山海経を読もう!No,3 五蔵山経北山経編

山海経翻訳シリーズNo,3 五蔵山経北山経です。

山海経の概要に関しては以下をご覧ください!

山海経:中国の妖怪はここから来ている!妖怪のネタ帳として有名な山海経

山海経のその他の翻訳に関しては以下をご覧ください!

山海経翻訳まとめページ

北山経は結構長く、山海経18経の中でも西山経の次に長いです。そのため、北山経内でも三つの山系に区切られており、北山一経、北山二経、北山三経に分けられています。山とそこから流れる川、山に埋蔵されている鉱物や植生、怪物の有無など多岐に渡っています。

面白いのが、山中に住む動物を食べると様々な病気が治ると言う記述です。現代から考えると、植物なら様々な薬が作られているので薬効があることは理解できるのですが、薬として動物を食べるという記述には思わず、ん?と思ってしまいます。薬効も面白く不安感が治ると言う気分的なものからリウマチなど厄介な病気にまで効くという幅広い内容になっています。




薬効のみではなく金属鉱物などもそうですが、北山経を読んでいると同じ名前がよく出てきます。今回では動物の薬効に関して錯乱と言う単語をよく見かけます。しかし、これが西山経など別の経になると今度は腫瘍などと言う単語をよく見かけ錯乱と言う言葉はあまり出て来なくなります。このような点や文章の癖などから各編ごとに別人が書いている印象を受け、一般的にも山海経は多くの人々により書かれたとされています。

  • 翻訳文
  • 北山経一経

北方の第一列山系の首山は単狐山と言い、ミネバリが繁茂していた。漨水はこの山より流れ出て西に向かい泑水に注ぎ、水中には多くの紫石、文石があった。

さらに北へ二百五十里に求如山があり、山上には豊富な銅が埋蔵されており、山下には玉石が豊富にあったが、草木は無かった。滑水はこの山より流れ出て西へ向かい諸■水に注いだ。水中には滑魚が多くおり、形状は一般的なタウナギのようで、紅色の背に発する声は人が言葉に詰まった時に発するような音であった。その肉を食べるといぼが治ると言う。さらに水中には多くの水馬が住んでおり、その形状は一般的な馬に似ているが、脚の上に花紋があり、牛の尻尾があった。その鳴き声は人の怒鳴り声のようであった。

さらに北へ三百里に帯山があり、山上からは玉石が豊富に産出され、山下からは青石碧玉が多く産出された。山中には野獣がおりその形状は一般的な馬のようで、粗く硬い磨石のような一本の角があった。名を矔疏と言い、人が飼うと火を避けることができたと言う。山中に禽鳥がおり、形状は一般的な鴉のようであるが、全身には紅色の斑紋がある五彩の羽毛で覆われており、名を鵸■と言った。この鵸■は両性であり、その肉を食べると腫物に罹らないと言う。彭水はこの山を流れ出て西へと向かい芘湖水に注ぎ、水中には儵魚が多くおり、形状は一般的な鶏であるが紅色の羽毛がありさらに三本の尻尾、六本の足、四つの眼があった。その叫び声はカササギの鳴き声に似ており、その肉を食べると不安感がなくなるという。

さらに北へ四百里に譙明山があった。譙明水はここより流れ出て西に向かい黄河に注いだ。水中には多くの羅魚がおり一つの頭に十の体がついており、犬のような声を発し、その肉を食べると瘍腫の治癒に効果があると言う。山中に獣がおり、形状は豪猪のようであり軟らかい紅色の毛でおおわれていた。鳴き声は井戸水を汲み上げるろくろのような声で、名を孟槐と言い、飼育すると凶邪の気を祓うと言う。この譙明山には草木はなく至る所に石青(藍銅鉱)や雄黄(ヒ素の硫化物で石黄とも言われる。)があった。




さらに北へ三百五十里に涿光山があった。嚻水はこの山より流れ出て西へ向かい黄河へと注いだ。水中には沢山の鰼鰼魚がおり、形状は一般的なカササギのようだが十本の羽があり羽の先端には鱗で覆われており、カササギの鳴き声と似ていた。人が飼うと火を避けると言い、食べると黄疸病に効果があると言う。山上には至る所に松と柏の木があり、山下には至る所にヤシの木と樫の木があり、山中の野獣は羚羊が最も多く、禽鳥は蕃鳥が最も多かった。

