玄武:亀と蛇が合体した四象で、水と人の生死を司る神秘的な霊獣

玄武とは(げんぶ xuan2wu3 シュエンウゥ)

玄武とは四神の内、北方を守護する黒い霊亀です。四神の中でもとりわけ信仰されているのがこの玄武であり、真武大帝として生命を司るその神性より四神最強はこの玄武なのではないかと思います。玄武はもともとの名前は玄冥と言い冥界へ行き神託を受けて帰ってくる霊亀の事を指していました。その神託は火にくべた亀の甲羅の割れ具合で判断されました。つまり玄武はもともとは亀甲占いから作り出された存在だったのです。玄冥はその後陰陽五行説に取り入れられて北方を守護する玄武となりました。

玄武は亀と蛇をあわせた形をしており、象徴する色は黒で、季節は冬で方角は北を司ります。五行では水を象徴し、不老長寿、子孫繁栄など様々なご利益をもたらすという水神です。日本では漫画やゲームの影響で守備力が高いだけとも思われがちですが、本場中国ではどのような扱いなのでしょうか。今回も徹底的に調べてみましたのでご紹介いたします( ´∀`)

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玄武とは

玄武は亀とヘビが組み合わさった霊獣の一種です。玄武の本来の漢字は玄冥です。玄は黒色の意味で、冥は陰の意味です。そもそも玄冥の名は亀甲占いに由来しています。亀甲占いとは亀を冥府へ送り祖先に会い、返答を受け取り戻ってきてその結果を甲羅の亀裂を通して占っていますので冥という漢字が使われました。一方の玄という漢字は亀の甲羅は黒いことに由来しています。今では玄武は蛇と亀とが合わさっていますが、最も初期の玄武は玄冥と言い亀だったのです。そして時代とともに少しずつ変化していき、古の武と冥の漢字が同じ発音であったことからやがて名前も玄武となり道教などの影響を受け次第に様々な性格を帯びていきました。




玄武の伝説紹介

後漢の蔡邕は、北方の玄武、甲殻類の長であると言いました。蔡邕は三国志にも出てくる人物です。後漢のころには名前は既に玄武となり、北の方角を与えられています。《文選》には、亀と蛇が交わり武となす、とある。”とあります。また、《礼記 曲礼》には28星座についての記述で、”前には朱鳥、後には玄武”とあります。つまり、朱雀と玄武は南と北と言うように反対側に位置しているという意味です。礼記は周から漢の時代、すなわち紀元前数百年ころに書かれた礼に関する書物をまとめたもので五経の一つとして尊重されてきました。

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孔穎達疎は”玄武は亀なり。”とあり、《後漢書 王梁伝》には、”玄武は水神の名。”とあります。李賢は”玄武は北方の神で、亀と蛇が合わさったもの。”とし、玄武は即ち道家の奉ずる真武帝であり、玄は真と改め、よって後世の道家は真武と祀り、亀と蛇をその傍らに置きました。唐代に成立した《酉陽雑俎 支諾皋下》には”朱道士者、太和八年よく廬山へ行き、渓流で憩うと、束ねた綿の如き蟠蛇が忽然と現れ、空腹になると巨大な亀に変わり、山を練り歩いた。これを玄武という。”とあります。即ち、伝説の中では神怪が変化したものです。難解な言葉が続いていますが、玄武が道家から真武帝としてまつられるようになったというというお話です。後漢以降には真武という名前で崇められるようになっています。




古代の人は北方の星星を亀蛇に見立てました。いわゆる玄武真君です。白虎などは軍神の性格を帯びていますが、玄武に関しては武神としての神性が古代の各階層の信仰を得られ無かったため、唐宋以降には玄武の武神としての神性は見られなくなりました。その一方で道教の大神としての信仰の基礎を固めました。武神としての性質は白虎の方がより強く持っています。亀から玄冥、玄武そして真武大帝となっていき民衆の間で強い信仰を獲得していきます。なぜこのような強い信仰を得られるようになったのか以降にその理由を書きます。

信仰の対象となった玄武の神性

○ 真武大帝

玄武はまたは玄冥と称し、亀蛇が合わり水神となします。亀は長寿を表し玄冥は不老長寿の象徴となり、冥界は北にあり故に北方の神となりました。青龍白虎は四方を掌握し、朱雀玄武は陰陽に順じ、加えて玄武は冥界に通じて占いの神託を受けることが出来るため、他の三霊と異なり、”真武大帝”と称されるとともに北方の神として称えられてきました。

○ 水神

陰陽五行学説によれば、太極から万物は生まれています。太極の動は陽を生み、静は陰を生み、一陰一陽は両儀(天地)を成します。両儀はまた一陰一陽を生み出し、これらが四象(少陽、老陽、少陰、老陰)です。四象は天地陰陽で自然界の変化の中にあり、春夏秋冬の四季を代表します。そして、四象から更にそれぞれ一陰一陽が生まれ、これが八卦を成します。陰陽五行の理論の四象と四神は同義であり、実体のない概念である四象に実体を持たせたものが四神です。

