禺猇:黄帝の息子で東海を司る鳥の体をした神様

禺猇(ぐうきょう? yu2xiao1 ユィーシヤオ)

禺猇は黄帝の息子であい東海の沙島上に住んでいる海神とされています。任姓は禺猇に由来しており禺猇の子孫は郭国を建国したと言います。夏王朝の時代には郭哀、郭支があり、商王朝の時代には郭崇がありました。しかし、郭国は紀元前670年に斉により滅ぼされました。

山海経の大荒東経には、”東海の島嶼の上に神人がおり、人の顔で鳥の体をしていた。耳には二条の黄色の蛇を掛け、足の底には二条の黄色の蛇を踏んでいた。名を禺猇と言った。黄帝は禺猇を生み、禺猇は禺京を生んだ。禺京は北海に、禺猇は東海に住んでおりどちらも海神である。”とあります。禺猇は黄帝の息子であり東の海を司る海神として書かれています。




大荒東経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,14 大荒経大荒東経編

同じ山海経の別の経には禺猇と対比されるように禺強の話が書かれており、大荒北経には、”儋耳国があり、そこに住む人の姓は任であり、神人禺号の子孫で谷米を食べた。北海の島嶼の上に神人がおり、人面で鳥の体であり、耳には二条の青蛇をかけおり、脚の下には二条の紅蛇を踏んでいた。名を禺強と言った。”とあります。禺強は禺猇と似たような神様として描かれています。また、禺猇が踏んでいた蛇は黄色でしたが禺強の場合は紅色で、耳にかけている蛇は青色でした。これは禺猇の息子の禺京と禺強がもともと同一の神様で同じ神様の記述をしたためです。

大荒北経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,17 大荒経大荒北経編

禺という神様が大勢出てきて大混乱してしまいますが、黄帝の息子の禺猇が禺京を生みました。この禺京には禺強や禺疆と言う別名があるのです。これは中国の通用字と言う習慣に由来しており、読み方の同じ漢字を代わりに使っていました。このため様々な表記が出来てそれぞれ独立した神様になっていきました。これが同じ山海経の中でも似たような神様が出てくる理由です。

出典:baidu

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