第八巻:捜神記を翻訳してみた

捜神記翻訳シリーズの第八巻目です。冒頭から舜の話で一気に神話時代の事が書かれています。正確に言うと、舜は実在した証拠はありませんが中国の歴史として捉えられています。

その次の商湯は夏王朝を滅ぼし商王朝を建国した人物です。

  • 舜が歴山で耕す

虞舜は歴山で地を耕し、黄河のほとりの岩石の上で玉の釜を一つ拾った。舜は天下を自分に託すという天神の意思を知った。そのため行道の努力をし疲れを知らなかった。舜の眉骨は隆起し龍顔となり、口は広く開き、掌には褒を握った。宋均が注解で言うには、「握褒、これは掌で褒の字を握ることであり。舜は小さな頃から苦労してきたので褒を受け、福を得たのである。」ということであった。

  • 商湯祷雨

商湯が夏王朝に勝利して以降、天下には七年もの間干ばつがあり、洛水も皆干上がってしまった。商湯は桑林で祈祷し、自分の爪と頭髪を切り自身を祭祀用の家畜とし、天に向かい降雨を求めた。これにより天から大雨が直ちに降り天下万物を潤した。

  • 呂望が渭陽で釣りをする

呂望が渭水の北岸で釣りをしていた。文王は狩りをしており卜占して、「今日は一頭の獣を狩るが龍ではなく、螭でもなく、熊でもなく、羆でもない。帝王の太師を得るに違いない。」と言った。周の文王は果たして渭水の北岸で姜太公呂望を得た、周の文王と太公望は話し、話すと非常に嬉しくなり太公望と共に車に乗って戻ってきた。

  • 武王伐紂

周の武王が商の中央を討伐し、黄河の岸へと到ると大雨が降り雷鳴は轟き天は暗くなり、黄河は高い波が渦巻いていた。皆恐ろしくなり、周の武王は、「私はここにいる。天下の誰が敢えて私を倒そうとするのだ?」と言った。すると風波はすぐにおさまった。

  • 孔子の夜の夢

魯の哀公十四年に、ある晩孔子は夢で三本の槐樹の間、沛県の豊邑の境界内に紅色の天地の気が昇っているのを見た。すぐさま顔回、子夏を呼び共に観に行った。彼らは車に乗り楚国の西北面の范氏街に到ると、草刈りをしている子供が麒麟を叩いているのを見た。その麒麟の左側の前足を打って傷つけており、さらに柴草を持って麒麟を覆おうとしていた。孔子は、「子供よ来なさい。名前は何という。」と言った。子供は、「姓は赤松、名は時喬、字は受紀だ。」と言った。孔子は、「あれが何なのかわからないのか。」と言うと、子供は、「あれは禽獣で̪麇のようであり、羊の頭で頭には角があり、角の末端には肉がある。」と言った。孔子は、「天下のには既に主人がおり、この主人は赤劉(劉邦)である。陳(陳渉)、項(項羽)は補佐である。金、木、水、火、土の五星が井宿に進入し、歳星に従っている。」と言った。子供は柴草をどけて麒麟を孔子に見せた。孔子は速足で立ち去った。麒麟は孔子に向かって耳をふさぎ三巻の図を吐き出した。図の幅は三寸で長さ八寸で毎巻には二十四の字が書いてあった。その文字は、「赤劉が起つ日に周は滅び、紅色の天地の気は立ち上り、火徳の栄華は興隆する。孔子は天命を受け、その帝は卯金(卯金で劉という漢字(微妙に違いますが…)となり劉姓の意味)である。」

孔子は麒麟と関わり合いが深いことで有名です。孔子が生まれたときに麒麟が現れ玉書を吐き出したと言います。また、孔子の晩年にも麒麟が現れたと言います。この故事は獲麟と言われており、孔子の記した魯の歴史書である春秋はこの故事で締めくくられています。

麒麟に関しては以下をご覧ください!

