五龍氏(ごりゅうし wu3long2shi4 ウーロンシ)
五龍氏は古代中国神話中の人物で、人皇の後に五龍氏がおり、五人兄弟で龍に乗り天地を駆けたので五龍氏と言いました。五龍氏の五人兄弟は、長男を皇伯、次男を皇仲、三男を皇叔、四男を皇季、五男を皇少と言いました。五人は共同で天下を治めました。五条の飛龍に乗り巡視しました。現在の上郡膚施に五龍山と言う山があり、五龍氏が生まれた地方だと言われています。《竹書史記》には、”五龍がおり、蜀に住み、五色の帝と為した。”とあります。
天地初立の時の伝承に基づくと、天皇氏、地皇氏、人皇氏が続いて現れ各地を長期間統治しました。伝説では地皇は”熊耳、龍門で興った。”とありますがこれは地皇氏が龍に関係していることを暗示しています。また、人皇は、”雲車に乗り、六羽が引き、谷口を出た。”とあり、古代中国では、”雲は龍から、風は虎から”と言われていたように、龍と雲には密接なかかわり合いがあり、雲車に乗るという表現は実は龍車に乗るという表現でも通じるのです。そして、人皇の後の時代には、龍が正式に登場するようになりました。司馬貞が補った《史記・三皇本紀》には、”人皇以降、五龍氏があった。”と書かれており、注釈には、”五龍氏、兄弟五人龍に乗り天を上下に行き来し、故に五龍氏と言った。”とあります。
五龍氏の伝説は蜀国の”五色帝”に由来しており、彭県で出土した一大四小の銅罍(祭祀用の酒器)は殷周時代に蜀人は五つの方向を祭祀していたことを現しています。
黄帝が中原を統一した後、蜀、即ち現在の四川、雲南一帯は五龍氏の封地となりました。五龍は五行説と関連付けられており、老大は皇伯と、老二は皇仲と、老三は皇叔と、老四は皇季と、老五は皇少であり、それぞれ金、木、水、火、土に属していました。その中で、皇伯は農桑を主管し、皇仲は漁猟を行い、皇叔は内政を主管し、皇季は水利を興し、皇少は四方を占卜しました。この五名が力を合わせて世を治めたので、もともと不毛の地であった蜀は次第に繁栄し、この影響もあり黄帝の息子である昌意が洛水の河岸周辺に封じられました。これは黄帝がこの地を重要視していたためであると考えられています。
また、伝説には五龍氏の中の皇少は蚩尤との戦いの中で戦死したという話もあります。その後、蜀の地の四人は先秦時代には四方帝となり、漢朝以降には蜀の五色帝の伝説が取り入れられるようになり天地を祭祀し漢朝の最も重要な祭祀の一つとなりました。
司馬遷の史記を補う形で書かれた司馬貞の三皇本紀にも五龍氏の記載が見られており、”人皇から以降には五龍氏、燧人氏、大庭氏、柏皇氏、中央氏、巻須氏、栗陸氏、驪連氏、赫胥氏、尊盧氏、渾沌氏、昊英氏、有巣氏、朱襄氏、葛天氏、陰康氏、無懐氏があり、三皇以来天下にあった者の号であるが、書籍には記録が記されておらず、姓や王の年代、都の場所などの記載も見られない。”とあり、三皇の最後である人皇の後を引き継いで世を治めた人物もしくは一族であると読み取ることが出来ます。歴史書として史記を見ると、中国の歴史は三皇本紀から始まっており、その次に五帝本紀が位置しています。つまり、五龍氏の大分後に黄帝や堯、舜などが現れたということになります。
三皇本紀に関しては以下をご覧ください!
一方で、三皇本紀には実は二通りの三皇が記載されており、一つは天皇、地皇、人皇であり、もう一系統は伏羲、女媧、神農です。これはそれぞれ別々に作られた二系統の神話が存在していたが、司馬貞の生きた唐の時代ではどちらが正史であるか決めかねていたことを伺わせます。もっと言いますと、このこの世が作られて以降の初期の神話には伏羲や女媧などと並列して盤古の神話も存在していますので様々な地方で独自に神話が形成されていたこと、つまり古代中国は様々な部族が独自の神話を持っていたことを垣間見ることが出来き、それらの神話が共存していたことも推測できます。
- 五龍氏の原型
1、古代伝説中の五个部落の首領。
《文選・王延寿》には、”五龍比翼、人皇九頭。”とあり、李善は《春秋命歴序》を注引し、”皇伯、皇仲、皇叔、皇季、皇少、五姓同期、共に龍を御し、五龍と曰く。”とあります。明胡応麟の《少室山房筆叢・玉壷遐覧二》には、”祝融氏は火帝を為し、君南岳:五龍氏は雲に乗り仙に登る。”とあり、古籍中では神のような存在として書かれています。
2、古代伝説中の五人の人面龍身の仙人で道教の五行神。
《鬼谷子・本経陰符》には、「盛神法五龍。」とあり、陶宏景は、「五龍、五行の龍なり。」と注釈しています。李善は《遁甲開山図》を引用して、「五龍、皇后君なり、弟五人、皆人面で龍身である。長男は角龍と言い木仙なり。次は徴龍と言い火仙なり。次は商龍と言い、金仙なり。次は羽龍と言い水仙なり。次は宮龍と言い土仙なり。」と書いており、五龍の法術と言われています。唐の李邕は、《叶有道碑》で、「伝精五龍、遍游群岳。」と書いており、こちらも五龍氏が山々を巡っていることが書かれています・
- 道教による信仰
淮南子には、「天真皇人太上老君は開明の国に降り、《霊宝真文》《三皇内経》各十四篇を以って五龍氏に授けた。五龍氏はこれらの経本の能力を学び、道家思想を以って一万二千年間世の中を治め、白日に登仙した。」と書かれています。五龍氏は道家の三清四輔の由来であり、道家の手抄である《発奏文》には、「五龍の者は、金木水火土なり、老君の法を伝え、生輪廻の道を生き、耳に乗る。(恐らく老子(李耳)の事を言っていると思います。)」
伝説では太上老君は九万九千九百九十万歳の後災難に遭い、この時に太上老君の弟子たちは尾道場を守る必要があったため太上老君はその道法を失わないように五龍氏に託しました。五龍氏はこれ以降、老君後世の生まれ変わりである李耳にその道法を伝えました。このため、五龍は道教内で非常に高い地位の呼称となっています。
出典:baidu
中国神話には盤古と女媧という二通りの創世神話がありますが、五龍氏はこのうちの盤古に属していると考えられます。つまり、盤古から天皇、地皇、人皇の世を経て次に到ったのがこの五龍氏です。
一方で道教に取り入れられ太上老君(老子)と結びついていますので、道教では非常に高い地位となっています。
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