神獣を巻き込んだ古代中国最大の激戦、涿鹿(たくろく)の戦いとその結末

黄帝と蚩尤が合いまみえた涿鹿(たくろく)の戦いは、古代中国の覇権をめぐって黄帝と蚩尤とが行った最終決戦です。この戦いでは、人間のみならず様々な神獣や神様、妖怪などが参戦しており古代史上最も激しかったと思われる戦いです。今回はこの涿鹿(たくろく)の戦いについて書きます。(不明点は多少脚色しています)

時代は炎帝の末期です。炎帝という称号は初代の神農氏から代々継承されており、炎帝榆罔の時代です。炎帝は中原地帯(長江北部から黄河流域にかけての肥沃な地域)に勢力を持っておりましたが、権勢の衰退が見られていました。そのため、各部族が反乱を起こしても鎮圧することができずにだんだんと戦乱の世になっていきました。さらに炎帝自身も諸国を侵略していたという有様です。敵対していた蚩尤は中原の東側の九黎族を束ねていましたが、ひと際狂暴であったと言います。

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もともと炎帝と蚩尤が戦っており、敗北した炎帝が部族連盟の一員であった有熊族、すなわち黄帝に援軍を要請したことから黄帝と蚩尤との長い戦いが始まります。知勇兼備の黄帝は炎帝側の部族連盟の総大将となり、蚩尤と死闘を繰り広げました。力が拮抗していたため、すぐに膠着状態に陥り戦いは長期にわたりました。時代は石器時代の末期でした。蚩尤側の兵士は勇猛果敢な上、すでに鉄の武器を装備しており、武器で優っていました。黄帝側は炎帝の農業を取り入れ発展させることで農業生産高を上げることに成功しています。

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状況が動いたのが冀州の戦いでした。この戦いで黄帝側は蚩尤の拠点である冀州城を占領しました。この冀州城には蚩尤側の冶金施設が無傷で残っていたために、黄帝は鉄の武器を手に入れることができたのです。この出来事を以て石器時代が終わったとされています。勢いの乗った黄帝は次第に蚩尤を圧倒していったことでしょう。戦いは佳境を迎え、涿鹿(たくろく)の戦いが始まります。

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涿鹿はどこにあったかよくわかっていませんが、一説によると冀州の中部にあったのではないかと言われています。両軍とも涿鹿に集結します。黄帝側には炎帝を始め、神龍応龍、日照りの女神旱魃、軍師風后、名将力牧、英招、火神祝融、句芒などがいました。




一方の蚩尤側には夸父、蚩尤の同門の弟弟子である風伯飛廉、雨師屏翳の凶悪コンビ、全員勇猛であったと言われている蚩尤の兄弟達、そして美女を食べると言われている魑魅魍魎など強力な神がいました。書物によると、さらに共工、刑天、そして九天玄女がいたという記述もあります。九天玄女は仲の悪い女媧が黄帝側についたとも、西王母と共に黄帝側にいて奇門遁甲を授けたとも言われているので、どちらの味方であったのかはっきりしません。いずれにせよ両者ともに持てる戦力をすべて投入しています。

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風伯と雨師については以下をご覧ください!

黄帝を苦しめた中国最凶の風神、雨神コンビ、風伯と雨師

先制攻撃を行ったのが蚩尤でした。風神である風伯は小鹿に、雨神である雨師は虬龍(きゅうりゅう:角のある小さな龍)に化け、両神が共同で大規模な術を発動させます。空には厚い雨雲が発生し辺りはみるみる暗くなりました。その刹那、大風を伴った大雨が降ります。風雨は弱まるどころかさらに勢いを増し、巨大な竜巻まで発生しました。辺りは深い霧に包まれ極端に視界が低下したため方角が判らずに黄帝軍の兵士たちは戦いどころではなくなり右往左往してしまいます。霧は三日三晩立ち込めました。風后の敷いた陣形は次第に崩れ、黄帝軍の兵士はあてどなくさまよううちに次第に分断、孤立していきます。