さらに北へ三百八十里に虢山があり、山上には漆が生い茂っており、山下には梧桐とケヤキが生い茂っていた。山南陽面からは多くの玉石が産出され、山北陰面からは多くの鉄が産出された。伊水はこの山より流れ出て西へ向かい黄河へと注いだ。山中の野獣は橐駝が最も多かった。禽鳥は寓鳥が最も多く、形状は一般的な鼠に似ており鳥と同じ羽があり、発する声は羊のようであった。人が飼うと兵器を避けることができると言う。

さらに北へ四百里の虢山の尾根の終端に到ると山上には至る所に美玉があり石はなかった。魚水はここより流れ出て西へ向かい黄河へと注いた。水中には多くの花紋斑が入り混じっている貝がいた。

さらに北へ二百里に丹熏山があり、山上には臭椿と柏が繁茂し、雑草は野生の韮と野生の辣韭が最も多かった。さらに、丹雘を多く産出した。熏水はこの山より流れ出て西へ向かい棠水へと注いだ。山中には野獣がおり形状は鼠のようであるが兎の頭と麋鹿(大型の鹿)の耳を持ち、発する声は犬のようであったが、尻尾を使って飛行し、名を耳鼠と言った。その肉を食べると膨張病に罹らない上、百毒の害を避けることができると言う。

さらに北へ二百八十里に石者山があり、山上には草木はなかったが至る所に瑶や碧と言った美玉があった。泚水はこの山より流れ出て西へ向かい黄河へと注いだ。山中には野獣がおり形状は一般的な豹であるが額に模様があり体は白色であった。名を孟極と言いよくその身を隠していた。孟極という名はその鳴き声に字を当てたものである。

さらに北へ百十里に春山があり、山上には至る所に野葱、葵、韮、野桃、スモモがあった。杠水はこの山より流れ出て西へ向かい泑澤へと注いだ。山中には野獣がおり形状は猿のようで体中に模様があり、喜び笑うことを好み、人を見ると寝ているふりをした。名を幽鴳と言う。

さらに北へ二百里に蔓連山があり、山上には草木はなかった。山中には野獣がおりその形状は猿のようであるが鬣(たてがみ)があり、さらに牛と同じ尻尾があり、両腕の全体には花紋があり、馬と同じ蹄があり、人を見ると叫んだ。名を足訾と言い、その名は鳴き声に字を当てたものである。




山中には禽鳥がおり、群れを好み生活し隊を為して飛んだ。尾は雌の鶏と同じで名を鵁と言った。鵁という名はその鳴き声に字を当てたものである。その肉を食べるとリウマチに効果があると言う。

さらに北へ百八十里に単張の山という名の山があり、その上には草木はなかった。その形状は豹で尾が長く人の頭で牛の耳をしており、目が一つで名を諸犍と言いよく吼えていた。走る時には尾を口でくわえ、眠る時はその尾を体の周りに巻いていた。山中には禽鳥がおり、その形状は一般的な野鶏であり頭部には模様があり、白色の羽に黄色の脚をしており名を白■と言い、その肉を食べるとのどの痛みに効果があり錯乱の治療にも効果があると言う。櫟水はこの山より流れ出て南へ向かい杠水へと流れ込んだ。

さらに北へ三百二十里に灌題山があり、山上には臭椿と柘が繁茂しており、山下には至る所に流沙があった。さらに磨石(とぎ石)を多く産出した。山中には野獣がおり、形状は一般的な牛であるが白色の尾があり発する声は人が大声で呼ぶときの声と同じであった。名を那父と言った。山中にはさらに禽鳥がおり、形状は一般的な雌の野鶏で人面であり、人を見ると飛び跳ねた。名を竦斯と言い、その名は鳴き声に字を当てたものである。匠韓水はこの山より流れ出て西へ向かい泑澤に注ぎ、水中には多くの慈石(磁鉄石でマグネタイトのこと)があった。

