蝴蝶媽媽と妹榜妹留:神秘的な民族、苗族のご先祖様のお話

コメントいただいた鷲様のリクエストにお応えして、蝴蝶媽媽と妹榜妹留について調べてきましたので、記事にしてご報告します^^

蝴蝶媽媽(こちょうまま 蝴蝶妈妈 : hu2die2ma1ma フーディエマーマ)は中国の少数民族である苗族の神話中の人物を指します。

能力値:苗族の始祖だけあって信仰は非常に高いです。戦いの記述はないばかりか子供に殺されたという記述があるので戦闘は低いです。雷公や姜央、鬼神など凄い子供を生んでいるので、術は高そうな感じです。苗族の長であることから統率や政治もそこそこなのではないかと推測します。

蝴蝶媽媽の蝴蝶は蝶々を媽媽は母親を意味しますので、蝶々のお母さんという意味になります。妹榜妹留(mei4bang3mei4liu2 メイバンメイリウ)は苗族の言葉でこちらも蝴蝶媽媽を意味しています。

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胡蝶媽媽は中国の少数民族の一つ、苗(ミャオ)族の神話中にある《苗族古歌》の中に出てくる苗族の祖です。また苗族は”妹榜妹留”とも称されます。《妹榜妹留》もしくは《蝶母歌》は先祖を祀る歌で、十三年に一度行われる先祖供養では、厳粛な儀式の中、巫師により歌われます。苗族の若い娘たちは蝴蝶神話をモチーフにした図柄やボタンをあしらった服を羽織り、蝴蝶媽媽の加護の祈願を体現しています。

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苗族古歌は文字がない時代の記録を歌や舞で伝承したものです。

  • 蝴蝶媽媽の伝説

伝説中では蝴蝶媽媽は楓の木が変化したと言われています。楓の木が蝶々を産みました。その蝶々が蝴蝶媽媽です。蝴蝶媽媽は生まれると魚を食べる必要がありました。魚は継尾池に沢山いました。継尾の古池には麦わら帽子くらいの大きさの巨大なてんとう虫や柱のように太いドジョウ、巨大な鯉などがいました。この池の魚は蝴蝶媽媽に食べられました。彼女は喜び一度水の上の泡と”遊方”(即ち恋愛)し、妊娠した後十二個の卵を産みました。細心の注意で卵の世話をし、十二年後に姜央、雷公、龍、虎、蛇、象、牛等の十二種の兄弟が孵化しました。蝴蝶媽媽にちなんで楓の模様は苗族の重要な図柄となっています。

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また、苗族古歌の歌詞には以下のように残っています。

楓は万物の生命の木であった。大昔にこの生命の木を女神が切り倒してしまった。木の根はドジョウに変わり、木の幹は銅鼓に、枝は鵲鴿に変わり、木の芯から蝶々が現れた。蝶々は十二個の卵を産んだため、蝶々は十二個の卵の媽媽になった。十二個の卵の内、十一個は三年で孵った。産まれたのは雷公、鬼神、龍蛇、虎豹、豺狼、拥耶(最初の男性)、妮耶(最初の女性)など、人や鬼、神や獣だった。しかし一つだけは三年経っても卵のままだったので、蝴蝶媽媽は暴風にお願いした。暴風は卵を割るために崖から落とした。すると卵は割れ中から一頭の子牛が出てきた。

子牛は蝴蝶媽媽が自分で孵化させなかったので恨んでおり、蝴蝶媽媽を激しい怒りのため殺してしまった。拥耶と妮耶は牛を使って田んぼを耕していたが未だ豊かな収穫はできないでいた。鬼神は拥耶と妮耶に大牡牛が怒って蝴蝶媽媽を殺してしまったため、牛が耕す土地では作物が育たない。このため、大牡牛を殺していい作物が育つように蝴蝶媽媽を祀る必要がある、と言った。拥耶と妮耶は牛を生贄にして蝴蝶媽媽を祀った。するとすぐに大豊作に恵まれた。

これが苗族の間に今でも受け継がれている、牛を生贄にして先祖を祀る”牡蔵節”の由来の一つです。

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これらの話にちなんで蝶々は以降中国の文化中で愛情や生殖、生命など様々な意味を持つようになります。春秋時代には”庄周夢蝶”すなわち荘子が蝶になる夢を見た胡蝶の夢などの伝説ができます。その他にも中国では非常に有名な梁山伯(水滸伝の梁山泊ではなく人名)と祝英台の愛情物語があります。最後には二人の愛情は蝶に象徴されました。このような蝶のイメージが出来上がりましたので、中国では蝶の体に人面の図案や蝶の翅に人の体といった図案をよく見かけます。

