葛天氏(かつてんし ge3tian1shi1 ゴーティエンシィ)
葛天氏は古代中国伝説中の帝であり、その部族名にも用いられています。伝説では、葛天氏の楽は三人が牛の尾を操り歌を歌い、その楽曲は全部で八曲あったと言います。楽舞を発明し、葛の蔓から繊維を取り出して布を編んで衣を作った始祖として看做されており、これは《呂氏春秋・古楽篇》に見られます。
葛天氏は天地創造後の伏羲の時代の後になり、神農氏よりもさらに前の時代になります。伏羲の後を引き継いだのが葛天氏であり、実際の時間軸に当てはめると5000年以上前でまさに伝説中の部族です。後世では葛天氏は権力の象徴となり、葛天は号となりました。
- 古籍に見られる葛天氏
《呂氏春秋》、《竹初紀年》、《史記》などの文献には《葛天氏の楽》が書かれており、中国の音楽、詩歌、舞踏、演劇、農牧、養生学の重要な源流となっています。葛天氏は炎黄文化であり、黄河文化の重要な一部を占めています。このため葛天氏の故郷とされている寧陵は中国の音楽の郷、歌舞の郷とされています。
《詩経・採葛》では、絺を細麻布とし、綌を粗麻布としています。採ってきた葛藤を切り煮て外皮を取り除き繊維を取り出して紡いで糸にします。この糸を編んで細麻布と粗麻布を作り、人々が身に着け暖を取り、厳寒に抗いました。
葛天氏の部落は歌舞を得意とする部落だと言われています。古代の舞踏は労働の様子を再現することから始まったと言われており、次第に歌と合わせて踊られるようになって行き戦争での勝利を祝い、穀物の豊作を祝い踊られました。
葛天氏の楽は牛の尾を操る三人により完成し、その内容は八部から成り立っています。もちろん、この楽の成立は複雑な過程を経ていますが、次第に完成に向かいました。
この葛天氏の楽は呂氏春秋に最も詳しく書かれています。呂氏春秋は戦国時代の末期に秦の始皇帝が焚書を行う前に書かれています。呂氏春秋は秦の始皇帝の父親であるという説もある呂不韋による書物です。呂不韋は呂氏春秋の編纂にあたって、一字を修正すると千金を与えると書いた札を城門に掲げたことでも有名です。
《呂氏春秋・古楽篇》には、”昔葛天氏の楽では三人で牛の尾を操り、歌八詞を以て終わる。一つ目は載民、二つ目は玄鳥、三つ目は遂草木、四つ目は奮五穀、五つ目は敬天常、六つ目は建帝功、七つ目は依地徳、八つ目は総禽獣之極である。”とあります。
この中の三人操牛尾歌八闋は鳥羽の舞の形象となり、最古の音楽文化となり、世界的にも初期で原始的な歌舞であったとされています。この中では祖先を尊び、天地を敬い、農耕を代表し、牧畜や農業など当時の生活や祈願を代表しており、葛天氏の部族社会の一側面を反映しています。
葛天氏の歌舞は当時の社会や生活、文化の縮図とも言えます。
出典:baidu