さらに北へ二百里に潘侯山があり、山上には松の木と柏の気が生い茂っており、山下には榛の木と楛の木が生い茂っていた。山南陽面には豊富な玉石が埋蔵されており、山北陰面には豊富な鉄が埋蔵されていた。山中には野獣がおり、形状は一般的な牛のようだが、四肢の関節上には長い毛があり名を牦牛と言った。辺水はこの山より流れでて南へと流れ櫟水へと注いだ。

さらに北へ二百三十里に小咸山があり、草木はなく夏も冬も積雪があった。

さらに北へ二百八十里に大咸山があり、草木はなく山下からは玉石が産出された。大咸山は四角形をしており人は上には登れなかった。山中には蛇がおり長蛇と言い、体には毛がありその毛は豚の首より上の硬毛に似ており、発する声は人が木梆(木魚みたいな楽器)を叩いている音に似ていた。

さらに東へ三百二十里に敦薨山があり、山上にはヤシの木と楠が生い茂っており、山下には広大な領域に紫草が生い茂っていた。敦薨水はこの山より出て比氏へ向かい泑澤に注いだ。泑澤は崑崙山の東北の隅に位置しており、黄河の源流であった。水中には多くの赤鮭がいた。ここに住む野獣は兕と牦牛が最も多く、大部分の禽鳥は布谷鳥(カッコウ)であった。

兕に関しては以下をご覧ください!

青牛(兕):老子が乗っていたと言われている伝説の大青牛

さらに北へ二百里に少咸山があり、山上には草木はなく、至る所に青石碧玉があった。山中には野獣がおり、その形状は一般的な牛であるが紅色の体で人面、馬の蹄があり名を窫窳(あつゆ)と言った。発する声は赤子の鳴き声に似ており、人を食べた。敦水はこの山より出て東へ向かい雁門水に注いだ。水中には多くの■■魚がおり、その肉を食べると中毒を起こし死んでしまうと言う。

窫窳に関しては以下をご覧ください!

蛟龍、虬龍、燭龍、蟠龍、窫窳など様々な龍たち:中国の神獣、四象、霊獣特集

さらに北へ二百里に獄法山があり、瀤澤水はこの山より流れ出て東北へ向かい泰澤へと注いだ。水中には多くの■魚がおり、その形状は一般的な鯉であるが鶏の爪がありその肉を食べるとイボの治療に効果があると言う。山中にはさらに野獣がおり形状は一般的な犬であるが人面で投擲に長じており、人を見ると嬉しそうに笑い、名を山■と言った。山■が走り出すと風が吹くようであり、一度出現すると天下に大風が起こると言う。




さらに北へ二百里に北岳山があり、山上には至る所にカラタチとサネブトナツメと檀、柘の一種があった。山中には野獣がおり形状は一般的な牛であるが四本の角があり、人の眼をしており豚の耳があり、名を諸懐と言った。発する声は大雁の鳴き声のようで、人を食べた。諸懐水はこの山より出て西へ向かい嚻水へ注ぎ、水中には多くの魚がおり、魚の体に犬の頭があり、発する声は赤子の鳴き声のようでその肉を食べると錯乱病に効果があると言う。

諸懐に関しては以下をご覧ください!

諸懐:中国神話の牛のような豚であり人を食べる怪獣

さらに北へ百八十里に渾夕山があり、山上には草木はなく銅と玉石を多く産出した。嚻水はこの山より流れ出て西北へ向かい大海に注いだ。個々には頭一つと体が二つの蛇がおり、名を肥遺と言い、出現すると大干ばつが起こると言う、

肥遺に関しては以下をご覧ください!

食べると病気が治る中国の蛇の妖怪、肥遺(フェイイー)

さらに北へ五十里に北単山があり、山上には花の咲くような草木はないが、野葱と野韮が生い茂っていた。

さらに北へ百里に羆差山があり、草木はなく小さな頭を持った野生の馬が多くいた。

さらに北へ百八十里に北鮮山があり、ここには小さな頭を持った野生の馬が多くいた。鮮水はここより流れ出て西北へ向かい涂吾水へと注いだ。

さらに北へ百七十里に、堤山があり、小さな頭を持った野生の馬が多くいた。山中には野獣がおり形状は一般的な豹であり頭には花紋があり、名を狕と言った。堤水はこの山より流れ出て東へと向かい泰澤へと注いだ。水中には多くの龍と亀がいた。

