第十三巻:捜神記を翻訳してみた

干宝さんの捜神記第十三巻です。やはり古い文章ですのでいきなり読んだら訳の分からない内容かと思います。出来るだけ解説を入れていますが、正直管理人にも不明な箇所があるので全部説明できているわけではありません。すみません(´;ω;`)

  • 泰山澧泉

泰山の東辺には澧泉があり、その形状は口井のようであり、本体は石であった。この泉に水を飲みに行った人は皆、必ず心を清くして跪いてそれを掬い、この泉水は飛ぶように吹き出し、欲しいに足る量が出てきた。もしも心が邪であるとこの泉水は湧き出て来なかった。これは恐らく神霊が人の心を試すためのものである。




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  • 樊山が雨に致る

樊口の東面に樊山があった。もし干ばつが起こると火を放ち山を焼くとすぐに天から大雨が降ってきた。これは今に至るまで霊験である。

  • 孔窦の清泉

空桑と言う場所は現在は孔窦と呼ばれており、魯国南山の山洞の中にあった。その外面には一対の山石があり、房屋の石柱と同じようにその中にあり立っていた。高さは数丈であり、魯国人はこの中で歌を歌い舞いを舞い祭祀を行った。山洞の中には水は無かったが、祭祀の時期になり清掃され神明に祷告した後、透明で冷たい泉水が山石の間から湧き出し祭祀活動を行うに十分な量であった。祭祀が終わると泉水は自然と停止した。この種の霊験は今に至るまで依然として存在している。

  • 亀化城

戦国時代に、秦の恵文王二十七年に、恵文王が大臣の張儀を派遣して都城を築城させた。何度作っても城壁は倒壊した。ある日、忽然と一匹の大亀が江面上に浮き上がってきたが、城の東の子城の東南面まで泳いでいくと死んでしまった。張儀はこのことを巫師に問うと、巫師は、「亀の外見に照らして築城することです。」と言った。この言葉の通りにすると果たして城は完成した。このため、この城は「亀化城」と呼ばれた。

  • 城が淪み湖と為す

由拳県は秦代の長水県である。秦始皇の時代に童謡があり、「城門に血があり、城は陥没して湖になった。」と歌った。ある老婦人がこれを聞いた後に、こっそりと城門へ行き覗き見た。守衛が老婆を捕らえると、老婆は盗み見たわけを話し出た。その後、守衛は犬の血を城門に塗った。老婦人は城門に血がついているのを見て走り出した。ある日、忽然と水が覆い県城は水没してしまった。県の主簿は官吏を派遣して県令に報告させた。県令は目の前の官吏を見て、「お前はどうして突然い魚のようになったのだ?」と問うた。官吏は、「あなたも魚のようになっています。」と言った。この様にしてこの県は陥没して湖となったのだ。

  • 丹砂井

臨沅県に廖という姓の家が一軒あり、代々皆長寿であった。以降、この家の人が別の場所へ引っ越すと子孫の寿命は短くなった。別の家族が以前の廖氏の家に住むと皆長寿となった。乃ち、この家が人を長寿にすることを知ったがなぜだか原因は分からなかった。井戸水が赤色であったことから井戸水が原因ではないかとされ、井戸の周囲を掘ると古人が埋蔵した数十斛の朱砂が見つかった。この朱砂が水に浸されて井戸水の中に混ざったために、この井戸水を飲んだ人たちは長寿となったのである。

朱砂とは丹砂とも呼ばれており、硫化水銀の事です。古くから朱墨の原料とされてきました。硫化水銀を熱して水銀が作られました。古くから中国では不老長寿の薬を作り出す煉丹術が研究されており、この原料として水銀が用いられてきました。もちろん水銀は毒で歴代皇帝をはじめとして多くの人々が水銀により亡くなっていますが、驚くことに昔は薬と信じられていました。硫化水銀自体は毒性は低いと考えられており、漢方薬にも使用されています。

  • 江東餘腹

江東に餘腹と呼ばれる魚がおり、昔に呉王闔閭が長江を巡遊し宴を開いているときに余った魚のなますを江の中に捨てると、そのなますが変化したものである。現在は呉王膾餘と呼ばれており、体長は数寸で箸と同じくらいでありなますのような形状である。

膾はなますの意味です。なますは生肉を細長く切ったものです。現代では酢に漬けたものが一般的ですが、この時代の中国では酢には漬けていなかったと思われます。




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  • 蜾蠃

ある蜂がおり蜾蠃(すがる)と言い、現在でもそう呼ばれているが細腰の類である。その生き物は雄ばかりで雌はいなかった。交配はせずに子供は出来なかった。それはよく桑虫或いは阜螽(キリギリス)の幼虫を捕まえて養い育ててそれらを自分の幼虫とした。ある人はそれらを螟蛉(めいれい)と称した。《詩経》には、「螟蛉には幼虫があり、蜾蠃が餌を与え育てた。」とあるが、これはこのことを指している。

蜾蠃はジガバチという寄生蜂の一種で蒲盧とも呼ばれています。身体は青黒色で体長は半寸ほどで腰が細く木の枝や壁に泥で巣穴を作ります。昆虫の幼虫を捕まえてきて毒で動けなくしてしまいその体内に卵を産み付けて自分の子の食料としてしまいます。これを昔の人々は蜾蠃が捕まえた幼虫を養っていると思っていました。古くより養子の事を螟蛉子(めいれいし)と呼ぶのはこの詩経の一文から来ています。

  • 木蠹(木を食べる虫)

木は食べられて虫が成長し、虫に羽が生えて胡蝶に変わる。

  • 柯亭笛

蔡邕はかつて柯亭へと到りそこの人々は竹で屋椽(屋根の三角の部分)を作っていた。蔡邕は上を見上げてしげしげと見つめて言った。「これは良い竹だ。」その後、その竹で笛を作るとその笛の音は明瞭であった。ある説では蔡邕は呉郡の人に、「私はかつて会稽郡高遷亭で家の東の第十六本の竹を見て笛が作れると思った。その竹で笛を作ってみると奇異な音質が奏でられた。」と言ったという。

出典:古詩文網

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