青牛(兕)(せいぎゅう qing1niu2 チンニュウ)
青牛は中国古代神話に出てくる牛のような生き物で、太上老君が乗るとされています。フルネームは板角青牛と言います。太上老君とは道教で言う老子が神格化された存在です。
一方の兕は古代中国の瑞獣とされ、牛のような外見に青黒い色をしており額に角が一本あります。麒麟や鳳凰などと同様に天下泰平の時に人前に姿を現すと言われています。この兕は青牛の事を指していると言われています。
《山海経・海内南経》には、”兕(じ)は帝舜が葬られた地の東面、湘水の南岸にいた。兕の形状は一般的な牛のようで、体は青黒く角が一本あった。蒼梧山、帝舜はこの山の南面に葬られ、帝丹朱はこの山の北面に葬られた。”とあります。
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兕は舜の葬られた地の東面に住んでいて、その見た目は一般的な牛でしたが異なる点は角が一本のみしかなかったことです。また、黒っぽい青色をしていたことから青牛と呼ばれています。この地方は険しくその他にもたくさんの猛獣が住む場所でしたが、ここに兕が住んでいました。
さらに海内南経には、”兕は牛の如く青黒で額に一本の角があり、天下が栄えているときに人前に現れる。”と書かれており、麒麟や鳳凰などの瑞獣と同様に世が乱れている時期には現れず、太平の世になると現れると言います。
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- 老子が青牛を降す
青牛怪は、または”青牛”、”青牛精”と称し、古代中国伝説中の太上老君が乗っていた牛です。言い伝えによると、老子が青牛に乗り西の函谷関へと行き、そこで五千字の《道徳経》を書きました。後世の人は老子の代りに青牛を指すようになりました。また、青牛はよく明や清時代の小説中に現れています。
李老君が八歳、九歳のころ、太清宮の南面に大山があり、そこに突然一群の怪物が現れました。その怪物は大きな象のようでしたが長い鼻は無く、蹄は碗のように大きく、二つの角が頭の上にあり、両目は銅鈴に似ており、一声発するだけで虎や狼は震え上がったと言います。
人々はその怪物を神牛と呼びました。その神牛は狂暴で目に入る物には見境なく咬みつき、人を見れば食べてしまい、獅子や虎さえもその地方からいなくなってしまいました。程なくすると山の付近は神牛たちによって封鎖されてしまい人が通れなくなってしまいました。
ある日、李老君とその村の子供である二子が大人たちの目を盗んで一緒に南の山に草を刈りに行きました。しばらくすると、草が籠いっぱいになりましたが、帰るのにはまだ早い時間でしたので李老君たちは遊びだしました。煮たりは鎌を地上に刺し、李老君と二子はその場所から離れて立ち、輪投げの要領で李老君の乾坤圈(ブレスレットの美名でもともとは封神演義や西遊記などで哪吒が使用する宝貝)を鎌に投げて遊んでいました。
遊んでいる最中に叫び声が聞こえました。何と山の上から一頭の神牛が彼らに向かっていたのです。李老はその牛を見て”この獣は出てくるといいことはない。村を騒がせ百姓を傷つけ、今日こそその悪行を見られなくしてやる。”と思いました。そして二子に向かって、そいつを捕らえろ、と大声で言いました。
そう叫ぶと、李老は鎌を持って向かってくる牛に立ち向かいました。二子も老君の叫び声を聞いて鎌を手に持ち、老君に続いて走り出しました。その牛はいつも見ている一目散に逃げ去る獲物とは異なり、今見ている二人の子供は鎌を持って立ち向かってきているので違和感を覚えました。しかし、その肉を食べる様子を思い浮かべるとさらに狂暴になりました。
牛は猛烈な勢いで走ってきてそのまま二人にとびかかりました。二人は咄嗟に身を屈めると、牛は二人の頭上を飛び越えていきました。老君は牛の気勢を見てまずはその威勢を削ごうと思い、牛の臀部に鎌を突きたてました。すると牛は痛みで高く飛び上がり叫び声をあげて山へと逃げ出しました。二人はその牛を追いかけ山の中腹の洞窟まで到りました。
