山海経に出てくる奇妙な国や民族を集めてみた。異国7(肅慎国、長股国、無啓国、一目国、柔利国、留利国、深目国、無腸国、聶耳国、誇父国)

肅慎国(しゅくしん su4shen4guo2 スゥシェングオ)

肅慎国は山海経の海外西経に記載が見られる国で、”肅慎国は白民国の北面にあった。雄常樹と言われている木があり、中原地方で聖明の天子が位を継ぐと毎回そこに住む人は雄常樹を取り樹皮で衣服を作った。”とあります。




かなり古くから中原との交流を持っていたことが伺われます。

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山海経を読もう!No,7 海外経海外西経編

肅慎とは古代中国の東北地方に住んでいた民族の事で、現代の満族の祖先にあたります。息慎や稷慎とも言いました。伝説では、舜、禹の時代にすでに中原との関係性があったと伝えられています。舜の時代には、息慎氏弓矢を朝貢し、禹が九州を平定すると周辺の部族が朝貢に来ました。その中の東北夷が即ち肅慎です。

周の武王の時代、肅慎人が楛矢石砮を朝貢したとあります。成王の時代に肅慎氏が訪朝して、成王は大臣栄伯に命じて賄息慎之命としました。康王の時代には。肅慎は再び勢力を拡大しました。周人はその領土を列挙し、肅慎、燕、亳、吾北土と称しました。春秋時代以前では肅慎人はすでに中原の王朝に臣従していたとみられています。

戦国時代以降では肅慎の名は見られなくなり、代わりに挹婁(ゆうろう)の名が出てきます。三国時代、そして晋の時代には再び肅慎の名が出現します。この理由には諸説あり議論がなされています。

肅慎族は現在の長白山以北、西は松嫩平原に到り、北は黒龍江中下流域に跨る広大な地域に分布していました。黒龍江流域、現在の黒龍江省から吉林省にかけて粛慎の典型的な石砮が出土しています。また、粛慎族が住んでいた地域では様々な場所で中原地方で使用されていた鼎や器などが発掘されており、早期より政治経済で交流が行われていたことを伺わせています。

出典:baidu

長股国(ちょうこ chang2gu3guo2 チャングゥグオ)

長股国は海外西経に記載が見られており、”長股国は雄常の北の披髪にあった。別の言い方をすると、長脚であった。”とあります。

山海経を読もう!No,7 海外経海外西経編

伝説によると、長股国の国民はよく魚を捕り、彼らの身体は普通の人間と大差はありませんが、二本の脚は奇妙なほど長く、三丈ほどにも達したと言いまるで竹馬に乗っているようだったと言います。その特徴を使って海外南経にある長臂国の国民と協力して海中で魚を捕っていたと言います。つまり、船などを使用せずに足の長い長股国の国民が腕の長い長臂国の国民を背負うことで効率的に海中の魚を捕まえていたという訳です。また、波が来ても衣服は全く濡れなかったと言います。

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無啓国(むけいこく wu2qi3guo3 ウーチーグオ)

無啓国は山海経の海外北経に記載が見られており、”無啓国は長股国の東面にあり。そこに住む人々は子を産まず育てず子孫を残さなかった。”とあります。

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山海経を読もう!No,8 海外経海外北経編

山海経にあるように、無啓国は長股国の東側にありその国の国民は奇妙な性質を持っており、子供を産まなかったと言います。伝説によると、無啓国民の住居は洞穴の中で男女の区別はありませんでした。ただ空気を呼吸して生き、時々泥を拾って食べたと言います。




彼らの死後は土中に埋めますが、心臓は動いたままであり死体は腐りませんでした。百二十年経つと復活し、泥土の中から這い出てきて人生を楽しみました。このように死と復活を繰り返していたので子孫がいなくても一族が衰えることはありませんでした。また、任姓の部族となったとも伝えられています。

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一目国(いちもくこく yi1mu4guo2 イームゥグオ)

一目人は独目人とも呼ばれ一目国に住んでいました。一目国は山海経の海外北経に記載が見られ、”一目国は鍾山の東面にあり、そこに住む人は顔の真ん中に目が一つだけあった。別の言い方をすると、普通の人のように手足があった。”とあります。

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山海経を読もう!No,8 海外経海外北経編

一目国は淮南子にも記載があり、海外三十六国の一国でその民は一目民と言い目が一つだけ顔の真ん中にありました。

山海経に記載されている一目人は一目国のみではなく、もうニか所あります。その一つが少昊の子です。少昊の息子の話は大荒北経にあり、”一つ目の人がおり、その目はまさに顔の中央部にあった。別の言い方をすると、彼らの姓は威と言い、少昊の子孫であり、黄米を食べた。”とあります。

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山海経を読もう!No,17 大荒経大荒北経編

少昊に関しては以下をご覧ください!

