神荼と郁塁:悪いことをした鬼を虎の餌にしてしまう中国最古の門神

神荼(しんと)と郁塁(うつるい)は中国で信仰されている二柱の門神です。一般に神荼は門の左で煌びやかな甲冑を身に着け、手には戟を持ち威風堂々であり、郁塁は門の右側で黒色の陣羽織を羽織り、リラックスしており、両手には武器は何も持っていない姿でそれぞれ描かれています。そのわきには巨大な金の眼を持った白虎が控えており、これらの姿は古来より中国で害を取り除き災いを避けるようにという願いが込められています。

両神は兄弟とも言われ、古い書物中でも二柱がセットで記載されています。桃木とゆかりが深く、両神とも大きな桃木の下に住んでいました。中国では何かと桃木が神話中に登場しており、魔除けの効果があるとされてきました。この桃木の魔除けの効果の根拠とされたのが神荼と郁塁の伝説でした。

神荼 (しんと shen1shu1 シェンシュー)と郁塁 (うつるい yu4lv4 郁垒 ユィリュ)

神荼は古代中国神話中に出てくる神様です。神荼は一般に扇門(観音開きの扉)の左側に装飾されており、煌びやかな甲冑を身に着けて、手には戦戟を持って威風堂々としています。郁塁は門の右側で黒色の陣羽織を羽織り、リラックスしており、両手には武器は何も持っていない姿でそれぞれ描かれています。そのわきには巨大な金の眼を持った白虎が控えており、これらの姿は古来より中国で害を取り除き災いを避けるようにという願いが込められています。故に中国では両神を門神と称し、昔の人々は災いを避けて吉を呼び込むことを神荼と郁塁に象徴させました。

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中国の伝説では、大昔には神荼と郁塁は兄弟でした。兄弟は共に鬼を捕らえることに長じており、悪鬼が現れて民百姓を虐げていると神荼と郁塁は捕まえに行き、縄で縛り虎の餌にしてしまいました。その後、人々は鬼や邪を避けるために、門の上に神荼と郁塁、そして虎の像を描くようになり、今にも至っています。




神荼は左門神将軍と成し、銀の兜に銀の手甲、手には鉄の戟を持っており、顔は生漆のようで両眼は耳に接し、両眉天を向き、顎には鉄線のような髭を蓄えています。道教では神荼と郁塁は五方鬼帝中の東方の鬼帝です。

葛洪は《元始上真衆仙記》と《枕中書》で、”五方鬼帝”のことを記しています。即ち、”東方鬼帝桃止山を治め、南方鬼帝羅浮山を治め、西方鬼帝幡塚山を治め、中央鬼帝抱犢山を治め、そして北方鬼帝張衝楊を成すと云い、羅酆山を治める。”とあります。

  • 書物に記載されている神荼と郁塁

《山海経》には、”東海度朔山には桃の大木があった。曲がりくねって三千里、その低い枝東北を鬼門と言い、万鬼が出入り也。二神があり、一柱を神荼、一柱を郁塁と言い、人々に危害を加えている鬼たちを検閲していた。”とあります。

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山海経以外でも漢代の書籍には皆その記載があります。応劭の《風俗通義》第八則には、”神荼と郁塁は兄弟で、よく鬼を捕らえており度朔山の桃木の下に住んでおり、百鬼を検査し、人々に害をなす鬼を捕らえては虎の餌にした。”とあります。南朝の梁宗懔は《荊楚歳時記》で、”桃木の板で門を作り、仙木を作ると言う。二神を正面に描き、左側の扇門に描かれてい神を神荼と、右側の神を郁塁と言い、中国では門神と呼ばれている。”とあります。

隋朝の杜台卿は、《玉燭宝典》は《括地図》を引用して、神荼と郁塁は桃都山の桃の大木の下で門神となすとあります。

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《重修緯書集成》第六巻に《河図括地象》には、”桃都山には巨大な桃木があった。幹や枝は曲がりくねって三千里に渡り、木の上には金の鶏が一羽おり、太陽が出ると鳴ないた。木の下には二神があり、一柱は郁と、一柱は塁と言った。普段は悪い鬼を探し、捕らえると殺してしまった。”とあります。また、晋葛洪の《枕中書》には、郁塁が道教の神譜に列せられ、東方鬼帝となっています。