  • 苗族の楓の木に対する信仰

貴州の東南地区には古くからそこに住む苗族の間で楓の木を象徴的に信仰する習慣、いわゆるトーテム信仰がありました。彼らは自分達の祖先が楓の木に由来していると信じていたため、楓の木で親しい人を作りました。苗族の古い歌である《苗族古歌》で歌う、”楓の幹があり、楓の芯もあり、幹は妹榜を産み、芯は妹留を産んだ、大昔のお母さん。” という歌詞があります。つまり、楓の幹と芯から生まれたのが”妹榜妹留”です。妹榜妹留は苗語ですが、解釈すると蝴蝶媽媽ともなります。蝴蝶媽媽とは即ち苗族の始祖です。

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蝴蝶媽媽は先ほど書いたように十二個の卵を産み、その中から十二人の子供が孵化しました。この子供たちの中で苗族にとって重要なのが姜央です。苗族はもともと姜姓でした。これは苗族の先祖がこの姜央だったからです。苗族の祖である姜央が産まれたので蝴蝶媽媽は苗族の始祖と言われます。ちなみに中国では古くから姓が同じだと先祖も同じという考えがありました。このため同一姓の婚姻が禁じられていた時期もあります。




つまり、最初は楓の木が蝴蝶媽媽を産み、蝴蝶媽媽が苗族の祖である姜央を産みました。この伝説により楓の木は苗族の象徴となり苗族のトーテム信仰につながりました。もちろん蝶々も苗族の始祖であり、苗族が古くから蝶々を媽媽と称していました。蝴蝶媽媽を敬い奉ることで村の安寧や子孫繁栄、五穀豊穣を祈願しました。雷山県に伝わっている火の災害を防ぐための掃塞という習慣も蝴蝶媽媽を祀る風習です。

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掃塞の風景

  • 書物中の記載

楓の木は古くから苗族のトーテム信仰の対象となっていましたが、このことは様々な中国の古い書物中にも見られます。《山海経・大荒南経》では、”宋山には赤蛇がおり名を育蛇と言った。山の上に木があり、楓の木と言った。蚩尤(しゆう)が楓の木の足枷を外し、そこで楓の木となった。”とあります。《雲籍七籤》第百巻の《軒轅本紀》には、”黄帝が蚩尤を黎山の丘で殺し、大荒れの中、宋山の上に打ち捨てた。その後その場所は楓林に変わった。”とあります。軒轅(けんえん)は黄帝の名前です。

両者の記述は黄帝と蚩尤が大戦争を繰り広げていた神話時代に蚩尤は捕らえられ、黄帝は楓の木で足枷を作り蚩尤を拘束した、と読み取れます。黄帝はなぜこのようなことをしたのでしょうか?行間を読むと以下のようにも解釈できます。蚩尤は楓の木を奉ずる部族連盟の首領でしたので、懲罰の効果を期待するとともに蚩尤を辱めるために特別に楓の木で足枷を作って蚩尤を拘束したのです。そして蚩尤は苗族の祖先を率いていましたので、このため苗族は楓のトーテム信仰を行うようになったと言う解釈です。

黄帝や蚩尤については以下をご覧ください!

黄帝:中国の始祖であり古代神話中最大の功労者

このような楓に対するトーテム崇拝は現在でも貴州東南の苗族の中にも脈々と伝わっています。この地方に住む苗族の言葉の中に”心心”という言葉がありますが、この”心心”とは、楓の芯を表しています。そして、”一本の楓木”は”一人の祖先”と”一根の支柱”という意味を持っており、集落の中に植えられた楓には村の安寧を保つ願いが込められています。橋のたもとに植えられた楓には人々が無事に橋を渡り切るようにとの願いが、田んぼの水路脇の楓には五穀豊穣の願いがそれぞれ込められているのです。




