欽原(きんげん qin1yuan2 チンユエン)
欽原は古代中国の神獣の一つです。山海経の西山経に記載が見られており、”さらに西南へ四百里に崑崙山があった。ここは天神が下界に降臨した際の都であり、天神陸吾(りくご)の主管であった。山中には禽鳥がおり形状は蜜蜂で大きさはオシドリ程度であり、欽原に刺された鳥や獣は皆死んでしまい、木々は枯れてしまうと言う。”とあります。
この記述から欽原は崑崙山に住む蜜蜂に似た鳥でした。しかし、蜜蜂に似た外見と生き物を刺すと言う記述より後世では蜂に似た怪物として描かれています。
山海経・五蔵山経西山経編に関しては以下をご覧ください!
崑崙山の南側には槐江山があり、天神英招(えいしょう)が司っていました。この英招は崑崙山に住む様々な生き物をも管理しており、管理している生き物の中に欽原も含まれているとされています。
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玄蜂(げんほう xuan2feng1 シュエンフォン)
玄蜂は中国神話中の巨大な蜂のことで、腹部は壷ほどあると言われています。人を刺しその毒は人を死に至らしめると言います。
玄蜂は山海経で大蜂として描かれており、海内経海内北経には、”大蜂がおり、形状はキリギリスのようであった。”とあります。
その他にも《楚辞・招魂》中でもその名が見られ、”玄蜂は壷のようである。”とあります。王逸は注釈を残しており、”この蜂の腹は壷位大きく毒があり人を殺すことが出来る。”と書いています。
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南海胡蝶(なんかいこちょう nan2hai3hu2die2 ナンハイフーディエ)
南海胡蝶は中国神話中の神獣の一つで巨大な蝶々の事を指します。
有る者がこれを捕まえ翅と脚をもいで重さをはかると八十斤あったと言い、非常に美味であったと言います。
この話は《岭南異物志》に記載されており、”常に南海を航行している者が、岸に停泊していた。そこに蒲帆のようなものが海から飛んできて舟にあたった。その帆のようなものは砕けて地に落ちた。これを見ると蝶であった。海人がその翅脚を秤で測ると八十斤の肉を得た。これを貪り食うと良く肥えて豊かな味であった。”と言う内容に由来しています。
別の説では、南海胡蝶は海市で生まれその形態は様々に変化した為、またの名を”百幻蝶”と言うとあります。
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朱蛾(しゅが zhu1e2 ジューオー)
朱蛾は巨大な蛾に似た怪物を指します。
朱蛾は山海経の海内北経に記載が見られ、”帝堯台、帝嚳台、帝丹朱台、帝舜台はそれぞれ二つの台座があり、それぞれの台座は四角であり、崑崙山の東北面にある。大蜂がおり、形状はキリギリスのようであった。朱蛾がおり、形状は大蟻のようであった。”とあります。
山海経・海内北経に関しては以下をご覧ください!
郭璞は山海経中のこの記述に対して、”蛾、蚍蜉(大きな蟻)也。楚詞には、”玄蜂は壷の如く、赤蛾は象の如し。”とあるがこれを指している也。”と注釈を残しています。
朱蛾は巨大な蛾に似た怪物とされていますが、別の説では赤色の巨大な蟻であると言う説もあります。
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文文(ぶんぶん wen2wen2 ウェンウェン)
文文は山海経の中山経に記載が見られ、”さらに東へ五十二里に放皋山があった。明水はこの山より流れ出て南へ向かい伊水へと注いだ。水中には蒼玉が多くあった。山中には樹木があり葉は槐の葉に似ており、黄色の花を咲かせたが実は結ばなかった。名を蒙木と言い服用すると思考が不明瞭にならなくなると言う。山中には野獣がおり形状は蜜蜂のようで分岐した尾とひっくり返った舌を持ち叫ぶことを好み名を文文と言った。”とあります。
文文は放皋山と言う山に住んでおり、蜜蜂のような形状をしていたと言います。
山海経・五蔵山経中山経に関しては以下をご覧ください!
モスラが南海胡蝶や朱蛾の起源になったのかも