諦聴:地蔵菩薩のそばでお座りしている犬

諦聴(ていちょう di4ting4 ディティン)

諦聴は地蔵菩薩の側におり足元に伏せている犬に似た神獣の事です。世の万物を見分け、その人の心を聞く善に優れ、名著西遊記中には諦聴が美猴王の真偽を見分ける物語があります。諦聴は虎の頭に独角、犬耳、龍身、獅尾、麒麟足と言った様々な獣の一部で優れた部分を集めてその身体を成しています。

伝説によれば地蔵菩薩が諦聴に乗っており、もともとは白い犬の形状でした。これは地蔵法門は孝道を基本としているために犬の忠誠が孝道に通じているためです。このことは文殊菩薩の獅子が知恵を表していることや普賢の白象が大行を表しているとと同じであり、古い地蔵の諦聴は犬を通して忠誠不二の心を表していたのです。

元々諦聴は唐の開元末年の古新羅(今の韓国)王子の当時24歳であった金喬覚に由来しています。金喬覚は俗世に心底嫌気がさし一匹の白犬と共に海を渡って中国へとやってきて髪を剃り僧となりました。白犬を伴った金喬覚は卓錫九華で昼夜問わず共に修行し、至る所で凶に会うも全て吉に変えました。西暦794年、貞元十年、農歴七月三十日に金喬覚座禅を組んだままその生を終えました。その傍らには白犬も一緒でした。




三年後金喬覚の遺体が開き骨は金鎖のようで表情も生きているようにみえました。仏教の経典には、”菩薩鉤鎖、百骸が鳴く。”とあります。(この一文の解釈ははっきりとはわかりませんが、鉤鎖は湾曲した部分、即ち鎖骨を示しているといい、百骸とは沢山の骨を表しています。)この様子に皆感嘆し、口々に金喬覚は則ち地蔵菩薩の化身だと言って寺を建てて白犬と共に祀りました。

金喬覚は仏教徒たちから地蔵菩薩の化身であると見做され、金地蔵と称されました。この白犬も金喬覚に因み神犬とされました。後世の人々はこの諦聴を仏理、人性に通じ、邪を避け吉祥を見る神犬として神格化していきました。

  • 諦聴の外見と象徴

諦聴には虎の頭と一本の角、犬耳、龍の体、獅子の尾、麒麟の足が備わっている瑞獣であり、龍に似ていますが龍ではなく虎に似ていますが虎でもなく、獅子に似ていますが獅子でもなく、麒麟に似ていますが麒麟でもなく、犬に似ていますが犬でもありません。これらの神獣や動物を合わせた見た目をしています。また、独角は決断力を表しており、龍の体は吉祥を、虎の頭は知勇を、犬の耳は善く聞くことを、獅子の尾は忍耐を、麒麟の脚は四平八穏を以って宝と為すことを表しており、人々が様々なパーツを集めて作り出していることから”九不象”とも称されます。

広く知られていることに、諦聴は九気を持っていると言われています。九気とは則ち、霊気、神気、福気、財気、鋭気、運気、朝気、力気、骨気です。この九気は避邪、消災、降福、護身などの作用をもたらすとされています。




敬虔な仏教徒は諦聴に備わっている霊気が家運を上げると信じていました。子供が諦聴を帯びるとしっかりと成長し大きくなり誠者、賢者、智者、悟者、覚者、寿者になることができるとされ、大人が身に着けると願いが成就すると言われています。後世の人々はさらに神格化を行い神犬諦聴は仏理に明るく、人性に通じ、邪悪を避けるとして吉祥の象徴としました。

  • 後世の影響

西遊記中に《真偽美猴王》中で孫悟空と六耳猕猴が真偽を判別してもらうために菩薩を探しに行ったとき、菩薩の乗る諦聴が判別出来たと言いう話です。

これはどういう話かと言いますと、六耳猕猴が孫悟空に化けたときに天界の諸将も偽物と判別できませんでした。二人は言い争いながら陰間地府に行きましたが十大閻王でさえ判別できないと言う有様でした。幽冥教主地蔵王菩薩は諦聴に判別させると諦聴は地に伏せ地蔵菩薩に言いました。”どちらが偽物であるかはわかりましたが今ここで正体を明かすわけにはいきません。”と言いました。地蔵菩薩は、”何故だ?”と尋ねると諦聴は、”二人の神通力は互角です。ここで暴れられると二人をおさえるだけの戦力はありません。如来菩薩の前で明かすのがいいでしょう。”と言いました。その後、六耳猕猴は正体を暴かれ激怒した孫悟空に如意棒で撃ち殺されてしまいました。

西遊記中の諦聴は天界の諸将、菩薩でさえ見抜けなかった真実を見抜いてしまったのです。

出典:baidu

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