家族の中に長期の病を患っていると、楓の木で焼香し、頭を叩き、紅を掛けて病魔を追い出します。家を建てるときには楓の木で柱を作り子孫繁栄を願います。楓の木を植えてうまく育てばその地は吉祥を表し住居に適しているとされ、枯れてしまうと不吉な地であるのですぐに離れることが望まれました。これらの迷信は苗族の中で行われていたトーテム信仰の名残であり、苗族の楓に対するトーテム信仰の深さを今に伝えています。

出典:baidu

  • 苗族の紹介

苗族は中国南部に多く住んでいる少数民族の一つです。女性に美人が多い民族としても有名です。苗族は貴州省や湖南省などの山間部に多く住んでおり、古代から脈々と続いています。

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苗族の主食は米ですが、その他にもトウモロコシやサツマイモ、小麦なども食べます。地域によってはジャガイモや蕎麦、燕麦なども主食として食べられます。肉類は基本的に自家製の家畜の肉であり、鶏などの家禽や魚、豆類に葉野菜、瓜などの他、野草を食べることもあります。味付けの特徴は、酸味と辛味が際立っていることです。これは山間部なので塩が貴重品であったことに由来します。塩味の代わりに酢やトウガラシを使って味付けをしたと言う訳です。

苗族は酸っぱいものを好み、各家々には自家製の酸湯(酸っぱいスープ)、酸菜、酸辣、酢に漬けた魚肉などが常備されています。特に苗族の酸湯魚は肉が軟らかくてスープは鮮やかな色をしています。

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苗族の起源は古代の部落連盟である九黎とも言われ、九黎は中国の神話時代(大体5000年くらい前)に兵神蚩尤に率いられていました。蚩尤と激闘を繰り広げたのが黄帝で、様々な神獣や神様を使役して蚩尤を倒しました。神話の大詰めは、漢民族の祖となっている黄帝が様々な苦難を経て中国の長江より北部から黄河流域にかけての中原一帯を統一し、様々な発明を行って文明を築き上げていくお話です。この神話時代の話をまとめたのが有名な司馬遷の史記です。

黄帝と蚩尤が雌雄を決した涿鹿(たくろく)の戦いについては以下をご覧ください!

神獣を巻き込んだ古代中国最大の激戦、涿鹿(たくろく)の戦いとその結末

黄帝や蚩尤が実在したかどうかは当時の記録が一切残っていないので今となっては定かではありません。苗族の起源が九黎族であるかどうかももちろん定かではありませんが、各自各様の解釈が行われているようで苗族の起源も解釈の一つです。司馬遷自身も黄帝の存在自体を信じていませんでしたが、神話は実話が下敷きになっている場合も考えられますので、誰かしら黄帝のモデルがいたのではないかと考えていたようです。

苗族は朝廷に対してよく反乱を起こしていました。特に湖南省の西湘地方は山々に囲まれた険しい地方であり、苗族の反乱がおきても鎮圧が難しく、戦いは長期化しました。また、戦死した苗族の兵士の亡骸を故郷におくる際には険しい山地を越えていかなければならないため非常に重労働となりますし、運搬のために人手がとられてしまいます。このため、亡骸自体を動かそうという発想に至り、出来た術が赶屍(がんし)術です。いわゆるキョンシーを作り出す術です。術自体は道教の一派である正一派の符箓(フールゥ)派の茅山(マオシャン)道教の流れを汲んでいます。御札を額に貼ってキョンシーをコントロールします。

キョンシーに関しては以下をご覧ください!

キョンシーを徹底解説!中国のキョンシー実在調査のまとめ

また、様々な毒虫を一つの容器に入れて互いを食べさせ合うことで作りだす毒、すなわち蠱毒もこの苗族の間で盛んに行われていました。様々な呪術が生活中にあった部族です。特に呪術を行うのは女性の役割で、男性ではありません。陰陽五行に則れば、男性は陽で女性は陰です。陰の術を行うのは女性であり、出来た蠱は母親から娘に代々受け継がれていったとも言います。蠱毒自体の起源は古く殷墟の甲骨文字にもその原型が見て取れますし、伝わっている蠱毒の種類も驚くほど膨大です。春秋戦国時代には中国全土に広がっており、平安時代には日本にも伝わり陰陽師たちが秘術として行っていたようです。大昔では蠱毒は意外に一般的な呪術だったことが伺えます。

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中国の神獣妖怪のまとめページ

蠱毒に関しては以下をご覧ください!

蠱毒(こどく)で本当に人を呪えるのか?そもそも中国の蠱毒とは?




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