二人がその洞窟の様子を伺っているときに突然大きな咆哮が聞こえてきました。その叫び声の主は青牛で、ゆっくりと洞窟から出てきました。その大きさは先ほどの牛よりもさらに大きく、大きな頭に大きな口。大きな蹄を持っていました。その腹は虎でも飲み込んだのかと言わんばかりに大きく、頭の上には人の腕くらいの長さの二本の角が前に伸びていました。その様子から、牛たちのボスであることが判りました。
青牛は洞窟から出てきて二人の子供を見つけました。その凶暴さは雷の如く、頭を低くして地面に生い茂っている草をはむと、草は半尺ほむしり取られていました。心中は穏やかではなく、この地を占拠して以来逆らうものはおらず、今回の件で威厳を傷つけられたと感じていました。このため、二人に対して強い敵意を感じて飢えた虎のように襲い掛かってきました。
李老君は青牛のその怒り狂った様子を見て、この牛を治めることが出来なければ今後も人々が安心して暮らせる日は訪れないだろう、今ここでこの大青牛を治めなければならない、と思いました。
しかし、李老君はこの時大青牛を降す方法を見いだせていませんでした。青牛はすでに二子の近くまで来ており、二子に狙いを定めていました。二子は慌てずに大青牛の前足にしがみつきました。大青牛は脚にしがみつかれたのを見て二子に咬みつきました。老君はこの状況を見て、大青牛にとびかかり、手に持っていた乾坤圏で上の牙を打ち付けました。鋭い音が響き渡ると、大青牛の牙は折れていました。
大青牛は牙を折られたことに誇りを傷つけられ怒り狂い、老君を地上に倒した後に、舌をのばして二子を飲み込んでしまいました。老君は二子が食べられたことに心の底から怒りを感じました。大青牛は頭を低くして今度は老君に狙いを定めます。老君は立ち上がり、牛の角を掴んで背に飛び乗りました。両手で角を掴むと、大青牛は怒り狂い飛び跳ねて老君を振り落とそうとしました。老君は乾坤圏を取り出し、力を込めて折ると、折った乾坤圏を牛の鼻に取り付けて鼻輪にしてしまいました。これにより、大青牛は抵抗が出来なくなり従順になったと言います。
老君は牛の背から飛び降り、二子の鎌を取り出して牛の蹄を切って二つに分けました。そして、力いっぱい牛の腹を押すと胃の中身が全て吐き出されて二子が出てきました。飲み込まれただけでしたので二子はまだ生きており、すぐに目覚めました。しかし、大青牛はこれ以降一度食べたものは再度咀嚼するようになったと言います。
老君は二子が目覚めたことを見て、二子と共に大青牛に乗って山を下りました。しかし、いくらもいかないうちに、老君の後からは大小の牛がついてきているのを目にしました。これ以降、牛たちは老君に頭を下げて従いました。老君が下山すると、牛たちを村の東の草地へ連れていきました。
これ以降は、牛達を飼いならし、青草を食べること、車を引くことなどを教えることで大人しくなり、人々のために働くようになったと言います。
- 煞神説
迷信中では、青牛は煞神、即ち凶神とも言われており三煞神の一柱に数えられています。三煞神とは青羊、鳥鶏、青牛で、この三煞神を門に安置しておけば見ず知らずの人は入ってこれないと言います。
- 木精説
中国では古くから長い時間が経過した物や動植物は物の怪に変わると言われています。よく知られているのが魑魅魍魎で、魑魅魍魎は深い山中で長期間経過した石や巨木、キツネなどが変化した妖怪です。
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伝説によれば千年経った木の精は牛に変わるといい、《太平御覧》の巻九百は《崇高記》を引用して、”山に千年の大松があり、その精が青牛に変化した。”とあります。
出典:baidu
老子が青牛を倒した話はちょっと出来過ぎと言いますか、さすがに老子強過ぎですよね(;´∀`) 二子は食べられたにもかかわらず生きているとはかなり驚きの展開な上に食べた張本人の青牛に乗って意気揚々と村に帰るのはちょっと理解不能でした。一般人からすると一生もののトラウマでもう青牛には近寄りたくないですよね(´;ω;`)
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