炎帝神農氏:フーテンの寅さんと中国の妖怪退治で有名な茅山道士には意外な接点があったことが判明

炎帝神農氏 (えんていしんのうし 炎帝神农氏 yan2di4shen2nong2shi4 イェンディシェンノンシ)

炎帝神農氏(えんていしんのうし)は中国の神話時代の帝王で、神様として祭られています。神農氏は古代神話中の三皇五帝の内、三皇の一柱ですが、五帝に数えられることもあります。炎帝は称号であり、神農氏は初代の炎帝です。炎帝は神農氏以降八代にわたりました。

神農氏はその名が表すように農業の神様です。その他にも不老不死の妙薬を作る練丹術を薬草を用いて行ったとも言われており、薬の神様でもあります。また、神農氏は火の徳が強く現れていたので炎帝と称えられるようになりました。意外にも神農氏は日本でも一部で祀られており、昔から祭りの出店などを取り仕切っている的屋では神農の神などと言い、神農氏を崇めています。

映画、男はつらいよの主人公のフーテンの寅こと車寅次郎の職業も的屋です。神農氏は道教でも祀られていますので、日本の893と関係が強い的屋と中国でキョンシーなどの妖怪退治を行っている道士には神農氏を祀っているという意外な共通点があったのですΣ(゚Д゚)

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また、神農氏とは別ですが、神農という草の名前もあり、《太平御覧》第三十九巻には《神農本草》を引用して、”常山には神農という名の草がある。門の上に置いておくと毎晩人を叱る。”とあります。とんでもない草ですね(;´∀`)

今回は中国神話になくてはならない初代炎帝である神農氏についてご紹介します( ´∀`)

神農氏とは?

神農は姜水の岸(今の宝鶏市内)で生まれたと言われている古代神話中の太陽神です。神農は紀元前3245年に生まれ紀元前3080年に亡くなったとされています。炎帝自体は初代神農氏から代々継承されたため、380年続きました。炎帝神農氏と言えば初代炎帝を指します。神農は神農氏とも呼ばれ、実際に文字として記録に残っているのは戦国時代以降です。

神農氏は人々から”薬王”、”五穀王”、”五穀先帝”、”神農大帝”、”地皇”などと尊称されています。華夏の太古の三皇の一柱で、伝説中では農業と医薬の発明者で、沢山の草を片っ端から嘗めて調べたという、”神農嘗百草”の伝説もあります。人々に医療と農耕を教え、医薬と農業の神々を束ね、農作物を守り、人々を健康にし、病院や薬局では守護神とみなされています。

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伝説では神農氏の容貌は奇怪であり、人の体に牛の首を持っており、三歳で野良仕事を覚え、成人すると身長は八尺七寸あり、龍の顔に大きな唇、体はやせ細っており、胴体を除き四肢と頭部は全て透明であったと言います。伝説では神農氏は百草を自らの体で毒の有無を調べたと言います。

毒を持っている草が薬草になるため、神農氏は毒のある草を求めました。神農氏が毒のある草を食べると内臓が黒くなり、どの草が体のどの部位に影響を与えるか容易に知ることができたと言います。このため、神農氏は数多くの毒草を食べたので体に毒が蓄積し、これにより亡くなりました。

  • 炎帝神農氏が中国文化に与えた影響

《帝王世紀》には、”神農氏は在位120年で八世が過ぎた。すなわち、帝承、帝臨、帝明、帝直、帝来、帝哀、帝榆罔の八帝である。”とあります。炎帝神農氏の後に七世代が炎帝を継承しました。炎帝神農氏は即ち龍神氏族で、龍祖中には、飛龍氏、潜龍氏、居龍氏、降龍氏、土龍氏、水龍氏、青龍氏、赤龍氏、白龍氏、黒龍氏及び黄龍氏があります。また、龍は中国の政治、文学、芸術、風習に深く溶け込んで信仰され、華夏民族(炎帝時代の後に中原で栄えた民族で周王朝を建国)の象徴になりました。

9e3df8dcd100baa1306fb5f94710b912c8fc2e35神農氏の生涯

  • 神農氏の誕生

《竹書紀年》には、”炎帝神農氏、生まれは伊国であり、国を継いで伊耆氏とも言った。”宋の司馬光の《資治通監》、《四庫全書》、《帝王世紀纂要》では《竹書紀年》に沿った記述があり、伊川古に伊候国という国があったと言われており、安陽の殷墟の甲骨文字中にも”伊候”の記載があります。

初代の炎帝はこの伊で誕生したと伝えられています。《春秋緯・元命苞》に”少典妃安登が華陽に遊びに行くと神龍の首領がおり、神農を産んだ。人面であるが龍の顔で熱心に農作業を行ったので神農と言い、最初の天子となった。”これが古い昔から内容はほとんど変わらず広く知られている創成伝説です。




