応龍(おうりゅう ying4rong2 インロン)
応龍(応竜)は中国古代神話中の翼を持っている龍のことを指しており、神話上では様々な逸話を残しています。応龍は黄帝と蚩尤の中原の歴史を決めた伝説の戦いである涿鹿(たくろく)の戦いで蚩尤を倒し黄帝側を勝利に導きました。これにより以降の歴史は黄帝の系譜により作り出されるようになり、五帝をはじめとして夏王朝や商王朝は全て黄帝の子孫により建国されています。
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神獣を巻き込んだ古代中国最大の激戦、涿鹿(たくろく)の戦いとその結末
涿鹿の戦いは人間のみではなく女神旱魃など崑崙山の神々や風伯や雨師と言った天候を操る神々も参戦したと言う古代中国史上最大の戦いでした。
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蚩尤は不死身であり狂暴で誰も倒すことが出来無かったと言いますが、この蚩尤を倒してしまったので中国神話中の神獣や妖怪たちの中で最強は誰だ、となったときに真っ先に候補に挙がるのがこの応龍でしょう。
応龍は水を扱う能力が高く、畜水や降雨などの能力を駆使して戦います。また、この能力を生かして禹の有名な治水工事では尾を使って川の支流を作り、川の水を海に流すことで禹の治水工事を成功に導いたりと、神話上でひと際強い光を放っています。この治水の成功により中原の黄河流域は安定して禹は華夏王朝を打ち建てたといいます。夏王朝は商王朝の前にあったと言われている伝説の王朝です。
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蚩尤と戦った応龍と治水工事を行った応龍は同一の龍であり、応龍というとこの龍を指す場合が多いですが、もともと応龍は種族名です。基本的に翼のある龍を応龍と言いますが、その他にも翼のない龍は角の本数などで分類されており、蟠龍や蛟龍などという名前が付けられ分類されています。つまり、龍が成長して角をつけ、最終的に翼が生えて応龍となります。
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今回ご説明する古代神話中で大活躍をした応龍とは一体どんな龍なのか早速見てみましょう!
- 応龍(應龍)(おうりゅう ying4long2 インロン)
応龍が最初に出てくるのは、黄帝の時代です。《山海経》や《史記》に応龍の記述がみられます。黄帝は最初、炎帝と戦いました。炎帝との戦いである阪泉の戦いでは応龍は炎帝の火攻めを雨を降らせることで破っています。ここで出てくる炎帝は神農氏ではなく、その子孫である八代目炎帝の榆罔(ゆもう)です。
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阪泉の戦いの後、黄帝は炎帝を手を組み当時最も勢いのあった蚩尤との戦いに臨みました。両雄は涿鹿(たくろく)の地で最終決戦を行います。いわゆる涿鹿(たくろく)の戦いです。この戦いで両陣営は様々な神獣、霊獣を召還して総力戦を繰り広げました。中国神話中で最も激烈な戦いであったと言われています。
黄帝側についていた応龍は畜水に長け、蚩尤側には風を呼び雨を降らす風伯と雨師といった仙人が味方についていました。この戦いを応龍は優勢に進めていましたが、相手方がターゲットを黄帝に切り替えることで大雨が黄帝陣営へと降り注ぎ、黄帝側は劣勢に立たされました。
この窮地を救ったのが魃という日照りの女神でした。魃は旱魃とも言い、中国の有名な妖怪であるキョンシーは実はこの旱魃に由来しています。黄帝は旱魃に頼んで雨を止めてもらい、一挙に劣勢を挽回してそのまま蚩尤の部落まで攻め込みました。この戦いで応龍は蚩尤を仕留めるという多大なる戦功をあげたと言われています。一方、別な説では蚩尤は黄帝により首を切り落とされ、その首は饕餮(とうてつ)になったなど諸説あります。韓非子は敗戦後、蚩尤は黄帝に帰順した、という説を取っています。
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応龍はこの戦争で消耗しきったため天に帰る力を失い、戦争後は南方の山中に蟄居しました。 応龍は雨神の性質も持っているために、南方で雨がよく降るのは応龍が南方へ行ったために南方で雨が多くなったためであるという伝説が生まれました。一方の涿鹿やその周辺では雨が降らなくなったという伝説もあります。
応龍が南方で静かに暮らしていると、時は過ぎ大禹の時代に至りました。この時代は洪水に悩まされ人々は苦しんでいました。禹は黄帝の系譜で、黄帝から始まる五帝の系譜の最後の帝である舜の後継者です。
大禹はこの人々を救うという重責を果たすため、応龍のところを行き助けを求めました。大禹の求めに応じて応龍は尻尾で大地を掃き、水路を作ることで治水に成功しました。これにより応龍は大禹の功臣となりました。
応龍の外見に関しては以下のようにあります。応龍には1対の翼があり、身体はうろこで覆われて、背にはとげがあり、口はとがっていて、鼻、目、耳はどれも小さいが、眼のふちは大きく、眉は高く歯は鋭く、額には突起があり、首は胴体よりも細く、尾は長く尖っており、四肢壮健で翼のある揚子江ワニに似ているといいます。戦国時代の玉や漢代の石や漆器などのモチーフとして応龍はよく見られています。
その他、応龍は麒麟、鳳凰、霊亀と共に四霊や四瑞とも言われており、瑞獣即ちおめでたい霊獣とされています。
出典:baidu
翼のある龍である応龍の伝説です。応龍は黄帝と蚩尤の戦いで重要な役割を果たしています。また、黄帝の子孫である大禹の有名な治水工事にも参加し功績を残しています。青龍、黄龍と並んで五帝に仕える龍の中心的な存在がこの応龍なのです。
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鳳鳥様
ご質問の応龍と霊亀ですが、中国でも民間信仰中で麒麟、鳳凰、応龍、霊亀を四霊としている場合があります。これはただ言い方の問題だと思います。応龍も霊亀も龍や亀が長い間生きた事に由来しています。ただの龍や亀よりも応龍や霊亀とした方が箔がつく上によりおめでたいからではないかと推測します。特に中国では漢字二文字なら二文字で統一するという習慣がありますし、麟と鳳を雄と雌を表す麒麟や鳳凰としたときに龍も亀も二文字でないと収まりが悪いです。それでとって付けた可能性も考えられます。