鴆:毒酒として悪名高く数々の人物を闇に葬ってきた毒鳥

鴆(ちん zhen4 ジェン)

鴆は中国伝説中の毒鳥で、不祥の兆しであるとされています。形状は首の周りをぐるりと巻いている羽毛を持っている大鳥で、黒身に目は血で満たされており深紅で体を開くと紫緑色の羽毛があり蛇を好んで食べたと言います。その羽毛には毒が染み込んでおり酒の中に入れておくと人を死に至らしめる毒を作り出すことができます。

《漢書》中には漢の恵帝二年の時、斉王劉肥が朝廷に入ると恵帝は礼を尽くして迎えました。その結果呂太后の不満を引き起こし、人に命じて謀殺のために劉肥に鴆酒を飲ませようとしたと言います。

劉肥は高祖劉邦の庶子でしたが、年齢的には恵帝の兄にあたったので呂太后に危険視されていました。しかし、恵帝は弟として劉肥に接しました。これが気に食わなかった呂太后が劉肥に鴆酒を飲ませようとしたときにもその事情を察した恵帝は自らその鴆酒を飲もうとしたと言います。




鴆は蛇をよく食べており冠鷲の事であると指摘されています。昔の人々は毒蛇を多く食べたので羽毛中には毒を含んでいるのだと考えていました。また古くから鴆は鴆毒、鴆酒毒、鴆蛇之争などの言葉として用いられてきました。飲鴆止渇は有名で、喉の渇きをいやすために毒である鴆を飲むと言う意味であり、間違った用法に対して使用します。

  • 鴆の毒性

鴆は毒鳥であり、鴆毛もしくは鴆糞を酒の中に浸すと猛毒をもたらすと伝えられています。《辨証録・中毒門》には、”人が鴆酒を飲むと、目を回し体は震えだし、酩酊状態になる。意識はかすかにあるが話すことが出来ずやがて眼を閉じて死んでしまう。”とあります。鴆酒の最も簡単な製法は上等な酒で鴆羽を払うと酒の色と香りを損なわずに酒に毒を入れることができ、飲むと五蔵を害し神経を麻痺させ無痛の内に死ぬと言います。鴆酒は以前は皇宮で謀殺のためや賜死の際の上品として用いられたという記述が多く残ってます。

  • 生息環境

鴆は岭南一帯に生息しているとされており、古い大木が生い茂り蛇蝎の跋扈する深い山林に住んでいます。高さ数丈の毒栗の木の上に営巣することを好み、鴆の住んでいる木の周辺にある石の上には黒色の斑点と微細な亀裂が入っていると言います。これは鴆鳥類の糞が石の上に落ちて石が腐食してしまったためです。さらにこの毒を含んだ糞により毒栗の木の周囲数十歩の草は枯れてしまい生えることはありません。

ただ、毒栗の木だけは鴆の毒に耐性を持っており枯れることはありませんが、この毒栗の実には猛毒が含まれており、この実を食べると人も家畜も死んでしまいます。鴆はこの毒栗を好んで食べると言います。毒栗の他に鴆は毒蛇をついばむ上、山林内で毒を含んでいるものなら何でも食べてしまいました。鴆が生活できる山林は毒蛇は蠍など毒を持つ生き物がいることが第一条件になります。

鴆鳥を探しに山林に分け入ると鴆の習性を熟知している人でさえ鴆を見つけることは難しく鴆の住む山林自体に鴆の他にも多くの凶獣や凶鳥がいるので山に入った人は襲われてしまいほとんど戻って来ることはないと伝えられています。

山海経には鴆の記述があり、”さらに東へ六十里に瑶碧山があり、ここの樹木は梓と楠が最も多く、山北陰面からは青雘(青色の鉱物顔料)が多く産出され、山南陽面からは白銀が多く産出された。山中には禽鳥がおり、形状は一般的な野鶏でありよく蜚虫を食べ、名を鴆(ちん)と言った。”とあります。蜚虫とは羽で空を飛ぶ種類の虫の事です。




この記述に対して郭璞は、”鴆の大きさは鷲程度で紫緑色、首は長く赤い嘴で蝮蛇の頭を食べた。雄の名は運日と言い、雌の名は陰諧である。”と注解を記しています。

山海経中山経に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,5 五蔵山経中山経編

  • 鴆の諸説

鴆はその毒性により毒酒の原料として使用されてきたと言い伝えられてきましたが、別の説では鴆は伝説中の猛禽ではなく実在する鳥であり即ち南方の山岳部の広範囲に生息する食蛇鷹という小型の猛禽の事を指しており、蛇を食べる食性により体内に毒を取り込んでいると誤解されたと言う説です。別の説では以前に生息していたがすでに絶滅してしまった種であると言う説です。

  • 鴆の成り立ち

漢字の見た目で誤解されてしまっていますが、多くの人々は鴆を鳩と混同してしまっています。鳩は古代では祝鳩、鶻鳩、爽鳩、雎鳩、鳲鳩という五種がいたとされています。しかし当時の鳩は現在の分類上では様々な種類の鳥を含んでおり、祝鳩と鶻鳩が鳩類で、鳲鳩はキツツキなどと同じ攀禽類、爽鳩は鷹類、雎鳩は鶚類に属しているとされます。

