伏羲:中国神話はここから始まった!三皇の首で八卦を創造した中国最初の王

伏羲(ふっき fu2xi1 フーシィー)

伏羲は中国神話上の民族である華夏民族の祖であり、三皇の一柱です。伏羲は女媧と共に天地を作り出した創世神であるとされ、非常に古い時代から信仰されてきました。伏羲は中国の古籍中で確認できる最初の王でもあり、生まれたとされる時代は旧石器時代の中盤でした。まだまだ農業も未発達で、石器を使って狩猟採集生活を営んでいた時代です。

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女媧:中国神話における創造神で人を始めとして様々な動物を作り出した女神

伏羲の姓は風姓で、名は宓羲や庖犠、伏戯、犠皇、皇羲などがあり、史記中で伏犠と称されています。その後、太昊と合併し、後世では太昊伏羲氏と称せられるようになりました。さらには、青帝太昊伏羲(即ち東方の上帝)とも言われています。

青帝で青という色は五行に由来します。五行では色や季節や方角などはセットで考えられており、青と春と東はセットで考えられています。有名な神獣に青龍がいますが、青龍は東を守護している龍なので青龍となります。もしも西を守護していたら白龍になりますが、西の守護者は虎で白虎です。 ちなみに青春という言葉はこの五行の青と春の組み合わせに由来しています。

伏羲は燧人(すいじん)氏の子で、成紀で生まれ、都を陳地に定めました。伝説の中には伏羲は雷神の子供であるという説もあります。伏羲にと女娲は兄妹で崑崙山の山上に住んでいました。子孫繁栄のために二人は結婚し、人類を作りました。春秋時代の有任、宿、須、句、顓臾などは全て伏羲の子孫だと言われています。また、《史記》によると、伏羲の娘である宓妃は洛水に落ちて溺れ死んでしまい、死後洛水の神様になったと言われています。

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雷公:雷公、雷神(比較級)、雷王(最上級)、雷神の三段活用

伏羲は王と称した後、百十一年後にこの世を去りました。伏羲にまつわる神話はたくさん残されています。

  • 伏羲の出生

遥か昔、華胥国に華胥氏という娘がいました。雷澤と呼ばれる場所に行き遊んでいると、大きな足跡を偶然見つけました。好奇心からその足跡を踏みつけてみると身ごもってしまいました。

身ごもってから十二年後に赤ちゃんが生まれましたが、その赤ちゃんは蛇の体に人の頭部という見た目で、名前を伏羲と名付けました。伏羲の誕生日は農歴三月十八日で、中原(黄河中流域)地方では農歴の三月十八日に伏羲を祀る風習があります。

  • 人文の始祖

伏羲は神聖の徳があり、華夏の各部落をまとめて陳地を都と定め泰山で封禅を行いました。伏羲は蟒蛇(大きな蛇)でワニの頭、雄鹿の角、猛虎の眼、紅鯉の鱗、巨蜥の足、蒼鷹の爪、白鮫の尾、長須鯨の須を合わせて龍の図柄を創作したと言います。

また、伏羲は天上を仰いで雲、降雨降雪、雷鳴閃光を見て、地上の大風、大霧の発生を見るとともに鳥の飛翔と獣の走行を観察して天地の間の陰陽変化の理に基づき八卦を創造しました。即ち、八種の単純な記号を組み合わせて複雑な森羅万象を説明したのです。また、伏羲は自然界中の蜘蛛の巣を観察して網を作り、鳥や魚を捕まえました。そして人々に漁の仕方を教え、人々の暮らしは豊かになりました。

さらに、文字ができる以前、縄の結び目で意味を伝える方法も考案するとともに、瑟(しつ)という楽器を発明し曲を創作しました。女媧と婚姻後、子を四人もうけ、万物に名前を付けました。

帝になった後には婚姻制度を制定し、鹿皮を結納に用いました。また、動物や植物、住んでいる場所、官職などを姓とし近親婚を防ぎ、姓氏の起源とりました。また、政治では統治地域を分割して治め、それぞれの地区に官員を任命して社会を管理するなど、後世の社会基盤を築きました。