華陽の華は花果山の華山を指しており、今では岳頂山や花山と呼ばれています。華陽は東南の方角にあり、神龍は即ち伊川竜頭溝の天然石龍を表しています。赤龍は全長九十数メートルで、高さ九メートル五十センチ、頭は西を、体は東を向いており、尾は山中に隠し、頭、髭、牙、眼、爪、翅、鱗は全て揃っています。頭は鰐のようで、鋭利な歯は上下のあごに並んで、張った口の中には長い舌があり、口の前には二本の長いひげが伸びています。下顎は平らで龍の顔をしており二本の角が頭上に生えていますが、一本は斜め上に、一本は斜め下に生えています。背中には巨大な翅があり、神龍首と呼ばれています。

images炎帝神農氏の母親は諸説ありますが、一説によると蟜氏の安登で、伊川の”常羊”で遊んでいる際にこの地にある石の神龍を見て感動し子供を産み、その子供が大きくなると徳のある人物に育ち、民に五穀の育て方を教えて農業を発展させ、百草を賞味し、中医中薬を創り、農業の神と称されるようになったために、神農氏と称されるようになったと推測されます。中国で、我々は炎黄(炎帝と黄帝)の子孫で、龍にまつわる民族である、とよく言われていますが、これはこの逸話から来ていると考えられます。

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また、司馬貞の《三皇本紀》には、”神農氏の姓は姜氏で火徳王と言われた。母は女登と言い、女娲氏の女である。神龍との間に生まれ、姜水で育ち歴山と号し、また烈山氏とも言った。”とあります。

  • 神農氏の生涯

神農氏が生きていたと言われている時代は石器時代の末期でほとんどの人々は狩猟採集生活を送っており、まだまだ農業が未発達の時代でした。遺跡からは当時の井戸が発掘されているので、徐々に水を利用して生産高が拡大していき、人口も増加傾向にあり、強い部族と弱い部族の差が出つつある時代でした。例えば、炎帝を敗北させ滅亡寸前にまで追い込んだ兵神蚩尤率いる九黎は青銅を鋳造できる技術を持っていたため、勢力を急拡大させることができたと考えられています。

この時代に農業を発明したのが神農氏だと言われています。《周易・系辞下第八》には、”木でスキなどの農具を作り、人々に農具の使い方を教え、人々のために益をもたらした。”とあります。また、《戦国策》には、神農氏が補遂国を攻撃した、とありこれは中国で最初に起こった戦争であるとも言えます。

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《司馬貞・三皇本紀》には、”草木を賞味してその結果をまとめるとともに病気を治療した。五弦の琴を作り、市を開くことを民に教え、天下の物品を集めて交易を行った。人々が市から帰るときには欲しいものを手に入れて帰っていた。風沙の叛乱ではその徳を高めた。在位期間は百四十年で、神農氏以降の七帝は全て炎帝と称した。世代が流れて炎帝榆罔の代になると蚩尤の乱が起こった。鎮圧するどころか逆襲に合い大敗北を喫してしまったため、公孫軒轅(黄帝)に助けを求め、共に蚩尤を討伐した。”とあります。神農氏の子孫は初代以降八世代にもわたり炎帝を名乗っており、三百八十年間炎帝の時代は続きました。

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初代の神農氏は農業と共に医薬の祖でもあり、農業や医療など生活に欠かせない技術の発明を行っています。《捜神記》や《述異記》などには、薬を作る時は成陽山に行き鞭で様々な草を刈り取り、刈り取った草木を食べてみてどんな効果があるか身をもって確かめました。草木の成分が影響を与えて臓器が変色するため、毒があるかどうか分かったと言います。その結果を用いて様々な治療薬を作り、多くの命を救いましたが、この行為が死因となってしまいました。




中国で一番最初に書かれた薬草に関する本は神農ー薬経、または神農帝連続篇とも呼ばれ、神農氏が紹介されています。神農氏は神農帝仙、五穀帝仙とも呼ばれています。この本に書かれている薬草やその配合が数千年に及ぶ実践を経て中国医学として昇華し、現在に至ります。長い間、薬剤の教科書として使用されており、昔の医師たちの必携の書であるとともに中国医学の発展の祖というべき本がこの神農ー薬経です。その他にも神農氏の医薬研究の結果は《神農本草経》に残っていると言われています。

  • 神農氏の死因

伝えられるところによると神農氏はいつものように草木を嘗めて効能を調べていると間違って毒草である断腸草を食べてしまいました。解毒のため茶を飲みましたが効果が及ばず腸全体が千切れて亡くなったと言います。

神農氏の業績と様々な伝説

神農氏は大徳を以て世の中にその名をとどろかせた三皇の一人、炎帝です。農業の創始者であり医薬の祖でもあります。伝説に残っている一日百草を嘗めたので一日に七十回も中毒を起こした、という嘗百草の逸話も神農氏の大徳を伝えています。その他にも以下のような数々の伝説が残っています。

