柏皇氏:古代中国初期の伝説中の帝の一族

柏皇氏(はくおうし bai3huang2shi4 バイホアンシィ)

柏皇氏は柏黄や栢篁などとも称される古代中国の伝説中の帝の名前です。晋の干宝の《晋紀・論晋武帝革命》には、”昔、天下にいた者は、柏皇、栗陸以前は為してもあらず、応じても求めず、大道を堅持した。”とあります。

柏皇氏自体は伏羲氏や女媧氏の流れをくむ氏族名であり、四人の帝がいたとされそれぞれ伏顕、可塑、郁蕾、佘蓄と言われています。この四人の帝の治世は紀元前7224年から紀元前7085年の139年間とされていますので、まさに神話上の伝説の帝となります。

伏顕(ふっけん fu2xian3 フゥシエン)

伏顕は紀元前7251年の随象二十年に柏城で生まれ、7224年に帝位に就き遂城という都を作り紀元前7191年に没したと言います。は柏城は現在の河南省駐馬店市西平県南に、遂城は駐馬店市遂平県古城にそれぞれあったとされています。

伏顕は女帝であり、風姓です。風姓と言えば伏羲の部族も風姓ですので同族であることを示唆しています。

伝説によれば、伏顕の生きた時代には大庭氏が部族たちの長でした。しかし、飢饉や大規模な自然災害が起こり人々が苦しんでいるにもかかわらずこれを顧みなかったので、人心は大庭氏から徐々に離れていきました。そんな状況下で救済に動いていたのが伏顕を長とした柏皇氏でした。その献身的な活動に人々は心を打たれ、大伏羲氏の部落を始めとして柏皇氏を盟主として仰ぐようになり、大庭氏の抵抗もむなしく7224年に帝位に就いたと言います。




伏顕の在位三十三年、紀元前7191に六十一歳でこの世を去りました。伏顕の死後、遺体は遂城の城北(河南省駐馬店市遂平県西北)に葬られ、帝伏顕と尊号されました。

可塑(かそ ke3su4 コォスゥ)

可塑は随象四十二年、(壬辰、紀元前7229年)に柏城で生まれ、伏顕の逝去に伴って紀元前7191年に伏顕の跡を継いで帝位に就きました。三十二年間在位し、紀元前7159年に七十一歳でその生涯を閉じました。遺体は遂城の城北(河南省駐馬店市遂平県西北)に葬られ、帝可塑と尊号されました。

塑は男性であり風姓で、柏皇氏と号しました。中国氏族連盟時代の伏羲女媧政権の十六代目の帝です。大伏羲氏族柏皇氏では伏顕に次いで二代目の帝となります。可塑は伏顕の甥にあたります。公共事業を盛んに行ったため伏顕に気に入られ、ニ十歳で伏顕に重用されて遂城で朝政の補佐をするようになりました。

帝伏顕の晩年には、大伏羲族の各部落の長たちは皆可塑を推薦したため、伏顕の死に伴い帝位を継承しました。

郁蕾(いくらい yu4lei3 ユィレイ)

郁蕾は伏顕二十七年、(甲子、紀元前7197年)に柏城で生まれ、可塑の逝去に伴って紀元前7191年に可塑の跡を継いで帝位に就きました。三十二年間在位し、紀元前7158年に五十五歳でその生涯を閉じました。遺体は遂城の城北(河南省駐馬店市遂平県西北)に葬られ、帝郁蕾と尊号されました。

郁蕾は女性であり、伏羲女媧政権の第十七代目の帝でした。大伏羲氏族柏皇氏の三番目の帝でした。

佘蓄(よちく yu2xu4 ユィシュィ)

佘蓄は可塑二十六年、(丙申、紀元前7165年)に柏城で生まれ郁蕾の逝去に伴って紀元前7143年に郁莟の跡を継いで帝位に就き伏羲女媧政権の十八代目の帝となりました。佘蓄は女性であり祖母は柏皇氏の二代目の帝である可塑で、姑母は郁莟でした。

五十八年間在位し、紀元前7085年に八十一歳でその生涯を閉じました。遺体は遂城の城北(河南省駐馬店市遂平県西北)に葬られ、帝佘蓄と尊号されました。

佘蓄の死後、柏皇氏の権勢は次第に衰え罷免されました。柏皇氏の四人の帝の執政は百三十九年に及びました。

出典:baidu

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