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北方は水に属し、故に北方の神は水神となります。五逸の《九懐章句》には、”天亀水神”とあります。《後漢書王梁伝》には、”玄武、水神の名”とあり、《重修緯書集成》第六巻、河図には”北方七神の星座、北斗星より始まり、北方を鎮め、風雨を司る。”とあります。雨水は万物を成長させ、水は火を消します。この水の重要な効果により玄武の水神の属性は民間信仰ではとりわけ重要視されました。




北斗七星を守護星座に持つとなると一子相伝の北斗神拳みたいですね(;´∀`) 五行学説に従うと勝手に属性がついてくるので、玄武には北と黒と水という属性がもれなくついてきました。治水技術がまだまだ発展途上であった古代では水の神様が重要視されるのは当然です。干ばつや洪水の時などは玄武に祈りを捧げていました。

○ 子宝の神

中国古代の偉大な神力と陰陽が交わる現象は、子宝の神として崇拝されます。蛇は生殖と繁殖の象徴で、玄武は亀と蛇が合わさった姿であり、昔の人は雌雄交配、生殖繁殖の神力とみなしました。

○ 命を司る神

亀は古代において長寿と不死の象徴で、それと同時に死に導くこともできるとされ、《史記 亀策列伝》には、”南方の老人が床を支えるのに亀を用いた。二十余年が過ぎ、老人が死に、床が動いても亀は死なず。亀は気を導くことが出来る。”とあります。《抱朴子》には、”城陽の郄倹が狩に行ったときに、誤って墓穴の中に落ちてしまいました。外に出られず、また助けもこずに飢えに襲われたとき、墓の中に大きな亀が居るのを見つけました。亀はどこに行くわけでもなく塚の中をくるくる回り、大きな口を開けて気を呑み、きょろきょろしていました。倹は亀に聞き、亀の言うとおりにしたところ、飢えは収まりました。”とあります。

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北宮の玄武は七星座の第一宿斗星座のことであり、またの名を南斗といいます。《星経》には、”南斗六星は天子の寿命と、宰相爵位を表します。”晋の干宝(316年前後に生存)の《捜神記》には管輅の話を引用して、”南斗生を注ぎ、北斗は死を注ぐ”とあります。南斗を拝むと寿命が増すといわれており、このことは長寿不死を求める帝王官僚のみならず一般人にも大きな吸引力をもたらしました。




南斗は生で北斗は死、そのまま北斗の拳に通じる話です。玄武を形作る星座に斗、すなわち南斗6星が含まれているため長寿を願って南斗6星を拝むということはすなわち玄武を拝むこととなり、玄武が不老不死の神様となっていきました。

○ 道教で崇奉する星神 “四象”と“二十八宿”

二十八宿、または”二十八舎”、或いは”二十八星”とも呼ばれますが、中国の古代では、夜空の星と年間の星の動きを観測して、星星の中から二十八の星座を作り出して、観測の指標にしたことから”二十八宿”と呼ばれるようになりました。それらの星座は七つごとに四組に分けられて、それぞれの星座の組を、東、西、南、北に分けてそれぞれに青龍、白虎、朱雀、玄武といった動物の形象を当てはめたため”四象”と呼ばれるようになりました。道教では”四霊”と呼ばれます。

四象に対する二十八宿の概念は早期に形成されており、戦国時代に最初の記述が見られます。梢晩の《礼記 曲礼》には、”前に朱鳥、後ろに玄武、左が青龍、右が白虎。”とあります。孔穎達は、”朱鳥、玄武、青龍、白虎は四方の星座の名である。”と説明しています。漢代の緯書《尚書考霊曜》には、”二十八宿、天元気、万物の精也。故に東方は角、亢、氐、房、心、尾、箕の七星座、その形は龍の如し、故に左青龍という。南方は井、鬼、柳、星、張、翼、軫の七星座、その形はウズラの如し、故に前朱雀という。西方は奎、婁、胃、昴、畢、觜、参の七星座、その形は虎の如し、故に右白虎という。北方は斗、牛、女、虚、危、室、壁の七星座、その形は亀の如し、故に後武という。”

○ 四霊之一

中国古代では天空の恒星を”三垣”と”四象”の七区分に分けました。”垣”は城壁の意味です。”三垣”は”紫微垣”と“太微垣”と“天市垣”から成り、”紫微垣”は皇宮を象徴し“太微垣”は行政機関、“天市垣”は繁華街をそれぞれ象徴しています。

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この三垣は北極星を囲むように三角形に配列されています。この三垣の外を囲むように四象である”東青龍、西白虎、南朱雀、北玄武”があります。東方の星座達は龍を、西方の星座達は虎を、南方の星座達は大鳥を、北の星座達は亀と蛇をそれぞれ形作っています。地球が太陽の周りを公転することにより、天空の星座の変化とともに季節は巡ります。冬が終わり春が来る頃には青龍の星座が現れ、春から夏にかけて玄武の星座が現れます。夏から秋にかけては白虎が現れ、秋から冬にかけて朱雀が現れます。