出典:baidu

神荼と郁塁の伝説

  • 伝説その壱

商の末期で周の初期、度朔山の上に奇桃がありました。果肉は甘くておいしく、食べると寿命が延びるという不思議な桃です。桃の下には兄弟二人が住んでおり、兄を神荼、弟を郁塁と言った。彼らは人々に対して正直で、力は強大無比でした。そして、凶暴な虎が兄弟が護っている桃の林を常に見張っていました。

野牛嶺に野大王がいました。無慈悲で人の血を飲み、人の心を食べ、人々を苦しめていました。ある日、野大王が部下に朔山上の桃を取りに行かせましたが、神荼と郁塁に追い払われました。野大王は非常に怒ってある暗い夜に悪鬼を領民に見せかけて報復に行かせましたが、悪鬼は神荼と郁塁に桃の枝で縛られて虎に投げられました。桃木が邪を避けるという説はここに由来しています。同時に神荼と郁塁は邪鬼を退ける神様とみなされました。

  • 神荼と郁塁の伝説その弐

東海に美しい度朔山という山がありました。またの名を桃都山と言いました。山の上には三千里にもわたる曲がりくねった桃の巨木があり、木の頂には一羽の金の鶏が居て日の出を知らせていました。この桃木の北東の一端にアーチ状の枝があり木の梢は垂直に垂れて地面すれすれにあり、天然の大きな門になっていました。




度朔山には各種の妖魔鬼怪が住んでおり、外界に出るためにはこの扇鬼門を通らなければなりませんでした。毎朝、金鶏が鳴くころに夜遊びに出て行った鬼魂が鬼域に帰る時にまたこの扇鬼門を通らなければなりませんでした。扇鬼門の両脇には神荼と郁塁という二神がいました。

もしも鬼魂が夜の間に傷天害理の行いをした場合は、神荼と郁塁は彼らを捕らえて虎の餌にしてしまいました。そのため、鬼魂たちは皆この神荼と郁塁を恐れました。

  • 桃木との関係

神荼と郁塁に関しては桃木はきっても切り離せません。神荼と郁塁は桃木の下で鬼を罰していましたので桃木に特別な力があると考えられるのも自然な話です。

この神荼と郁塁の伝説から、中国では古くから邪を避けるために桃木を刻んで神荼と郁塁の形状を作り、またはその名前を桃木の板に刻んで家の門に掲げました。そして、桃の木の板は”桃符”と称されるようになりました。古代には桃木は”鬼怖木”とも称されていました。

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桃木は太陽を追いかけたという誇父(こほ)が亡くなる時に桃の林になったなど様々な伝説で見られる木でもあります。三国志では劉備と関羽、そして張飛が桃園の誓いを結びました。桃木自体硬いので美味しい果実が実るほかにも様々な実用的な用途が有りました。桃木の他にも蚩尤(しゆう)に由来する楓の木や、鳳凰の止まり木である梧(アオギリ)なども特別な木です。

誇父、蚩尤、鳳凰に関しては以下をご覧ください!

星神誇父:弱きを助け悪を挫く太陽に立ち向かった伝説の巨人

兵神蚩尤:中国神話中で最も恐れられた荒れ狂う不死身の戦神

鳳凰:朱雀のモデルとなり火の中から甦るおめでたい神鳥

また、妖怪退治をする茅山道士も桃木で作った剣を使用してキョンシーなどと戦っているシーンを映画などで見ることができます。

キョンシーに関しては以下をご覧ください!

キョンシーを徹底解説!中国のキョンシー実在調査のまとめ

出典:baidu

神荼と郁塁の伝説中に日本でよく聞く”鬼門”という言葉が出てきました。鬼門は日本独特の陰陽道の考え方で、中国の陰陽五行の風水では実は鬼門は有りません。日本の陰陽道の鬼門は中国の神荼と郁塁の伝説に由来するという一説があり、日本で独自進化をしたものと考えられています。

日本では丑寅の方角、つまり北東を鬼門と言いますが、神荼と郁塁の伝説に出てくる鬼門も桃木から見て北東の方角に有りました。この方角から鬼が出入りするという点も一致しています。日本では古来から鬼門を嫌い、魔除けの効果があると信じられている南天の木を植えたりして鬼を遠ざけていました。

神荼と郁塁の伝説では鬼は扇鬼門を出入りしていたので、神荼と郁塁の伝説に基づくと鬼門の方角に門を作るのが良くないのではないかと思いました。しかし、鬼門の方角に門を作っても神荼と郁塁を描いておけば鬼も怖くて近寄れないですね( ´∀`)

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