麒麟:中国で信仰されている様々な神話や伝説、意味を持つ徳が高く優しい霊獣

  • 刑史子臣が天道を説す

宋国の大夫であった刑史子臣は天象の卜占が分かった。周の敬王三十七年に宋の景公は刑史子臣に、「天象の卜占には何の征兆があるのだ?」と聞くと、刑史子臣は、「五十年後の五月の丁亥の日に私は死ぬでしょう。私の死後五年後の五月丁卯の日に呉国は滅亡します。呉国の滅亡から五年後に国君のあなたは死にます、あなたの死後四百年で邾国が天下に王と称します。」と言った。その後、刑史子臣の言ったことは皆その通りになった。刑史子臣の言った「邾国が天下に王と称する。」とは、曹魏の蜂起である。邾国とは曹姓であり、魏国も曹姓で皆邾国の後代であった。曹魏の蜂起と言った年は間違っていた。分からないことは刑史子臣が言った年数が間違っていたのか、それとも昔過ぎて記録が伝わる過程で間違ってしまったのか、である。

  • 星外来客

呉国が国家を建国したばかりであったので信用がなく、要所の防衛軍の将たちは皆妻や子供を京城に人質にとられており、「保質童子」と呼ばれた。このような少年達は同様に人質になっており一緒に遊び、毎日十数あった。孫休の永安三年(紀元260年)二月に、一人の奇異の幼子がおり、身長は四尺ほどで歳は六、七歳で青色の衣服を着ていた。忽然とやってきて子供たちと遊ぼうとしたが、子供たちの誰一人としてその子のことを知らなかった。そして、「あなたは誰の家の子で、なぜ突然やってきたの?」と聞いた。子供は、「あなたたちが集まって遊んでいたので来た。」と答えた。子供たちはその子をまじまじと見ると、その子の目には光芒があり、外へ向かって燦燦と輝いていた。子供たちは皆彼を恐れ、繰り返して詳細を聞いた。その子は、「あなたたちは私が怖いの?私は人ではなく、火星です。私はあなた方に言わなければならないことがあり、それは劉、曹、孫の三公が司馬に属すということです。」というと、子供たちは大笑いしてそれぞれの親に言いに行くと、大人たちがその子を見にやってきた。その子は、「私はあなたたちを見捨てる。」というと、すぐに消えてしまった。頭を振りその子を見ると、白色の絹が天に昇っていくようであった。走ってきた大人たちもその様子が見えた。飄々と次第に高く昇っていき、やがて消えてしまった。

当時の呉国の政局は非常に危険で有ったのでこのような事件を敢えて宣揚しなかった。四年が過ぎ、蜀国が滅亡し、六年過ぎると魏国は廃された。二十一年後には呉国は平定された。これがまさにあの子が言った、「劉、曹、孫の三公が司馬に帰属する。」ということである。

三国志の最後の話にリンクしています。蜀は劉備、呉は孫堅、魏は曹操で、これらの国を飲み込んだのが司馬懿とその子孫であり、司馬氏が晋を建国します。

捜神記の面白いことは、三国志は人気でよく知られていますが、三国志以降の晋の話は書かれていません。しかし、捜神記には晋の話が多く描かれているので、三国志以降の時代の当時の文化なども知ることが出来ます。

捜神記の流れとしては、基本的に奇妙な出来事を実際に起こった事柄に結び付けて結論付けているのでひとえに創作された怪奇短編集と言えずに、当時の事件や様子なども文中から垣間見れます。

出典:古詩文網

今回はそれまでの晋や魏の時代の話ではなく、五帝の一人である虞舜の話や商王朝を建国した商湯の話などかなり古い話が書かれています。捜神記自体、時系列で書かれているわけではなくどういう規則に基づいて書かれているのかよくわからない部分が多々あります。多分、干宝は思い付きで書いていたのかな?と干宝の一面が垣間見える巻でした。

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