北方の第一列山系の最初は自狐山から始まり堤山で終わり、合計二十五山で行程は五千四百九十里である。諸山の山神は全て人面で蛇の体をしていた。山神の祭祀には、鶏一羽と豚一頭を使って祭祀用に作った毛物を地下に埋め、さらに美しい玉器中に玉珪を入れ地下に埋める。祭祀用の米は必要ない。諸山の北面の人は皆生でものを食べ、火で調理した食べ物は食べたことがなかったと言う。

  • 北山経二経

北方第二列山系の首は黄河の東岸に鎮座しており、山の首端は汾水の上に敷かれており管涔山と言った。山上には樹木は無く至る所に草が生い茂っていた。山下からは玉石や赤銀が豊富に産出された。酸水はこの山より流れ出て東へ向かい汾水へ注いだ。水中には良質な赭石が多くあった。

さらに北へ五十里に県雍山があり、山上には玉石が豊富に埋蔵され、山下には銅が豊富に埋蔵されていた。山中の野獣は大部分が山駱と麋鹿であった。また、禽鳥は白色の野鶏と白翰鳥が多くいた。晋水はこの山より流れ出て東南へ向かい汾水へと注いだ。水中には多くの魛魚がおり、形状は小儵魚(白色の小魚)に似ているが紅色の鱗があり、発する声は人の叱責する声に似ていた。魛魚の肉を食べると狐騒臭(腋臭)がしなくなると言う。

さらに北へ二百里に狐岐山があり、山上には草木はなく至る所に青石碧玉があった。勝水はこの山より流れ出て東北へと向かい汾水へと注いだ。水中には多くの蒼玉があった。

さらに北へ三百五十里に白沙山があり、周囲は三百里程度で、至る所に砂があり草木や禽鳥、野獣はいなかった。鮪水はこの山の山頂より流れ出て地下へもぐり、山下へと至った。水中には多くの白玉があった。




さらに北へ四百里に爾是山があり、草木はなく水もなかった。

さらに北へ三百八十里に狂山があり、草木はなかった。狂山には冬夏問わずに雪があった。狂水はこの山より流れ出て西へ向かい浮水へ注いだ。水中には多くの優良な玉石があった。

さらに北へ三百八十里に諸余山があり山上には銅と玉石が豊富に埋蔵されており、山下には至る所に松と柏の木が生い茂っていた。諸余水はこの山より流れ出て東へ向かい旄水へと注いだ。

さらに北へ三百五十里に敦頭山があり、山上には金属鉱物と玉石が豊富にあったが草木はなかった。旄水はこの山より流れ出て東へ向かい邛澤へ注いだ。山中には多くの■馬がおり、牛と同じ尻尾を持ち体は白く、角が一本あり発する声は人の呼ぶ声に似ていた。

さらに北へ三百五十里に鉤吾山があり、山上からは玉石が豊富に産出され、山下からは銅が豊富に産出された。山中には野獣がおり、形状は羊の体で人面であった。目は腋の下にあり、虎の牙と人と同じ爪をしていた。発する声は赤子の鳴き声のようで名を狍鴞と言い、人を食べた。

狍鴞に関しては以下をご覧ください!

狍鴞:四凶の饕餮とも言われている人を食べる恐ろしい悪獣

さらに北へ三百里に北嚻山があり、石はなく山南陽面からは碧玉を多く産出し、山北陰面からは玉石を多く産出した。山中には野獣がおり、一般的な形状は虎のようであるが白色の体に犬の頭が有り、馬の尻尾に豚の首に上の硬毛が生えていた。名を独■と言った。山中には禽鳥がおり、形状は一般的な鴉であり人面で名を■■と言った。夜になると飛行し昼には隠れた。その肉を食べると熱中症にかからないと言う。涔水はこの山邛澤に注いだ。