  • 伏羲の人物像

三皇五帝は中国で尊ばれている存在です。その序列は春秋戦国時代を経て秦漢代になり確立しました。この中で伏羲は三皇の首や百王の先などと呼ばれるように最高の存在として称えられています。左伝や管子、周易、庄子、国語などの書籍でも伏羲に関しては最高の存在であると書かれています。このことから現在の中国でも広く祀られている存在です。

三皇は神として、五帝は聖君として崇められている傾向があります。三皇は伏羲、女媧、神農、黄帝が挙げられますが、共工を挙げている書籍もあります。五帝は黄帝、顓頊、帝嚳、堯、舜が一般的ですが、少昊や神農、炎帝などが入る場合もあります。

  • 開天神話

古籍によると、伏羲は太極を真似て開天を描くと、世に万物が誕生しました。世界の生命の誕生はこの一画によりなされました。この後陰陽動静が繰り返し昇降し、やがて天地が安定して太陽と月は運行し、生き物は繁栄するようになりました。

  • 八卦の祖師

言い伝えによると、伏羲は八卦の創造者であり、人々は天神として奉り、八卦の祖師として尊んでいます。古代には人は自然に対して無知でした。天気の変化、日月の運行、人の生き死になど多くの事柄について誰も何も知りませんでした。

人々は自然に対して答えを持たない問いを伏羲に問いました。伏羲が回答すると皆感動し呆然としたと言います。伏羲は常に様々なことを考えており、太陽や月、星々の動きや季節の移り変わり、そして花の開花などに規則性を見出そうとしました。そして、中原一帯にノコギリソウが繁茂しているのを見て、このノコギリソウを用いた占いを始めました。

ある日、伏羲が蔡河で魚を捕っていると、一匹の白い亀を捕まえました。伏羲はその亀を急いで池に入れて飼うことにしました。ある日、伏羲が白亀の池に餌をやるに行くと、人が走ってきて蔡河に怪物が出たと知らせました。伏羲が蔡河に行くと、実際に怪物がおり、龍のようだが龍ではなく、馬のようでも馬ではなく、水面を往ったり来たりし地を覆っているかに見えました。

伏羲は水辺に行くとその怪物は伏羲の前にやってきて立ったまま動かなくなりました。伏羲は状況を確認すると、その怪物の背の上に花紋があるのを見つけました。その花紋には、一六居下、二七居上、三八居左、四九居右、五十居中とありました。伏羲はノコギリソウの房を掴み、大樹の葉の上に龍馬の背上の花紋を画きました。画が完成してすぐに龍馬は一声叫び空中へ飛び上がるとすぐに見えなくなりました。

皆伏羲を囲んで、あの怪物はなんだと問い、伏羲は龍のようにも馬のようにも見えるので竜馬だ、と答えました。

伏羲は葉っぱを持ち、あの花紋を見つめていまましたが、どうしてもその書かれている内容がわかりませんでした。その日、白亀の池に座り考えていると、池の水がざわめいている音が聞こえてきました、音の方を見てみると、白亀が水底から伏羲の前に現れ、両目をきらきらと輝かせて伏羲を見ていました。白亀は伏羲に三度頭を下げて、手足を甲羅の中にひっこめた後に動かなくなりました。

その様子を訝しんだ伏羲は白亀を観察しました。すると白亀の甲羅の上に花紋が現れており、その花紋は中間から五つ、周囲は八つ、外周は十二個、最外周は二十四個に分かれているのを目にしました。すると目の前が急に明るくなった気がして万物の規則や変化が一陽一陰で表されていることを悟りました。その後、伏羲は八種の異なる記号を組み合わせて八卦図を描きました。

  • 兄妹相婚

天地が出来た時、女媧と伏羲の兄妹のみが崑崙山に住んでいました。二人は相談した後、人類存続のために夫婦になろうとしましたが、恥ずかしく思いこの状況が果たして正しいかどうか天に神託を求め、火による占卜を行いました。”もし人類を存続させることが天の意志であれば、我々は夫婦として結ばせようとしていることであり、二つの火の煙は互いに結びつき一本の大きな煙になるであろう、逆に天が人類の絶滅を望んでいるのであれば、二本の煙は離れてしまうであろう。”

果たして煙は一本になり、二人は婚姻をし子孫を残したと言います。

出典:baidu

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