社稷:古代中国の大地と五穀を意味し国家の代名詞ともなっている神様

社稷(しゃしょく she4ji4 ショ・ジィ)

社稷は土神と谷神の総称です。社稷の社は土神、稷は谷神を成しています。谷とは穀物を意味しており、稷は粟を意味していますが、黍を表しているという説もあります。元々は土や穀物の神様でしたが、時代とともに意味が変わりある時には宮殿内に設置した祭祀用の施設でしたが、現在では国家の意味で使用されています。

社稷は中国でも原始的で最も重要な崇拝対象でした。社稷以降には様々な神々が登場して多様な様相を呈しています。




言い伝えによると社稷の社はもともとは共工(きょうこう)の息子である句龍に由来していると言われています。共工氏族は代々水深く関連しており、洪水が起こった時、句龍は人々を高地の丘の上に避難させました。高地がない場所には土を盛り避難場所を作りました。この丘の規模は25戸ごとに作られており、”社”と称しました。句龍の死後、土神として奉られ社神と呼ばれました。また、句龍を記念して”后土”という祭祀用の家屋を建てました。

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社は古くは土地の神を意味し、東方青土、南方紅土、西方白土、北方黒土、中央黄土とそれぞれの方角に色のついた五色土と言われる土で壇面を覆い国土を象徴しています。




一方の稷に関しては、烈山氏の子供である柱に由来しています。柱は夏王朝の稷正となりました。稷正は農業を管轄する官職です。柱の死後には農神として奉らわれ五谷神と呼ばれました。また、社稷は現在では国家の代名詞として使用されることがあります。韓非子や史記、東周列国志などの中に社稷が国家の意味として使用されている分を見ることができます。左伝や漢書の中には社稷を神として祭っている内容が見られます。

《周礼・考工記》によると、社稷を王宮の右に設置し、相対するように王宮の左に宗廟を設置したといいます。社稷は安全な生存空間、宗廟は安定した食物生産という国家の基本と人民の安寧を代表しています。《礼記・曲礼下》には、”国君死社稷”という文言が書かれており、国君は国家と存亡であることを意味しています。

出典:baidu

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