さらに北へ三百五十里に梁渠山があり、草木は生えず金属鉱物と玉石が豊富にあった。脩水はこの山より流れ出て東へ向かい雁門水へと注いだ。山中にいる野獣のほとんどは居暨獣であり、形状は■のようであり全身は紅色の毛で覆われていた。発する声は子豚の叫び声のようであった。山中には禽鳥がおり、形状は夸父のようで四本の羽があり一つ目で、犬と同じ尻尾があり、名を嚻と言った。その叫び声とカササギの鳴き声は似ており、その肉を食べると腹痛が治ると言い、下痢に効果があると言う。

さらに北へ四百里に姑灌山があり、草木はなかった。この姑灌山上には冬でも夏でも雪があった。

さらに北へ三百八十里に湖灌山があり、山南陽面からは玉石を多く産出し、山北陰面からは碧玉を多く産出した。さらに多くの小さな野生の馬がいた。湖灌水はこの山より流れ出て東へ向かい大海へと注いだ。水中には多くの鱔魚がいた。山の中には木があり、葉は柳のようであり葉脈は紅色であった。

さらに北へ水路五百里、流沙三百里を過ぎると洹山に到る。山上には金属鉱物と玉石が豊富に埋蔵されていた。山中には三桑樹が生えており、枝はなく高さは百仞であった。さらに各種の果樹もあった。山下には怪蛇が多くいた。

さらに北へ三百里に敦題山があり、草木は育たなかったが金属鉱物と玉石が豊富に埋蔵されていた。この山は北海の岸辺にあった。

ここまでをまとめると、北方第二列山は管涔山から始まり敦題山で終わり、全部で十七山で全行程は五千六百九十里であった。諸山の山神は皆蛇身人面であった。山神の祭祀は、毛物中に祭祀用の鶏一羽と豚一頭を用いて地下に埋める。祀神の玉器中には玉璧一つと玉珪一つを入れ山中に投げる。祭祀には米は用いない。

  • 北山経三経

北方第三列山の首は太行山と言う。太行山の首端は帰山と言い、山上からは金属鉱物と玉石が産出され、山下からは碧玉が産出された。山中には野獣がおり、形状は一般的な羚羊であるが四本の角があり馬と同じ尻尾と鶏と同じ爪を持っており、■と言った。よくくるくると回り舞を舞いだした。■の名はその発する声に字を当ててつけられた。山中にはさらに禽鳥がおり、形状は一般的なカササギに似ているが白い体に紅の尾、六本脚で名を■鳥と言った。■鳥は突然現れ、その名は発する声に字を当ててつけられた。

さらに北へ二百里に龍侯山があり、草木は生えず、金属鉱物と玉石が豊富にあった。决水はこの山より流れ出て東へ向かい黄河へと注いだ。水中には多くの人魚がおり、形状は一般的な■魚であるが、四本脚でその発する声は赤子の鳴き声のようであり、その肉を食べると錯乱しないと言う。




さらに北へ二百里に馬成山があり、山上からはが豊富に筋の模様が入った美石があり、山北陰面には金属鉱物と玉石が豊富にあった。山中には野獣がおり、形状は一般的な白犬であるが黒い頭部であり、人を見ると空に飛び立った。名を天馬と言い、天馬の名はその発する声に字を当ててつけられた。山中にはさらに禽鳥がおり、形状は一般的な鴉であるが、白い頭部と青色の体、黄色の足爪があり、名を鶌鶋と言った。鶌鶋の名はその発する声に字を当ててつけられた。その肉を食べると飢えを感じなくなると言い、さらに健忘症にも効果があると言う。

さらに東北へ七十里に咸山があり、山上からは玉石を多く産出し、山下からは銅を多く産出し、生えている草は紫草が最も多かった。条菅水はこの山より流れ出て西に向かい長澤へと注いだ。水中からは器酸を多く産出し、この器酸は三年経つと収穫でき、食べるとライ病に効果があると言う。

さらに北へ二百里に天池山があり、山上には草木はなく、至る所に模様のある美石があった。山中には野獣がおり、形状は一般的な兎であるが鼠の頭をしており、背に生えている毛を使って飛行した。名を飛鼠と言った。澠水はこの山より流れ出て地下を流れて山下へと至り、水中には多くの黄色の堊土(石膏)があった。

