王亥:商国の始祖でもあり、商人の祖でもある人物

王亥(おうがい wang2hai4 ワンハイ)

王亥は黄帝の子孫であり商王朝(殷)の始祖とされる人物で、紀元前1854年に生まれ紀元前1803年に逝去したとされています。

王亥は子と言う姓で別名を振とも言い、夏王朝の時代の商丘人であり商族で、王亥は商族の第七代の君主でした。

さらに有名な閼伯(あっばく)の六世の子孫で、冥の長子でもあります。王亥の子孫には商王朝を建国した商湯がおり、このため王亥が商王朝の始祖であるとされます。また、王亥は王姓の始祖とも言われています。

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契:帝嚳の息子で商族の祖であり、火正となり民に尽くした名臣

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商湯:夏王朝を滅ぼして商王朝(殷)を建国した商王朝初代の帝

王亥は治水で大功をあげたのみならず、商丘で産業を発展させました。牛車を発明し、この牛車を使って商品を運び、他の部族たちと交易を行ったと言います。この産業の発展と交易の促進により商の部落は強国へと成長しました。




商業を発展させたことから、商部落の人々は商人と呼ばれ、交易で交換される物品を商品と呼びました。商人の語源はこの王亥たちに由来しています。また、商人が従事する生産活動を商業と呼ぶようになったと言います。このことから王亥は華商始祖や、中斌財神などとも尊称されました。

  • 王亥の経歴

王亥は夏王朝時代の商丘(現在の河南省商丘)の人です。夏王朝少康十一年に王亥の父親冥が夏王朝の君主の命令で黄河で起こっている問題解決のために派遣されました。この時王亥は父親の補助を行ったとされています。しかし、夏杼の十三年に父親が黄河の近くで亡くなってしまいました。商族人は冬至の時に冥の功徳を讃えて彼を祀りました。この後、王亥は正式に商族の七代目の首領となりました。

王亥の即位後に、牛馬を飼いならし牛車を発明したと言います。また、この発明により部落の農業と牧畜を急速に発展させ、生産余剰品を売ることにより交易を発展させました。

伝説では馬に乗って馬を飼いならした最初に人物であるとされています。

  • 商業の被害

農業と畜産業の発展は商国を強大にしました。そして余剰の生産品を交易品として使用し、王亥達は交易品を牛車に乗せて様々な地域を回りました。外部の人々は彼らを商人と呼び、商人の語源となったと言われており、歴史を通して王亥は商人たちの信仰を集めました。

夏泄十二年に王亥は牛、羊の過剰品を売るためにその弟である王恒とどの部落と物々交換をするか議論していました。そして相手先の牧人が決まると、牛と羊を有易国(現在の河北省易県)へと運びました。

《竹書紀年》にもこの時の様子が書かれており、”帝泄の十二年、殷侯子の亥が有易に滞在中に、有易は亥を殺してしまった。”とあります。帝泄十二年、即ち紀元前1810年に王亥と弟の王恒が共に商丘を出発し、品物を載せ牛羊を連れて交易を行うために河北の有易氏の下へと行きました。有易氏部落の首領であった綿臣はその財を見て王亥を殺害する決意をしました。そして鴎外を襲い品物と牛羊を奪い取ってしまいました。この事態に弟の王恒は命からがら何とか商丘へと逃げ帰りました。




発掘された甲骨文字に記載されている内容は、王亥は有易君により殺されましたが、王亥の子である上甲微により有易君は殺されたとあります。商朝が建国された後には王亥は廟号は商高祖として追尊され、殷墟の甲骨文字中では”商高祖王亥”や”高祖王亥”と称されています。

この王亥殺害の様子は山海経にも記載が見られており、”王亥という人物がおり、両手で一羽の鳥を掴み鳥の頭を食べていた。王亥は肥った牛の一群を有易族人の所で飼っており、水神河伯の所であった。有易族人は王亥を殺し、その肥った牛を没収した。河伯は心を痛め、王亥の子孫たちが有易族人からこっそり逃げ出すことを助け、野獣が出ない地方で国家を建立した。彼らは今は野獣の肉を食べ、国の名前は揺民国と言った。別の言い方をすると、帝舜が戯を生み、戯の子孫が揺民であった。”とあります。

この文中では王亥の子孫は揺民と言い、帝舜の子孫であるとされています。また、河伯とは黄河を司る水神です。

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  • 商王朝の始祖

王亥は閼伯(契)の六世代後の子孫で、冥の長子でしたので商族の首領となりました。発掘された甲骨文字には高祖亥或いは高祖王亥と記されています。

契は夏王朝の始祖である大禹の治水工事で功績があったため虞舜に司徒に任じられ人々を教育することに責任を負いました。同時に商(現在の河南省商丘)に封じられて商族の祖となりました。王亥の父である冥は夏少康の司空に任じられ、黄河で亡くなっています。

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この王亥の後には夏桀による悪政が行われ、王亥の七世の子孫である商湯により夏桀が討伐されて夏王朝は滅びました。そして商湯は商王朝を建国し。王亥は商祖として祀られました。

王亥の系譜

黄帝ー少昊ー蟜極ー帝嚳ー契(閼伯)ー昭明ー相土ー昌若ー曹圉ー冥ー王亥ー上甲微…商湯…紂王

出典:baidu




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