長琴(ちょうきん chang2qin2 チャンチン)
太子長琴は山海経や左伝に出てくる火神祝融(しゅくゆう)の息子です。伝説によれば生まれてきたときに小琴を抱いており、天地皆長琴の誕生を祝福し歌を歌ったと言います。
山海経の大荒西経には、”榣山があり、山上には人がおり、太子長琴と言った。顓頊が老童を生み、老童が祝融を生み、祝融が太子長琴を生み、太子長琴は榣山上に住んでおり音楽を創造し世に広めた。五彩の羽毛をまとった鳥が三種いた。一種は凰鳥と言い、一種は鸞鳥と言い、一種は鳳鳥と言った。”とあります。太子長琴は音楽に通じ五色の鳥に庭で舞を舞わせたと言います。《左伝》には、”五彩の鳥が三羽おり、一羽を皇鳥、一羽を鸞鳥、一羽を鳳鳥と言い、琴を聞き舞を舞った。”とあります。
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- 長琴の子孫の伝承
《左伝・僖公二十六年》には、”夔子は祝融と長琴を祀らず、楚人がこれをさせた。”とあり、祝融と長琴の組み合わせが見られます。この他にも祝融と鬻熊(穴熊)の組み合わせもありますが、こちらは一般的に言われている”三楚先”の関係で、”老童、祝融、鬻熊”を指しています。つまり、顓頊の孫の老童が祝融を生み祝融氏となり、その子孫の鬻熊が楚王の先祖とされています。長琴もこの系譜上に存在していると考えられています。
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炎帝榆罔(えんていゆもう)が阪泉(はんせん)の戦いで黄帝(こうてい)に破れた後、祝融は炎帝にとってかわり当時の長江流域で最も勢力のある部落となり、その後太子長琴も参加した共工(きょうこう)との大戦の勝利で祝融の部落の勢力は浙江や江西にまで拡大しました。この勢力が後に楚国となったと言われており、楚人の祖先は長琴であるとされています。楚人が音楽が好きであったことも音楽を創造した太子長琴の子孫だからであるとも言われています。
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出典:baidu
今回は太子長琴のお話でした。長琴は祝融の息子ですが、祝融自体時代を越えて現れる存在ですので実像を掴みにくく混乱してしまいます。祝融は古くは炎帝時代にその名が見られ炎帝の時代から五百年以上経過した時代に顓頊の孫として再び現れます。顓頊は黄帝の孫ですので長琴は黄帝の系譜になります。
祝融がなぜこのように時代を越えて現れるかと言うと祝融は個人名ではなく部落名で、祝融と言う部落があり長期間存続したために神話上でたびたび登場したのだと考えられています。これは中国神話では時折見られ、共工などにも当てはまります。
祝融は火神としての性質を持っていますが、こちらも現実に照らして考えると祝融は火に関する官職に就いていた可能性があります。また、祝融とは火に関する官職名を表しているという説もあります。
また、山海経には音楽を作ったとありますが、別の伝説では長琴より前の世代に生きていた刑天なんかも曲を作っていると言われていますし、顓頊も楽器を弾いていたと言われていますし、そもそも創造神である女媧は様々な原始的な楽器を作ったと言われていますので、音楽自体は天地創造の頃からあったとも言えます。他にも大勢楽器を作った、音楽を奏でたと言った伝説がありますので長琴が音楽を発明したとは一概には言えないのかな、と思いました。
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