さらに東へ三百里に陽山があり、山上には玉石が豊富にあり、山下には金銅が豊富にあった。山中には野獣がおり、形状は一般的な牛であるが紅色の尾があり、首の上には肉瘤があり頭のような形状をしていた。名を領胡と言った。領胡の名はその発する声に字を当ててつけられた。その肉を食べると心神喪失に効果があると言う。山中にはさらに禽鳥がおり、形状は雌の野鶏であり、羽毛上には五彩の美しい模様があり両性であった。名を象蛇と言い、その名は発する声に字を当ててつけられた。留水はこの山より流れ出て南へ向かい黄河へと注いだ。水中には■父魚が住んでおり。形状は一般的な鯽魚(フナ)であるが、魚の頭に豚の体をしていた。その肉を食べると嘔吐に効果があると言う。

さらに東へ三百五十里に賁聞山があり、山上からは蒼玉が豊富に産出され、山下からは黄色堊土と涅石(石炭)が豊富に産出された。

さらに北へ百里に王屋山があり、至る所に石があった。■水はこの山より流れ出て西北へ向かい、泰澤へと注いだ。

さらに東北へ三百里に教山があり、山上には豊富な玉石があったが石は無かった。教水はこの山より流れ出て西へ向かい黄河へと注いだ。この河水は冬季になると枯れ夏季になると流れ出した。即ち干河であった。

さらに南へ三百里に景山があり、山上から南を向けば塩販澤が望め、北を向くと少澤が望めた。山上には叢草、薯■が密集しており、この付近の草は秦椒が最も多かった。山北面からは赭石を多く産出し、山南面からは玉石を多く産出した。山中には禽鳥がおり、形状は一般的な蛇のようであり四本の羽、六個の眼があり、三本の脚があった。名を酸与と言った。酸与の名はその発する声に字を当ててつけられた。酸与が現れる地方はどこでも恐ろしい事件が起こったと言う。

さらに南へ三百二十里に孟門山があり、山上には豊富な蒼玉が埋蔵されており、さらに金属鉱物を多く産出した。山下の至る所には黄色の堊土があり、さらに多くの涅石(石炭)があった。

さらに東南へ三百二十里に平山があった。平水はこの山の山頂より流れ出て地下に潜り山下へと至った。水中には多くの良質な玉石があった。さらに東へ二百里に京山があり、美玉を多く産出した。至る所に漆があった。遍山は竹林でこの山の南陽面からは黄銅が産出され、山北陰面からは黒色の磨石(とぎ石)が産出された。高水はこの山より流れ出て南へ向かい黄河へと注いだ。

さらに東に二百里に虫尾山があり、山上には金属鉱物と玉石が豊富にあり、山下の至る所に竹叢があり、さらに多くの青石蒼玉があった。丹水はここより流れ出て南へ向かい黄河へと注いだ。薄水もここより流れ出て東南へ向かい黄澤へ注いだ。

さらに東へ三百里に彭■山があり、山上は草木は育たず金属鉱物と玉石が豊富にあった。山下の至る所に流水があった。蛋林水はここより流れ出て南へ向かい黄河へと注いだ。肥水もここより流れ出て南へ向かい床水へと注いだ。水中には多くの肥遺という蛇がいた。

肥遺に関しては以下をご覧ください!

食べると病気が治る中国の蛇の妖怪、肥遺(フェイイー)

さらに東へ百八十里に小侯山があり、明漳水はここより流れ出て南へ向かい黄澤へと注いだ。山中には禽鳥がおり、形状は一般的な鴉であるが白い模様があり名を鴣■と言った。その肉を食べると目がよくなり目がかすむことが無くなると言う。

さらに東へ三百七十里に泰頭山があった。共水はこの山より流れ出て南へ向かい虖池水へと注いだ。山上には金属鉱物と玉石が豊富にあり、山下の至る所には小竹叢があった。

さらに東北に二百里に、軒轅山があった。山上からは銅が豊富に産出され、山下の至る所に竹があった。山中に禽鳥がおり、形状は一般的な猫頭鷹(フクロウ)であったが白い頭があり、名を黄鳥と言った。黄鳥の名は発する声に字を当ててつけられた。その肉を食べると嫉妬心が生まれなくなると言う。

軒轅に関しては以下をご覧ください!

