魑魅魍魎 (ちみもうりょう chi1mei4wang3liang3 チーメイワンリャン)
魑魅魍魎は古代伝説中の人に害をなす鬼怪の総称でよく悪人に例えられます。魑魅魍魎の記述が最初に見られるのは《文選・張衡》で、”魑魅魍魎、よくこれに逢えず。”とあります。他にも《左伝・宣公三年》に、”類義語は牛鬼蛇神で、鬼を成し蜮を成す。反義語は志士仁人である。”との記述がみられています。
魑魅魍魎は石や木など長い期間が経過することで変化した妖怪の総称で、魑魅魍魎軍団は古くは蚩尤(しゆう)に率いられて黄帝相手に大暴れしました。黄帝の時代には龍などの神獣や神、妖怪が戦争に参加して様々な術を駆使して戦ったという伝説が伝えられています。
- 魑魅魍魎が記載されている書物
《左伝・宣公三年》には、“螭(魑)魅罔両(罔(網)と両で”もうりょう”となります。)、これによく逢えず。”とあります。《史記・五帝本紀》の索隠は服虔を引用して、”魑魅は人面獣身四足で、よく人を惑わす。”とあります。《山海経・西次四経》には、”剛山は神が多くありと言い、その形状は人面獣身、一足一手、その音唸り声のようであった。山林の異気で生き、人を害す者と成す、木石の怪也。”とあります。
《通典・楽典》には、”蚩尤氏魑魅を率いて黄帝と涿鹿で戦う。帝角を吹き龍を作らせ吟を以てこれを御す。余は慌てて退く也。”とあります。《周礼》には、”夏日に至り、地に致し鬽を示す。”とあります。
魑は螭とも書け、彲と同じ漢字です。魅も鬽と同じ漢字です。魍は罔、蛧と魉も両、蜽とそれぞれ同じ漢字です。
つまり、魑魅魍魎の書き方にも様々なバージョンが存在し、螭鬽蛧蜽でも螭魅罔両でも”ちみもうりょう”と読みます。鬼偏が虫偏に変わっていますが、この場合、様々な生き物を指します。なぜかと申しますと、虫は古来から昆虫のみを意味しているわけではいからです。虫は実は小動物全体を指しており、蛇や蛙、蜥蜴にも虫偏が見られるのは、これらの動物をひっくるめて虫と呼んでいたからです。蛇のマムシを蝮と書き、ムシと呼ぶのも蛇がそもそも虫だからなのです。魑魅魍魎と螭鬽蛧蜽は鬼由来か虫由来かで意味が分かれそうですが、詳しくは判りません(´;ω;`) もともと魑魅魍魎は人里離れた深い山の中で木や石、獣などが変化した妖怪ですので、虫が変化した鬼と考えると螭鬽蛧蜽でもいいのかもしれません。
素朴な疑問ですが、石が変わった鬼だと螭鬽蛧蜽の漢字も石偏に変わるのでしょうか…。
《玉篇》には、”山神が魑魅と成し、水神が魍魎と成す。”とあります。服氏がこの注釈として、”螭、山神獣形、あるいは虎の如くそして虎を喰らう。また、魅、人面獣身そして四足、よく人を惑わし、山林異気で生まれ、人に害をなす。”とあります。《幼学琼林》には、”土谷の神社稷という。干旱の鬼は旱魃という。魑魅魍魎、山川の祟り、神荼(しんと)と郁塁(うつるい)、鬼を喰らう神なり。”とあります。
神荼(しんと)と郁塁(うつるい)に関しては以下をご覧ください!
