商均(しょうきん shang1jun1 シャンジュン)
商均はもともとの名を義均と言い、商(現在の河南省商丘虞城県)で生まれたために商に封じられたため、商均と称されるようになりました。商均は虞舜の息子であり、生母は娥皇女英でした。商均はその後、夏王朝における虞国の開国の祖となりました。
この様子は司馬遷の史記、五帝本記に記されており、五帝本紀には、”舜の子の商均は不肖であったため、舜は後継者として禹を推挙した。十七年で崩御すると人々は三年間喪に服した。禹も舜が堯の子に帝位を譲った時と同様に舜の子に譲った。諸侯たちはこれに従った。その後、禹は帝位を継承した。堯の子丹朱、舜の子商均皆に領土を与え、先帝を敬った。天子の服を着て礼楽を奏で、賓客は天子に謁見した。天子が臣としないのは、敢えて専らにしないことを示したのだ。”とあり、商均は舜の息子でしたが不肖でありましたが、舜の後継者である禹に敬われ商に領土を得ました。
帝舜の先帝である帝堯も不肖の息子丹朱がおり、徳が高いことで有名であった帝堯も帝舜も息子は暗愚であったと書かれています。
丹朱に関しては以下をご覧ください!
丹朱:帝堯の不肖の息子であったために舜に帝位を譲り渡した人物
司馬遷の史記五帝本紀の翻訳は以下をご覧ください!
史記の夏本紀にも商均の話が書かれており、”帝舜は禹を推挙し、禹を帝位の継承人とした。十七年後に、帝舜は逝去し三年の喪が明けると、禹は帝位を舜の息子である商均へと譲り、陽城へと去った。ただし、天下の諸侯は商均ではなく、禹へと拝謁した。このため禹は天子の位を継承し、天下の諸侯の拝謁を受け国号を夏后とし、姓は姒氏と為した。”とあります。
また、商均の墓は今でも伝わっており、商丘市虞城県利民鎮楊庄村の西南にあります。これは古くから虞城の名勝として伝わっています。
出典:baidu
下のリンクをクリックすると中国の神獣や妖怪をまとめたページへ移動します。