西王母:中国神話中で崑崙山に君臨する不老長寿の薬を司る女神

西王母(せいおうぼ xi1wang2mu3 シーワンムー)

西王母は現代では美女の姿ですが、もともとは牙を持つ獣のような神で崑崙山にも住んでいませんでした。この西王母の姿は次第に変化していき、最終的には現在のように美女の姿となりました。名前は王母娘娘とも九霊太妙亀山金母、太霊九光亀台金母、瑶池金母、西王母、金母、王母、西姥などとも呼ばれ古代中国神話中で不死薬、懲罰、災を告げる永遠の命を持つ女神の名前です。

道教中では西王母は西方の崑崙山に住んでおり、仙女を統率しており陰気を主宰し、男仙を統率している東王公と対比される存在です。西王母は万物を育み想像する女神で全真教の祖師であり、婚姻を司り生を育み婦女を守る女神であると伝えられています。また、羌族の神話中では西王母は創世神と見做されています。

  • 史書に記載されている西王母

王母と言う名は山海経中で見られますが、経によってその内容は異なります。




山海経18経の中でも初期に書かれたとされる五蔵山経西山経には、”さらに西へ三百五十里に玉山がありここは西王母の住まう場所であった。西王母の容貌は人と同じであるが豹と同じ尻尾と虎と同じ牙を持っており嘯叫を好んだ。ぼさぼさの頭髪の上には玉勝を戴いており天災歴と五刑残殺の気を主管した。”とあり玉山と言う山に住んでいると書かれています。

五蔵山経西山経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,2 五蔵山経西山経編

五蔵山経以降に書かれた海内経海内北経には、”西王母は小さな机にもたれかかり頭には玉勝を乗せていた。西王母の南面には三羽の勇猛でよく飛翔する青鳥がおり、西王母のために食べ物を探していた。西王母と三青鳥のいる場所は崑崙山の北面にある。”とあり崑崙山の近くの北側にいるとされています。

海内経海内北経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,12 海内経海内北経編

これが山海経の中でも最後の方に書かれたとされる大荒経西経には、”西海の南面、流沙沿い、赤水の後面、黒水の前面にある切り立った山が崑崙山である。神人がおり、人面で虎の体をしており、尾には花紋があり、白い斑点で埋め尽くされており、崑崙山の上に住んでいた。崑崙山の下は弱水が集まってできた深淵で囲まれていた。深淵の外には火炎山があり、物を投げ込むと燃えてしまった。玉製の首飾りを身に着けている人がおり、口内にある歯は虎の歯であり、豹に似た尻尾があり、洞穴の中に住んでおり、名を西王母と言った。この山は世界各地の物を擁していた。”とあり、西王母が崑崙山に住んでいると書かれています。同じ山海経の中でも西王母の記述が異なっており、これは山海経が複数の人々により書き記されたことを示唆しています。




大荒経大荒西経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,16 大荒経大荒西経編

その他にも中国の古い書物中には大抵西王母の記載が見られ、商代の《帰藏》や西周の《周易》にも王母が不死神薬を司っている内容が見られます。《竹書紀年》には、西王母の形状は寛容な女帝王として描かれています。

山海経が書かれたのは漢代であり、この頃にはまだ道教は明確な形態を持っておらず、方士と呼ばれる人々が医療などに携わっていました。そして漢代の末期には黄巾党や五斗米道など三国志でおなじみの集団が出てきます。これが道教の原型ですが、この頃にはまだ信仰対象は明確ではなく病気治療などを行う集団でした。

  • 道教中に見る西王母

東漢末年に道教が興り西王母は絶対的な全知全能の神となりましたが、次第に世俗的な神と変わって行きその力は次第に弱くされて行きました。魏晋時代以後には道教中で女仙を統治する首領となり、”西王母は九霊太妙亀山金母である。太虚九光亀台金母元君とも言う。天上天下、三界十方、女子の登仙者、道を得た者はここに到る。”とあります。則ち現在見られる非常に地位の高い西王母のイメージは道教中で作られていきました。

ではそもそもの西王母はどういう神であったかと言いますと、《庄子》や《山海経》などに記されているように元々は崑崙山に住む仙女です。崑崙山は中原から見て西方にあったため西王母と言われます。