玄武の基となる玄冥は最初は亀甲占いから生まれました。玄は黒色を意味し、冥は陰を意味することから玄冥と呼ばれだしました。また、古代の武と冥は同じ発音であることにより玄武と呼ばれるようになりました。亀の甲羅は黒色で、亀甲占いは亀に冥界に行ってもらい、先祖に拝謁し、返答を受けとり、その返答を亀の甲羅の形状より読み取ったためです。その後、玄冥の持つ意味は拡大して行きました。亀は海亀を含めると江河湖海に生息しています。亀は水辺に棲んでいるのでこれにより玄冥は水神になりました。また、亀は長寿なので玄冥は不老長寿の象徴になりました。最初冥界は北方にあるとされ、殷商の甲骨占いでは占いは来た向きで行い、そのため玄冥は水神になりました。水神であり北を守護するとともに北にあると言われる冥界を行き来する上に不老長寿の象徴であり、なおかつ子宝の神様ともなりました。いろんな象徴が偶然にも重なって玄武は様々な特徴を持つ神獣として神格化されて行ったのです。

つまり玄武が青龍や白虎などよりも一段各上に扱われる理由は、冥界に行けること、不老長寿の象徴であること、子宝の神であること、水神であることなど、人間の生活に密接に関わっていることや人の欲求を満たす能力を持った畏怖すべき神獣だったからです。




玄武は他の三霊と一緒で、天空の二十八星座のうち斗、牛、女、虚、危、室、壁の化身です。古代の人は玄武の解釈を以下のように行っていました。《太上黄箓齋儀》四十四巻には北方の玄武の星座を君子に例えて、”斗星座は天廟星君、牛星座は天机星君、女星座は天女星君、虚星座は天卿星君、危星座は天銭星君、室星座は天廩星君、壁星座は天市星君。”とあります。その形状に関しては、《道門通教必用集》七巻に、”北方玄武、太陽が変化して生まれ、虚と危の性質で、亀と蛇の台形、九地をさすらい、万霊を統治し、右より来る。”とあります。同時に道教の煉丹術の用語でも、《雲笈七羲》七十二巻には《古経》を引用して、四神の丹のことを”玄武は北方に属し、十干で言うと壬と癸、五行では水、鉱物では液体水銀で、柔らかくも硬くもなる。”とあり、《経》には、”良い水銀は水のようで、鉛でも錫でもその他の鉱物でもなく、水は河車、神水ともなり、天地の出来る前から存在し、良い薬のようになくてはならないもので、万物をよく育成し、故に水銀を玄武という。”とあります。

玄武は宋の時代になるとその存在価値が倍増し、人格化がなされ、宋代の各皇帝もこの人格化を推進しました。宋の太祖の時代、真武、天蓬などの天界の大将の伝説がありました。真宗末期の天喜元年に軍営中で事件が起こりました。《事物紀原》七巻に、”兵士の中に蛇を見たものがおり、それにちなみ真武堂を建てた。天喜四月に、その堂の側から泉が湧き、枯れることがなく疾病患者がその水を飲むと病が治った。”とあります。真宗がそのことを耳にすると、寺院を建てさせて”祥源”という名を与えました。これが恐らく中国最古の真武廟です。真武大帝の話は後の隋の煬帝の時代に多く語られ、玉帝は自身の三魂の一つを楽国皇后に与え、悪を嫌い世を正し、位を捨てて山に入り修行し、空を飛べるようになって北方を鎮めたといいます。号を玄武といいます。玄武の名を真武と改めて、皇帝家の聖祖となりました。

その他の由来

中国の夏王朝を興した禹の父親は名は”鯀”(こん)、字は玄冥であったため玄武と呼ばれるようになりました。鯀は有名な大禹治水の前に舜(伝説上の王)の治水助けました。概要は他の神々の助けを借りて河をせき止めて水をより広いところに流そうとしたのですが結局は失敗してしまうという神話です。この神話により鯀は霊亀の化身と言われるようになったという説もあります。

鯀に関しては以下をご覧ください!

四罪(共工、鯀、三苗、驩兜):古代中国神話中の悪行を尽くし舜に断罪されてしまった悪神達

禹に関しては以下をご覧ください!

禹:黄河の治水を成功させた大英雄で夏王朝の建立者

出典:baike.baidu.com

玄武は古くは亀甲占いと関係があったことは、なんとなくイメージできます。亀甲占いは殷の時代の遺跡である殷墟からもその形跡が出土しています。殷の時代は紀元前1000年頃のことですので、玄武の前身の玄冥はかなり古くから信仰されていた可能性があります。亀甲占いで冥界へ行ったり、不老長寿だったり子宝の神様だったり、人間の祭祀ごとに用いやすい性質を持っていたからでしょう。玄武が青龍や白虎、朱雀などを抑えて四象中で最も崇め奉られていたのです。真武大帝として他の四象よりも頭一つ飛び出ていたのがこの玄武だったのです。

しかも、北斗七星と南斗六星を同時に司っているので、北斗の拳で言うならば北斗神拳と南斗聖拳を同時に司っているというとんでもない御仁です。玄武を怒らせたらラオウとサウザーが同時にやってきそうだと考えると四神最強はこの玄武と言っても過言ではないですね(;´∀`)

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