神荼と郁塁:悪いことをした鬼を虎の餌にしてしまう中国最古の門神
- 魑魅(ちみ)について
魑魅とは古代伝説中の山沢の鬼怪です。《左伝文公十八年》には、”投諸四裔、魑魅を御す。”とあり、杜預は注釈として、”魑魅、山林異気で生まれ、人に害をなす。”としています。
陳玄は、”魑は猛獣也。”とし、魅は《説文》中では”老物の精也。”とあります。魑は山林の中でよく人に害を成す怪物で、魅は老物の変化し精怪と成したものです。即ち、魑魅は山林中の怪物が長い年月をかけて変化した精怪となります。
- 魍魎(もうりょう)について
魍魎は古代伝説中の山川精怪で、一説によると疫病であり、別の伝説では顓頊の子供が変化したものとも言われています。すなわち、漢の蔡邕は《独断》に、”帝顓頊に三人の子があり生まれてすぐ亡くなり鬼と成し、その一人は江水に住み、瘟鬼と成した。もう一人は弱水に住み、魍魎と成した。もう一人は部屋の隅に住んでよく子供を驚かせる。”とあります。
晋の干宝の《捜神記》第十六巻にも同様に、”昔、顓頊氏に三人の子が死して疫鬼と成す。一つは江に住み瘧鬼と成し、一つは弱水で魍魎鬼と成す。一つは部屋に住みよく人を驚かす子供で子鬼と成す。とあります。”
捜神記に関しては以下をご覧ください!
《淮南子・覧冥訓》には、”その歩み着々、その眼差し暗く、然るに皆その和を得る、生まれた所由を知らず、浮遊、求める所を知らず、魍魎、往くところを知らず。”とあります。魑魅魍魎は昔はどうあれ今では雑多な小妖を指し、魑魅魍魎は美女を食べてしまうと言います。外見は背が高く、赤い身、尖った耳、頭の角が主な特徴です。人々からは誰もいない荒野の深い山中の古い森林にいると信じられています。道行く人が、特に夜間でたびたび山で遭遇する鬼怪、魑魅魍魎は皆木や石、禽、獣が変化したものなのです。
魑魅魍魎の伝説
- 夏代
夏朝の有徳の頃、遠方の物の絵を図像と成し、官員に青銅で九つの鼎を作らせました。それぞれの物は鼎上に描かれており、百姓たちは鼎上から神物を成す物、悪物を成す物がどれか知ることができたと言います。
百姓たちは再び狩に行来ましたが、会うことはありませんでした。すなわち、何を恐れるべきか知っていたからです。また、魑魅、魍魎などの鬼怪を避けることができました。このため、人々の生活はより安全になりました。
夏朝は華夏王朝とも言います。伝説の黄帝の子孫が建国したと言いますが、文字としての記録が実際に残っているのは殷王朝以降で、神話上の話なので実在は疑問視されていますが、殷につながる系譜はどこかにあったはずですので、それが何なのか想像は尽きず議論も尽きていません。
- 黄帝と蚩尤との戦い
四千年以上前、黄帝と蚩尤は天下を争いました。最終決戦である涿鹿の戦い(たくろくのたたかい)を前にして、蚩尤は兵を集めます。蚩尤には81の兄弟がいたと言われ、自身が率いていた部落連盟の九黎(きゅうり)に加えて南方の苗民、そして山林水沢の魑魅魍魎などの鬼怪が集まりました。双方は涿鹿で向かい合い、蚩尤は風伯、雨師に命じて深い霧を発生させます。この霧を利用して、魑魅魍魎軍団が黄帝軍への攻撃を開始して黄帝軍は泰山まで退却しました。
黄帝軍の軍師である風后が指南車を発明して蚩尤の霧作戦を打ち破り、牛角を吹いて龍の鳴き声を真似ることで、魑魅魍魎たちは驚いて逃げ出したと言います。
黄帝に関しては以下をご覧ください!
蚩尤に関しては以下をご覧ください!
涿鹿の戦い(たくろくのたたかい)に関しては以下をご覧ください!
