嫘祖:古代中国神話中で絹を発明した黄帝の正妃

嫘祖(れいそ lei2zu3 レイズゥー)

嫘祖はまたの名を累祖とも言い、古代中国の神話中に出てくる女性です。西陵氏の娘で、黄帝軒轅の妃でした。嫘祖は養蚕を発明したことから、嫘祖は養蚕の始祖と言われています。

嫘祖は黄帝との間に玄嚣、昌意の二子を儲けています。玄嚣の子は蟜極と言い、蟜極の子は五帝の一人である帝嚳です。一方の昌意は蜀山氏の娘を娶り、高陽を生み高陽は帝位を継承し五帝の一人の帝顓頊として即位しました。

司馬遷の史記の五帝本紀には、”黄帝は軒轅の丘に住み、西陵の娘を娶り嫘祖となした。嫘祖は黄帝の正妃で二人の子を産みその後は両者とも天下を治めた。その一人を玄嚣と言い青陽と為し青陽に降り江水に住んだ。二人目は昌意と言い、降って若水に住んだ。”とあります。

嫘祖は山海経の海内経にも記載が見られており、”黄帝の妻である雷祖(嫘祖とも。)は昌意を生んだ。昌意は自ら天に上り降り、若水に到り住み、韓流を生んだ。韓流は長い頭を持っており、小さな耳、人面で豚の長い口、麒麟の体、ぐるりと丸い二本の足、子豚の蹄で淖子族の阿女を妻として娶り帝顓頊を生んだ。”とあります。

神話中では嫘祖は養蚕と絹による縫製の創造者となっています。北周以降には”先蚕”いわゆる蚕神として祀られるようになりました。嫘祖が絹糸を創り出す物語が以下のように伝わっています。

  • 嫘祖養蚕

嫘祖の夫は黄帝と言い、農業や文化を発展させた伝説的な帝であると言われています。黄帝の時代は新石器時代の終わりであり、黄帝が鉄の冶金技術を発展させたことにより石器時代は終わりを迎えました。

黄帝は国の体制も整備し、その位を衣冠により表す制度を作り出しました。しかし、その衣冠自体を作る時に、黄帝は三人に仕事を振り分けました。胡巢には冕(冠)を作ることを命じ、伯余には衣服を作ることを命じ、于則には履(靴)を作ることを命じました。そして、妻の嫘祖にはそれらの原料を提供することを命じました。

嫘祖は婦女と共に山中へ入り樹皮を剥ぎ網を作り、猟で獲れた各種野獣の皮を張り付けて加工しました。程なくして各部落首領が着る衣服と靴、そして帽子が完成し皆着用しました。しかし、その衣服の出来に納得は行っておらず、嫘祖はその他にも様々な方法を考えて食事も喉を通りませんでした。

ある日、数名の女官たちが相談して嫘祖のために山で果物を摘んで来ようとしました。彼女たちは山へ行き野生の果物を見つけては味見していました。しかし、渋い者や酸っぱいものばかりで甘く美味しい果物は見つかりませんでした。

ちょうど空は暗くなるころでした。そのとき一人が桑林の中で白い小さな果実を一杯に実らせている木を見つけました。そして彼女たちはその実を採ろうと木に近寄り一心に摘みました。空は暗くなり、野獣たちが出てくるのを恐れて摘み取った後に急いで山を下り宮殿へと帰りました。帰った後、早速その白い果実を食べてみるとその果実の周りには細い糸で覆われており、それはいくらかんでも噛み切れませんでした。

そこに嫘祖がやってきて何をしているのかと聞くと、女官たちはその白い果実を見せてその日の出来事を説明しました。その後、嫘祖が木の棒を使ってその糸をほぐしてみるとその強度と光沢に驚きました。木に纏わりついているその糸を見て嫘祖は閃き、その木はどんな木でどこにあるのかを尋ねました。そして、女官たちに言いました。”この果実は食べれませんが、あなたたちは黄帝陛下に多大な貢献をしました。”

この件以降、嫘祖の憂いは日増しに軽減し、食事をとるようになり、やがて全快しました。そして自ら山へと行きこの白い物体を探し出し、それが蛹であることを知りました。その幼虫は口から細い糸を吐き出しており、その糸を自らの体に巻き付けていたのです。

嫘祖は宮殿に戻ると黄帝にこのことを報告し、山中の桑林を保護するように頼み、黄帝も同意しました。これ以降、嫘祖の管理の下で養蚕が始まったと言います。この伝説より嫘祖は、”先蚕娘娘”と尊称されました。

出典:baidu

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