鑿歯(さくし zao2chi3 ザオチィ)
鑿歯は古代中国神話中の悪獣で、南方の湖沼地帯に住んでいました。鑿歯には鑿(のみ)のような鋭く長い牙があり、手には盾と矛を持っていました。伝説によると鑿歯は人を捕まえて食べてしまっていたので帝堯の命を受けた后羿により討伐されました。羿は十個の太陽や修蛇など被害をもたらした数々の怪物をことごとく倒しています。
后羿は十個の太陽を射落とした後、鑿歯の討伐に向かいました。鑿歯は寿華の野で暴れまわっており、誰も手が付けられず人民はなすがままにされていました。后羿は人民の窮地を救うことを強く願い、鑿歯に勇敢に立ち向かいました。后羿が装備していたのは天帝である帝俊から下賜された後に落日弓と呼ばれる紅色の弓でした。
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羿が弓を持って討伐にやってきたことを見た鑿歯は矢を防ぐために盾を構え牙をむき出しにして迎撃態勢を整えました。そこで后羿は鞘から宝剣を抜き鑿歯に斬りかかると盾は真っ二つに斬れてしまいました。自身を守る盾をいとも簡単に切り裂いてしまった后羿にさすがの鑿歯も恐れをなし逃走しました。后羿は冷静に弓を取り出し逃げていく鑿歯に狙いを定め矢を放ちました。するとその矢は吸い込まれるように鑿歯の心臓に突き刺さりました。鑿歯は崩れ落ち、絶命してしまいました。
后羿はこの勝利の余韻に浸る暇もなく次の獲物の元へと旅立って行ったと言います。
この神話は山海経の海外南経にも、”羿(げい)と鑿歯(さくし)は寿華の荒野で戦い、羿は鑿歯を射殺した。この地方は崑崙山の東面にあった。その時の戦いでは、羿は手に弓矢を持ち、鑿歯は盾を持っていたとも、矛を持っていたともいう。”と記載されています。さらに、山海経の大荒南経にも、”大荒の中に融天山と言う山があり、海水はこの南面からこの山へと流れた。神人がおり鑿歯と言い、后羿により射殺された。”と記載されており古くから語り継がれてきた伝説であることが見て取れます。
海外南経に関しては以下をご覧ください!
大荒南経に関しては以下をご覧ください!
淮南子にはさらに詳細に記されており《淮南子・本経訓》には、”窫窳、鑿歯、九嬰、大風、封豨、修蛇は皆人民を苦しめた。堯は羿を遣わし鑿歯を畴華の野で誅し、九嬰を凶水の上で殺し、大風を青邱の澤で屠り、十の太陽を射り、窫窳を滅し、修蛇を両断にし、封豨を桑林で捕らえた。”とあります。
鑿歯は南方に現れているため、神話中では南方の部落が怪物として書かれているのではないかと考えられています。
出典:baidu
今回は后羿により射殺されてしまった鑿歯のお話です。鑿歯は実は怪物の名前以外に上顎の側面の歯を抜いて見た目をよくすると言う風習の事も指しています。この風習は世界中で見られており、中国では古くは越、僚、烏などでもみられました。高山族では1940年代と言う最近まで行われていました。
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