道教の上清経派が西王母信仰を吸収し、元始天王の弟子に列し、並びに宝経の伝授を決める担当になったことが六朝上清経中に見られます。《枕中書》には、”西漢九光夫人は陰の気を始め西方を治める。故に金母と言い、天地の尊神であり、元気を煉精し、万物を生み育み、陰陽を調和させ、光明は日月のようでこれをせざるはなし。”とあります。

陰陽五行説では西方は金や秋に属しているのでこれに因み西王母の名前に金がつくことがあります。

《列仙全伝》には、”西王母は西華に至る妙の気から生まれ、東王公と天下三界内外十方の男女の仙籍を管理し、西方におりその神格は三清に次ぎ神州伊川に降誕した道教の崇高な女神である。”とあります。

《道藏三洞経》には、西王母は太陰の元気で、姓は自然で字は君思で、下は崑崙を治め上は北斗を治める。”とあり、西王母を玉清、上清、太清の三柱の天尊に次ぐ第四位の神仙に列しています。




道教は歴史上、陰陽説や五行説、さらには仏教や医術、様々な神様などを取り入れて発展してきた何でもありの宗教です。神様も多種多様で三国志の関羽なども神様として祀られています。その他にも春秋戦国時代の呉王夫差と越王勾践の臥薪嘗胆の故事に見られる越の上将軍范蠡も財神として祀られています。西王母もこの神様の体系中に取り込まれて信仰されるようになりました。

  • 嫦娥奔月に見られる西王母

西王母は中国神話にもよく登場しており、有名な話に后羿とその妻嫦娥の嫦娥奔月があります。后羿は十個の太陽を射落とした上に地上で人々を苦しめていた様々な悪獣達を倒して英雄となりました。嫦娥は后羿の妻でした。后羿はその功績により西王母に不死薬を下賜されましたが、嫦娥がこれを飲んでしまい月へ行ってしまった話です。この物語には様々なバージョンが存在していますが、以降嫦娥は月の女神となりました。

嫦娥に関しては以下をご覧ください!

嫦娥:月を生んだ母常羲から生まれ、月の女神になった后羿の妻

  • 涿鹿の戦い(たくろくのたたかい)に見られる西王母

神話時代に黄帝が蚩尤と戦った際に、蚩尤軍は風を呼び雨を降らせて霧を発生させました。黄帝の窮地に王母は九天玄女を派遣して黄帝に三宮五意、陰陽の略、太乙遁甲、六壬歩闘の術、霊宝五符五勝の文を授けました。この後黄帝は冀州の野で蚩尤を打ち破り中原を統一しました。また、虞舜が即位した後、王母は使いを遣わし白玉環、白玉琯及び地図を授け、舜は黄帝が九州に分けた中原を拡大し、十二州にしました。

涿鹿の戦い(たくろくのたたかい)に関しては以下をご覧ください!

神獣を巻き込んだ古代中国最大の激戦、涿鹿(たくろく)の戦いとその結末

黄帝に関しては以下をご覧ください!

黄帝:中国の始祖であり古代神話中最大の功労者

蚩尤に関しては以下をご覧ください!

蚩尤:中国神話中で最も恐れられた荒れ狂う不死身の戦神

虞舜に関しては以下をご覧ください!

舜:五帝に数えられる古代中国の名君で意地悪な親にも忠孝を尽くした帝

  • 西遊記に出てくる西王母

西王母は西遊記にも出てきており、”西王母が植えた蟠桃は小桃は三千年に一度熟し人が食べると体が身軽になり仙道を得る。一般的な桃は六千年に一度熟し人が食べると空を飛び不老長寿になれ、最も良い桃は九千年に一度熟し人が食べると天地と同じ寿命が得られる。”とあります。蟠桃とは桃の一種で西王母の聖誕祭を蟠桃会と言い、孫悟空はこの会に招かれなかったために大暴れしてしまいました。または蟠桃が熟す時期に群仙を招き瑶池集慶と言われる会を開いたとも言います。

これ以外でも様々な言い伝えより西王母は民間では不老長寿の象徴となっています。

出典:baidu




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