黄帝軍側の兵が孤立したため、蚩尤は黄帝軍を攻撃しました。戦力を分断して各個撃破を行うことは戦争の基本です。蚩尤軍は魑魅魍魎部隊を引き連れ着実に黄帝側の兵士を減らしていきました。大嵐の中から突然不気味な魑魅魍魎が襲ってくるのです。黄帝軍陣中はこの攻撃に震え上がったことでしょう。九回の戦闘がありましたが、九回とも黄帝側は敗北して退却しました。蚩尤側の必勝の策でした。状況を打開しない限りいずれ黄帝側は全滅してしまいます。黄帝軍は泰山まで全軍退却して軍議を開きます。軍議は三日三晩続きました。

この窮地を救ったのが軍師風后です。この戦いで指南車という常に同じ方向を指し続ける車を発明したので、深い霧の中でも兵たちが指示した方向へ進めるようになり霧の中から脱出できるようになりました。黄帝側は蚩尤の必勝の策を破るべく対策を立てて蚩尤との決戦に舞い戻ります。

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黄帝軍が再度戦場に現れると、蚩尤は再び風伯と雨師に風と雨を召還させました。風后は握奇陣(あっきじん)を敷き、全方位からの攻撃に備えます。あたりは霧に包まれましたが、黄帝側は指南車を使い常に方向を把握することで自分たちの位置を見失わずに戦いました。さらにこのとき黄帝は西王母から三宮秘略五音権謀の書を与えられ、式占である奇門遁甲が使えるようになりました。

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体勢を立て直した黄帝は、軍の主力ともいえる応龍に蚩尤軍への攻撃を命じました。応龍は命令に忠実に従い、敵軍に向かっていきます。龍族の中でもひときわ高い攻撃力を誇る応龍の攻撃に対抗できるものはおらず、次第に蚩尤軍を圧倒します。劣勢に立たされた蚩尤は再び風伯と雨師に大嵐を起こさせました。大風で動けない上に大雨で辺りが水没していきます。もちろん、食料にも影響を与えたことでしょう。黄帝は応龍をいったん退却させ、畜水能力にたけた応龍にこの雨水を蓄えるように命じました。しかし、先ほどの戦闘によりこの時応龍にかなりの消耗が見られました。

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応龍(應龍):兵神蚩尤を討ち取った中国最強の龍

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雨を止めない限りやがて自軍は水没する上、食料も水をかぶり腐ってしまい戦闘どころではなくなります。焦った黄帝は、雨を止めるために日照りの女神である旱魃に頼みました。旱魃は風神と雨神が共同で起こしている大嵐に対抗すべく、術を発動させます。すると次第に雲がうすくなり、やがて少しずつ晴れ間が広がっていきました。雨師の降らせている雨が止み、空が晴れました。旱魃は何とか雨を止めることに成功します。雨神と日照りの女神、最強の降雨と最強の干ばつ、まさに最強の盾と鉾の勝負は旱魃に軍配が上がりました。降雨が封印されてしまったので雨師の能力は激減します。しかし、この戦いで旱魃も激しく消耗してしまいました。

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蚩尤側の切り札が破られたため、蚩尤軍は驚き浮足立ちます。黄帝がこの隙を見逃すはずがありません。黄帝はこの時のために応龍に水を溜めさせました。応龍は蚩尤軍が浮足立った瞬間を狙って放水し、蚩尤軍を押し流します。黄帝軍を攻撃するための雨水で自軍が攻撃されたのです、蚩尤軍の陣形は乱れ兵の表情には焦りと恐怖が浮かびます。黄帝は蚩尤本陣への突撃の機を伺っており徐々に勝利が見えてきた瞬間、そこに蚩尤軍の主力とも言うべき夸父が立ちはだかりました。

夸父は巨人族を束ねる長で、秘術を使い自分の身体を何倍もの大きさに巨大化させました。桃木剣を持って風伯と雨師を破り戦況を逆転させた旱魃に狙いを定めます。巨大化したため、戦闘力は凄まじくまともに戦っては旱魃に勝ち目はありません。これまでの優勢を一気に巻き返しそうな勢いです。あまりの凶暴さに黄帝軍も戦いに巻き込まれることを避けるため、動くことができませんでした。旱魃が倒されると次は黄帝軍に襲い掛かってきます。旱魃は最後の力を振り絞り術を発動させ、激しい干ばつを起こしました。辺りは強烈な太陽光があたり、じりじりと夸父の皮膚を焼きます。この攻撃が夸父に大ダメージを与え、夸父は全身に火傷を負い喉の渇きに苦しみました。そして夸父はこの戦いで戦死したとも、あまりの喉の渇きに水を求めて大澤湖に行く途中で渇死したとも伝えられています。