神獣を巻き込んだ古代中国最大の激戦、涿鹿(たくろく)の戦いとその結末
- 捜神記中における伝説
張華は字を茂先といい、晋恵帝の時、司空という上級の役職に就いていました。燕の昭王の墓前には斑狐(まだらぎつね)がいました。長い年月をかけて変化の能力を獲得しており、その時一書生に変化し、名臣として名高い張華に謁見したいと思っていました。
そして墓前にある老木の華表に、”私のこの書生の姿を以て、張司空にお会いできますか?”と尋ねました。華表は、”上手い聞き方です。もちろん駄目だとは言えません。ただし、張公は知恵者ですので、言いくるめることは非常に難しいです。出ると必ず辱められ、ほとんど返答できないでしょう。またあなたの千年間修練したその体を失い、私も含めて張公に深い誤解をもたらすでしょう。”狐は従わず、張華に謁見するために自分の名前を書いて謁見を求めました。
張華は書生に会いその未だ冠を被っていない頭髪の優雅さを見て驚きました。潔白玉の如し、その立ち居振る舞いは洗練されており、優雅でした。さらにその論はこれまで聞いたことがないほど明晰でした。商略三史を比較し、百家の考えを吟味し、老子荘子の思想の核心に触れ、風を開き、雅の絶旨、十聖を包み、三才を貫き、八儒を戒め、五礼を指摘し、華はその声に退屈することなく一心に耳を傾けました。
ため息とともに、”天下にこのような少年が居ようとは!もし鬼魅でなければすなわち狐狸に違いない。”と言い、座を掃き留まるように言い、また、人を遣わし監視させました。少年は乃ち、”張司空は尊賢で多くの賢士、才能を持つ人々がそばに居り弱者を助けています。なぜ学問の人を憎むのです?墨子の言う兼愛はよもやこの様なものではないではないですよね?”
言い終わると、張華に向かって別れを告げましたが、門には人がおり守っていましたので少年は出ることができませんでした。そこで少年は再度張華に対して、”あなたは武器を持った兵士に門を守らせています。きっと私に対して疑いを持っているのでしょう。私の心配は天下の人がこの件以降に口を閉ざして物を言わず、才能ある儒者があなたの大門を敲くことを望んでいてもあえて門を敲かないようになることです。私はあなたを惜しんでいるのです。”と言いました。しかし、張華は動じず、少年をさらに厳密に管理しました。
豊城県令の雷煥は字を孔章と言い、博識な人物として知られており、この時張華に会いに来ていました。張華は雷煥に少年の一件を話しました。雷煥は、もし疑うのならなぜ犬を使って妖怪かどうか調べないのです?と言いました。張華は人に犬を連れて来させ、狐狸が化けている書生に合わせましたが、うろたえる様子は微塵もありませんでした。書生は言いました。”私の才は天性のものです。あなたは私が妖怪であると疑い犬で試しました。千回でも一万回でも試していただいて構いませんが、私を傷つけることはできません。”と。
※ 豊城県令の雷煥は干将剣を獏邪剣の化身である白龍と引き合わせた人物でもあります。
干将剣と獏邪剣に関しては以下をご覧ください!
書生の話を聞くと、張華はさらに激怒して、”鬼怪に違いない。人々は鬼怪が犬を恐れるというがそれは数百年生きた妖怪の事だ。千年以上生きた老怪物は犬ではわからない。しかし、老怪物は千年以上生きた枯れ木を燃やした光を当てると原型が現れるという。”雷煥は問いました。”千年の神木はどこにあるのです?”張華は、”世間では燕昭王の墓前の華表木が千年の神木だと言います。”張華はすぐに兵士を燕昭王の墓地へ華表を切りに行かせました。
墓地へ到着すると、突然青い衣を着た子供が天から降りてきて兵士たちに聞きました。”何しに来た?”兵士たちは言いました。”張司空がこのあたりから来た弁舌爽やかな少年が妖怪であると疑っている。それで私を派遣してこの華表の木を切ってこさせ、それで少年を照らすのだ。”と。
青衣の子供は、”この老狐狸はあまり賢くなかった。自分の勧告を聞かず、災いが自分にも及んできた。どこに逃げ場があるのだ?”と言い終わると、子供は大声で泣き、消えてしまった。兵士は木を切ると、木の内側から大量の血が流れだしました。
華表は華表木を受け取ると少年書生を照らしました。すると狐狸の原形が浮かび上がり、花斑狐狸であることが明るみに出ました。張華は、”この二匹の畜生は私に会わなければ千年の内に捕らえることは不可能であったろう。”そして、張華は千年狐狸を烹殺してしまいました。
捜神記に見られる、獣や木が長い年月を経て変わった魑魅魍魎たちのお話です。特に悪者として書かれているわけでもなく、ちょっと悲しい話ですね…(´;ω;`)
捜神記に関しては以下をご覧ください!
出典:baidu
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