白帝少昊:黄帝の息子で鳳凰を中国中に広めた五帝の一

もう一つは鬼国の国民の事で、海内北経には、”鬼国は貳負(じふ)の屍の北面にあり、そこに住む人は人面で目が一つであった。”とあります。

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山海経を読もう!No,12 海内経海内北経編

貳負は神様でありますが、窫窳(あつゆ)という神様を殺してしまい天帝により制裁を受けました。窫窳は十巫として名高い神医たちによって蘇生されましたが悪龍となって甦ってしまい崑崙山は大混乱しました。

その貳負の遺体の事がさらりと書かれていますが、実はこのさりげない一文の背後には複雑な神話が隠されているのです。

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柔利国(じゅうりこく rou2li4guo2 ロウリィグオ)

柔利国は山海経の海外北経に記載が見られており、”柔利国は一目国の東面にあり。そこに住む人は手が一本で足も一本であり、膝は反対向きについており、足を曲げるときは上方向に曲げた。別の言い方をすると、柔利国は留利国とも言い、人は足を反対に折り曲げていた。”とあります。

柔利国は留利国とも言いますが、特筆すべき点は人々の膝が反対についていたということです。かなりバランスが悪そうに思えますが、動物で例えるとカンガルーみたいな感じでしょうか?飛び跳ねるのには便利そうな感じがします。

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山海経を読もう!No,8 海外経海外北経編

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深目国(しんもくこく shen1mu4guo2 シェンムゥグオ)

深目国は海外北経に記載が見られ、”深目国は相柳氏の場所の東面にあり、そこに住む人は皆片手を挙げている。別の言い方をすると、深目国は共工台の東面にあった。”とあります。

深目国の人々は片手を挙げ、まるで他の人に挨拶や合図を送っている様子として描かれています。

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山海経を読もう!No,8 海外経海外北経編

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無腸国(むちょうこく wu2chang2guo2 ウーチャングオ)

無腸国は海外北経に記載が見られ、”無腸国は深目国の東面にあり、そこに住む人の身長は高く、腹の中には腸がなかった。”とあります。腸がないという不思議な人々として描かれています。

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山海経を読もう!No,8 海外経海外北経編

他にも大荒北経にも記載が見られ、”無腸国という国があり、そこに住む人の姓は任であった。彼らは無継国人の子孫であり魚を食べた。”とあります。

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山海経を読もう!No,17 大荒経大荒北経編

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聶耳国(じょうじこく nie4er3guo2 ニエアルグオ)

聶耳国は海外北経に記載があり、”聶耳国は無腸国の東面にあり、そこに住む人は二頭の虎を呼ばせており、さらに歩くときには手に自分の耳を持って歩いた。聶耳国は海水が取り囲む孤島にあり、そのため海水に住む各種の怪物の出入りを見ることができた。”とあります。




自分の耳を持って歩くとは何かしら儀式のように思えます。さらに孤島に住んでいるのですが、様々な怪物を見ることが出来るという不思議な国です。

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山海経を読もう!No,8 海外経海外北経編

出典:山海経

夸父国(こほこく kua1fu4guo2 クアフゥグオ)

夸父国は山海経の海外北経に記載が見られ、”夸父国は聶耳国の東面にあり、そこに住む人の身長は高く、左手で黄蛇を操っていた。鄧林はその東にあり、その中の二種類の特に大きな木が森林を形成していた。別の言い方をすると、夸父国は博父国と言った。”とあります。

夸父は太陽を追いかけた伝説を持つ巨人としても有名です。

夸父:弱きを助け悪を挫く太陽に立ち向かった伝説の巨人

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山海経を読もう!No,8 海外経海外北経編

出典:山海経




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