  • 延齢草伝説

ある時、神農氏は山奥の古木の森に分け入り薬草を探していました。すると毒蛇の群れに囲まれてしまいました。毒蛇たちは一斉に神農氏に襲い掛かり、腰や足、腹などに巻き付き神農氏を殺そうとしました。蛇たちは神農氏に咬みつき、血が止まらず毒により全身が腫れあがってしまいました。神農氏は痛みに苦しみ叫びました。”西母王、どうか私を助けに来てください。”西王母がこれを聞き、すぐさま青鳥に解毒仙丹を嘴に銜えさせて救助に向かわせました。青鳥は大空を旋回しながら神農氏を探し、遂に森林の中で倒れている神農氏を見つけました。毒蛇たちは西王母の使いの青鳥を見るや否や一目散に逃げだしてしまいました。

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青鳥は仙丹を神農氏の口の中に押し込みました。しばらくすると昏迷状態であった神農氏の意識がはっきりと戻りました。青鳥は自分の使命を果たしたので、大空へはばたき天へ帰りました。神農氏は感激し、天に帰っていく青鳥に向かって感謝の言葉を叫びました。すると、青鳥の口から仙丹が地面に落ち、仙丹はすぐに根を張り芽を吹き出して青草が育ちました。草の頂には一顆の紅珠がありました。神農氏はじっくりと観察してみたところ、先ほど飲んだ仙丹と全く同じであることに気が付いたので、口の中に放り込みました。すると、全身の痛みが嘘のように消え去り、嬉しくなってこう言いました。”毒蛇に咬まれたときの解毒剤があった!”そして、その薬草は”頭頂一顆珠”と呼ばれました。その後、薬剤の研究家はその草を”延齢草”と名付けました。

  • 茶葉

神農氏が嘗百草を行っているとき、常に獐鼠をそばに置いておきました。獐鼠は神農氏の五臓六腑や十二経絡を見て、薬草が体のどの部分に効果を発揮するのかを観察することができたので、神農氏の嘗百草を大いに助けました。獐鼠はまたの名を獐獅とも言いました。獐鼠は一般に伝えられている”薬不過獐鼠不霊(薬は獐鼠を不能のままにしておかない)”の伝説に出てきます。

ある日、獐鼠は巴豆(はず)という草の実を食べたところ下痢が止まらなくなりました。神農氏は獐鼠を青葉の木の下で休ませました。一晩経つと獐鼠は奇跡的に回復しました。なぜなら青木上から滴る露に解毒作用があり、獐鼠がそれを吸っていたからです。神農氏は青葉から滴る露を集め、口の中に放り込み嘗めました。すると口内が爽快になり渇きを潤しました。

神農氏は人々にこの青葉の木を教えました。これがお茶の木です。これが中国の民間で伝承されている山歌です。その内容は、”お茶の木は神農が植え、白い花が咲く。栽培しているときは雲が出ても霧が立ち込めても怖くない、大きくなれば風雨も怖くない。新芽はお茶となり百毒を解毒する。どこの家もみんな最も好きだ。”というものです。

また、茶葉の発見について以下のような伝説があります。

神農氏が室外の暖炉の上でお湯を沸かしていた時、近くの灌木から葉っぱが落ちてきて水の中に入りました。少し経った後、神農氏が葉っぱに気が付くと同時に湯気には人を魅了する香気が漂っていることに気が付きました。そのお湯は美味しくて、その後神農氏はお湯を沸かすときにはその葉っぱを入れて沸かすようになりました。これが世界中で最も愛されている飲み物の一つであるお茶の誕生と言われています。

出典:baidu

炎帝神農氏は農業の創始者であり、草木から薬を作った伝説中の人物です。市を開いた人でもあります。生活基盤となる農業と医薬、経済を発展させたため中国で崇め奉られています。この偉業は中国にとどまらず海を渡って日本にまで届き日本の文化中に根付いています。

ここまで様々なことを成し遂げたのならば、中国の伝説中で神農氏が最も偉大である、と言われそうですが最も偉大な人物は黄帝である公孫軒轅です。なぜなら、黄帝は炎帝の農業をさらに発展させるとともに文字を作り、車や船を作り音楽や養蚕、官僚システムの構築、極めつけは中原の統一まで成し遂げているからです。

つまり、有史の中国の基盤をほとんど作ってしまったという人物なので中国の漢民族の祖であるとされています。逆説的に考えると、祖である黄帝を偉大な人物とすることで民族の意識を高める効果があります。大したことがない人物が先祖ではあまりぱっとしませんから、神話とはそういうものと言ってしまえばそれまでですね(;´∀`)

古事記や日本書紀でも、神話中の出来事を解釈すると、だから天皇陛下は偉いのだ、という結論にいたります。それは歴史や神話が天皇や皇帝、民族を神格化や正当化するために作られた意図が強いからです。もちろん歴史を記述するという意図もありますが、勝者のロジックで書かれますので、例えば黄帝に歯向かった者はすべて極悪非道などと極端に偏ってしまっている場合があります。しかも、この悪評を作り上げて蚩尤達を悪者にしてしまったのはなんと孔子の儒教だったのですΣ(゚Д゚)

このような神話を見ていると、その国の歴史や文化が垣間見えてくる場合がありますので面白いですね( ´∀`)

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