黄帝:中国の始祖であり古代神話中最大の功労者

さらに北へ二百里に謁戻山があり、山上の至る所に松と柏の木があった。さらに金属鉱物と玉石を豊富に埋蔵していた。沁水はこの山より流れ出て南へ向かい黄河へと注いだ。この山の東面には林があり、丹林と言った。丹林水はここより流れ出て南へ向かい黄河へと注いだ。嬰侯水もここより流れ出て北へ向かい氾水へと注いだ。




さらに東へ三百里に沮洳山があり、草木は育たず金属鉱物と玉石があった。濝水はこの山より流れ出て南へ向かい黄河へと注いだ。

さらに北へ三百里に神囷山があり、山上には模様がある美しい石があり、山下には白蛇がおり、さらに飛虫がいた。黄水はこの山より流れ出て東へ向かい洹水へと注いだ。滏水もこの山より流れ出て東へ向かい欧水へと注いだ。

さらに北へ二百里に発鳩山があり、山上には柘が生い茂っていた。山中には禽鳥がおり、形状は一般的な鴉であるが頭に模様があり白い嘴に紅色の脚の爪をしており、名を精衛と言った。精衛の名はその発する声に字を当ててつけられた。精衛鳥はもともとは炎帝の娘であり、女娃と言った。女娃が東海へ遊びに行く際に溺れ死んでしまい、精衛鳥に変わってしまった。常に西山の小枝や石をくわえており、東海を埋めたてようとしていた。漳水はこの山より流れ出て東へ向かい黄河へと注いだ。

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さらに東北へ百二十里に少山があり、山上からは金属鉱物と玉石を豊富に産出し、山下からは銅が豊富に産出された。清漳水はこの山より流れ出て東へ向かい浊漳水へと注いだ。

さらに東北へ二百里に錫山があり、山上には玉石が豊富にあり、山下には磨石(とぎ石)が豊富にあった。牛首水はこの山より流れ出て東南へ向かい海澤へ注いだ。

さらに北へ百里に題首山があり、玉石を産出したが石が多く、水は無かった。

さらに北へ百里に繡山があり、山上には玉石、青い碧玉があった。山中の樹木の多くは栒樹であり、草の多くは芍薬(シャクヤク)、芎であった。洧水はこの山より流れ出て東へ向かい黄河へと注いだ。水中には鱯魚と亀蛙がいた。

さらに北へ百二十里に松山があった。陽水はこの山より流れ出て東北へ向かい黄河へと注いだ。

さらに北へ百二十里に敦与山があり、山上には草木は育たず、金属鉱物と玉石が豊富に埋蔵されていた。溹水は敦与山の南面の山脚から流れ出て東へ向かい泰陸水へと注いだ。泜水は敦与山北面の山逆から流れ出て東へ向かい彭水へ注いだ。槐水もこの山より流れ出て東へ向かい泜澤へ注いだ。

さらに北へ百七十里に柘山があり、山南陽面からは金属鉱物と玉石が豊富に産出され、山北陰面からは鉄を産出した。歴聚水はこの山より流れ出て北へ向かい洧水へと注いだ。

さらに北へ三百里に維龍山があり、山上から碧玉を産出し、山南陽面には金があり、山北陰面には鉄があった。肥水はこの山より流れ出て東へ向かい皋澤へ向かった。水中には多くのそそり立った大岩があった。敞鉄水もこの山より流れ出て北へ向かい大澤へと注いだ。

さらに北へ百八十里に白馬山があり、山南陽面には多くの石と玉石があり、山北陰面には鉄が豊富にあり、さらに黄銅を多く産出した。木馬水はこの山より流れ出て東北へ向かい虖沱水へと注いだ。

さらに北へ二百里に空桑山があり、草木はなく冬でも夏でも雪があった。空桑水はこの山より流れ出て東へ向かい沱水へ向かった。

さらに北へ三百里に泰戯山があり、草木は育たずに至る所に金属鉱物と玉石があった。山中には野獣がおり、形状は一般的な羊であるが、一本の角と一つの眼があり、眼は耳の後ろについていた。名を■■と言った。その名は発する声に字を当ててつけられた。虖沱水はこの山より流れ出て東へ向かい溇水へ注いだ。液女水はこの山の南面より流れ出て南へ向かい沁水へと注いだ。