諸将の活躍により蚩尤軍が切り崩され機が熟したことを黄帝は見て取り、先陣を切って蚩尤軍に突撃を開始します。この突撃で蚩尤軍は全軍総崩れとなり退却を開始します。勝敗は決しました。逃げる蚩尤軍の追撃戦が始まります。黄帝軍の兵士たちは近くの蚩尤軍を手当たり次第に攻撃しました。しかし、応龍の眼の光は他の兵士とは違いました。応龍は近くにいる敵には目もくれず戦場にたたずみあたりを見回していました。応龍の欲しているのはただ一人、敵軍の総大将蚩尤だったのです。

応龍は蚩尤の首をとるつもりでした。戦場で蚩尤を探し回り、ついに退却する蚩尤を見つけました。そして、他の敵には目もくれず蚩尤めがけて襲い掛かります。応龍は度重なる戦闘と畜水で疲弊していましたが、それでも龍神としての戦闘力は健在で兵神として誰しも震え上がる蚩尤を追い詰めます。そして激闘の末、遂に蚩尤を倒してしまったのです。蚩尤は不死身で斬りつけてもすぐに元に戻ってしまいましたので、復活できないように四つに斬ってそれぞれ埋葬されました。また、書物によっては黄帝が蚩尤の首を斬り、切った首は四凶の一柱である饕餮に変わった、という言い伝えもあります。

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四凶(饕餮、窮奇、梼杌、混沌):中国神話中で暴虐の限りを尽くした凶悪な四凶神

この戦いに敗れた風伯と雨師は戦後黄帝に帰順しています。この勝利により、黄帝は中原を統一しました。

涿鹿の戦いで応龍は蚩尤を討ち取るという比類なき戦功をあげましたが、力を使い果たしたため天界には帰れず戦後は南方に蟄居してしまいました。旱魃も同様に雨師の能力を破るとともに蚩尤軍の要である夸父を倒すという多大な武功を上げています。しかし、力を使い果たし天に帰れず何故かキョンシーになってしまったという伝説もあります。中国の有名な妖怪であるキョンシーの起源は何とこの旱魃だったのです((;゚Д゚)) 雨師や応龍、旱魃など天候に関する神々がみんな疲弊してしまったため天に帰れず、長期間地上に雨が降らなくなってしまいました。

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戦いに勝利した黄帝は周辺も含め中原一体の覇権をほぼ手中におさめました。この後、黄帝は泰山で封禅の儀を執り行います。封禅の儀は韓非子・十過篇では次のように描写されています。

鬼神と共に泰山に登った。象に車をひかせ、六匹の蛟龍(こうりゅう)と毘方(びほう、火鴉とも。丹頂鶴に似た神鳥)を従えていた。蚩尤が前に居り、風伯が道を掃き、雨師が道を整え、虎と狼がその前におり、鬼神は後方、螣蛇は地に伏し、鳳皇は空を覆い、鬼神と共に清角という曲を奏でた。(韓非子は蚩尤が黄帝に帰順して生きているという説をとっています。)

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とあります。清角とは古代の悲しみの強い曲です。戦いの後、風伯や雨師など蚩尤ゆかりの東方の神霊は全て黄帝に帰順しています。

応龍はと言いますと、時代が過ぎて大禹の時代には、治水に悩んでいた大禹が自ら応龍の元を訪れて川の氾濫を止めるための治水工事への協力を申し出ています。この後、応龍は大禹の治水工事を成功させ、応龍は大禹の重臣となりました。

出典:baidu

この涿鹿(たくろく)の戦いの後、黄帝は中原一帯を統一します。その後、夏王朝、殷王朝へと覇者が移っていきます。黄帝の時代は紀元前2500年頃ですので、文字がなく記録が残っていない石器時代の話です。涿鹿の戦いが実際にあったかどうかは今となっては判りませんが、様々な部族間の衝突は当然起こっており、その中から勝者が出てきて王朝を作ります。そして、その過程で起こった話が下敷きになり、日本の古事記や日本書紀と同様に多分な脚色を加えられて神話として残っているものと推測されます。

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