでヒグマに似ているが爪はなく目はあるが見えず両耳もあるが聞こえず胴体はあるが内臓はなく前に進むときも足は開けず、このような状況から後世の人々は理解不能な人を渾沌というようになりました。《史記 五帝本紀》には、”帝鴻氏には才の無い子がおり賊をかくまったり凶悪な所業を好んで行っていた。天下の民はこれを混沌と言った。”とあります。




《山海経》中では混沌の神話があり、詳細に分析されています。《山海経》第二巻の《西山経》には、”さらに西へ三百五十里に天山があり、山上には豊富な金属鉱物と玉石があり、石青、雄黄も産出した。英水はこの山より流れ出て西南へ向かい湯谷へと注いだ。山中には神が住んでおり、容貌は黄色の袋のようで出現するときに放つ紅色の光は火のようであり、六本の脚に四本の羽を持ち、混沌としており顔ははっきりしなかった。また歌を歌い舞いを舞うことを知っており、元々は帝江(ていこう)であった。”とあります。この帝江が混沌とも言われており、もともとは混沌は歌や踊りを好む神鳥でした。

山海経西山経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,2 五蔵山経西山経編

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混沌は山海経と五帝本紀の内容が合わさって考えられるようになったとみられています。また、袁枚(1716-1798)の《子不語蛇王》では、”楚には蛇の王者がいた。帝江に似ていて、耳と目と爪と鼻がなく、口だけあった。肉の塊で、行く先々の草木が枯れてしまった。”と書かれています。




混沌は驩兜が死後怨念が変化したものであるという説もあります。この説によると、窮奇は共工が死後変化し、梼杌は鯀の死後変化し、饕餮は三苗もしくは蚩尤の死後変化したものであるということです。驩兜、共工、鯀、三苗は四罪と言われる中国古代の悪神でした。

出典:baidu 

今回は四凶のお話でした。中国で語り継がれている四凶はもともとは天帝の子供たちもしくは天帝に近い存在、または敵対していた部族の長が変化したものだったのです。それらが時代を経て様々な変化、解釈をされ、いつしか四凶として恐れられるようになりました。

また、舜帝により追放されたのも全部西方向であったことには少し驚きました。というのも、四象に対比されて四凶たちは東西南北に追放されたと考えるのが自然です。青龍、白虎、朱雀、玄武の四象にはしっかりと方角が与えられているのに四凶には与えられていないので五行とは関係なく語られてきたと考えられます。

四神の中で西を守るのは白虎ですが、四凶がまとめて出てきた際には白虎にとっては災難そうですね((;゚Д゚))

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