さらに北へ三百里に石山があり、山中には金属鉱物と玉石が豊富にあった。濩濩水はこの山より流れ出て東へ向かい虖沱水へと注いだ。鮮于水はこの山より流れ出て南へ向かい虖沱水へと注いだ。




さらに北へ二百里に童戎山があり、皋涂水はこの山より流れ出て東へ向かい溇液水へと注いだ。

さらに北へ三百里に高是山があり、滋水はこの山より流れ出て南へ向かい虖沱水へと注いだ。山中の樹木の多くはヤシの木で、草の多くは条草であった。滱水もこの山より流れ出て東へ向かい黄河へと注いだ。

さらに北へ三百里に陸山があり、良質の玉石が豊富にあった。■水はこの山より流れ出て東へ向かい黄河へと注いだ。

さらに北へ二百里に沂山があり、般水はこの山より流れ出て東へ向かい黄河へと注いだ。

さらに北へ百二十里に燕山があり、嬰石を多く産出した。燕水はこの山より流れ出て東へ向かい黄河へと注いだ。

さらに北へ山路五百里を行き、さらに水路五百里を進むと饒山に到った。この山は草木は育たず至る所に瑶と碧の一種である美玉があった。山中の野獣の大部分は駱蛇であり、さらに禽鳥の大部分は鵂鶹鳥(ヒメフクロウ)であった。歴虢水はこの山より流れ出て東へ向かい黄河へと注いだ。水中には師魚がおり、その肉を食べると中毒死したと言う。

さらに北へ四百里に乾山があり、草木はなく山南陽面には金属鉱物と玉石が豊富に埋蔵されており、山北陰面には鉄が埋蔵されていた。しかし、水流は無かった。山中には野獣がおり、形状は一般的な牛であるが三本足で名を豲と言った。豲の名はその発する声に字を当ててつけられた。

さらに北へ五百里に倫山があり、倫水はこの山より流れ出て東へ向かい黄河へと注いだ。山中には野獣がおり、形状は麋鹿(大型の鹿)に似ていたが肛門は尾の上面についていた。名を羆九と言った。

さらに北へ五百里に碣石山があり、縄水はこの山より流れ出て東へ向かい黄河へと注いだ。水中には多くの蒲夷がいた。この山の上には玉石があり、山下にはさらに多くの青石碧玉があった。

さらに北へ水路五百里に雁門山があり、ここには草木はなかった。

さらに北へ水路四百里に、泰澤に到った。泰澤中には山が一つあり、帝都山と言い、周囲は百里で草木は育たずに金属鉱物と玉石が豊富にあった。

さらに北へ五百里に錞于母逢山があり、山上から北を向けば鶏号山が望め、ここに吹き出る風は非常に強い■風のようであった。錞于母逢山から西へ向けば幽都山が望め、浴水はここより流れ出た。この幽都山の中には大蛇がおり、紅色の頭に白色の体をしており、発する声は牛のようであった。この大蛇が出現した地方はどこでも大干ばつが起こったと言う。

ここまでをまとめると、北方第三列山系は太行山より始まり無逢山で終わった。合計四十六山で全行程は一万二千三百五十里であった。その中の二十の山の山神の形状は皆馬と同じ体に人と同じ顔をしていた。これらの山神の祭祀は、全て藻や茝の類の香草で祭品を作り地下へ埋める。

その他の十四の山の山神の形状は豚と同じであるが、玉製の装飾品を身に着けていた。これらの山神の祭祀は、祀神の玉器を用いたが、地下には埋めなかった。




さらに十の山の山神の形状は皆豚と同じであったが、八本脚で蛇と同じ尻尾があった。これらの山神の祭祀は、玉璧を一つ用い捧げた後、地下へ埋めた。

合計四十四柱の山神全員に精米を用いて祀る。この祭りに参加する人々は皆火で調理したものを食べずに生ものを食べた。

以上が北方の山々の記録で、合計八十七座の山で全行程は二万三千二百三十里であった。

以上

原文は以下をご覧ください!

出典:baidu

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