このような種族の混同は現代の基準で考えると混乱してしまうような様々な語句を生み出す要因になりました。例えば、鳩鴆という言葉は善人を陥れる人間の例えとして使用され、鳩奪鵲巣は鳩は巣をかけることが苦手でうまく作れないため鵲(かささぎ)の巣を奪い取るなど、現代の鳩の仲間には見られない習性を持つとされました。このような様々な要因が重なり鳩と鴆は同じ種に属していると考えられて混同されてきました。

鴆鳥の最も危険な場所は羽毛です。この羽毛に含まれる猛毒から作られる鴆酒は酖酒とも言い、古くは《左伝》中にもその記述がみられます。この鴆酒の毒は人の命をいとも簡単に奪ってしまうほど強く、鴆の毒は水溶性で無色無味無臭なので酒にも溶かすことができます。

毒酒と言えば鴆酒とも言うほど鴆酒は有名ですので誇張された側面もあり、実際は単に羽毛の毒から作られたわけではなく鳥兜(とりかぶと)や毒箭木、毒芹汁などなど有名な毒を混ぜて作られていました。ただ習慣的に鴆酒と呼んでいただけです。

鴆酒は誰もが作れると言う訳ではなく医学的や薬学的な知識と技術が必要とされたので闇の職業となり鴆者と呼ばれました。古籍中には鴆酒を贈られ自殺をしたと言う記述が多くみられ、”惧鴆忍渇(鴆酒を恐れ渇きに耐える)”や”飲鴆止渇(鴆酒を飲んで渇きを癒す)”などの語源となっています。

古来より酒の中に何かしらの毒物を混ぜて製造された毒酒は暗殺の道具として使用されてきました。これらの記述は漢代の史記や漢書などに豊富にみられます。

《南唐書・申漸高伝》には、南唐皇帝李昇は大臣である周本の威光が高くなったことを恐れて誅殺しようと考えました。ある時、李昇は一杯の鴆酒を周本に賜りました。周本は皇帝の意図を察し盃をもう一つ用意させ半分を皇帝に差し出し、皇帝を奉り君臣一心を表明しました。




李昇の顔色はみるみる変わりどうすればよいかわかりませんでした。その時帝王のために舞を舞っていた申漸高という人物がこの情景を見て舞を舞いながら周本の酒に近づき言いました。”皇上はこれを私に賜ったのだ。”言い終わると鴆酒を一気に飲み干し盃を懐に仕舞い立ち去りました。李昇はすぐに申漸高へ飲ませるために内密に解毒薬を持ってこさせました。しかし、薬が到着する前に申漸高はすでに”脳裂”しており死んでいました。脳裂とはどういう症状を指すのか詳細は説明されておらず今となってはわかりませんが、非常に恐ろしい出来事であったと伝わっています。

出典:baidu

今回は鴆酒の話でした。鴆と言う鳥は漢代辺りには南方ではよく見られていたようでしたが、時代とともに文献にも登場しなくなっていきました。一説によると鴆酒による毒殺を恐れた皇帝たちが鴆鳥を駆除してしまったために絶滅してしまったと言われています。

鴆は現在では見られませんが、古い文献の鴆の生態に対する描写が精緻であることと鴆酒の記述が非常に多いため鴆は実在したかもしくは鴆のモデルとなる毒を持った鳥がいた可能性も考えられます。

毒の種類は様々で蛇の毒などは血液中に入ってからこそ効果を発揮するので、酒に混ぜて相手に飲ませても大した効果は期待できません。また、スズメバチなど蜂の毒にはギ酸やヒスタミン、セロトニンなどが入っておりこれらは飲むだけでも体に影響を与えますが、スズメバチ一匹に刺された量程度では人は死にません。死ぬ場合はアナフィラキシーショックというショック死が主です。酒に混ぜて毒殺するには多くの蜂から毒を採取する必要があります。

鴆の場合は羽に毒があると言います。これは嘴やだ液に毒があり、それを羽につけて外敵から身を守っているのではないかと想像します。

一般的に毒として使用することを考えると、鳥兜やフグの毒などが現実的ではないかと思います。鳥兜などは古来より毒として使用されてきましたし、昭和には鳥兜を使った殺人事件が日本国内で起きています。フグの毒であるテトロドトキシンなども水溶性で猛毒ですので、これも毒として使用できますし現代でも時折誤食事故で亡くなっています。因みにテトロドトキシンと鳥兜のアコニチンは拮抗、つまり互いに毒性を弱めあう性質があると言います。

北陸ではフグの卵巣を長期間糠につけて毒抜きした卵巣の糠漬けなる食べ物があると言いますが、何で毒が抜けるのか不思議ですね。そもそも誰がこの危険極まりない食べ物を作って、さらになぜ食べようとしたのか不思議でしょうがありません(;´∀`)

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