古代十大神弓:中国の歴史や神話を作ってきた名弓の数々

弓は古くから用いられている兵器の一つで、弦を引いて矢を放ちます。飛距離がありますので、遠くから攻撃できる上に、集団で使用すると大きな効果を発揮します。また、狙撃に使用すると、遠くから狙いすまして敵の大将を討ち取ることも可能になりますので、弓の性能を最大限引き出すためには個人の高い技術が必要になります。

弓の最古の由来は黄帝と蚩尤の涿鹿の戦い(たくろくのたたかい)です。当時の弓矢は全て竹木で作られており、性能は悪く、未完でした。その後改良が加えられ、次第に兵器として役に立つようになりました。

弓箭の第一人者は黄帝の臣の揮で、弓矢を発明したと言われています。別な説では荀子には倕と称す者が弓を作り、山海経では少昊が弓を使用し始めたとあります。しかし、年代的に考えるとこれらの説は信憑性に乏しいです。

涿鹿の戦いに関しては以下をご覧ください!

神獣を巻き込んだ古代中国最大の激戦、涿鹿(たくろく)の戦いとその結末

第一位:落日弓

中国の伝説に出てくる后羿(こうげい)は堯(ぎょう)の時代の英雄です。(ただし、この后羿と夏王朝の后羿とは別人物です。)堯の時代、天には十個の太陽が有り、大地は灼熱で焼け、作物は皆枯れてしまっていました。人々も暑さであえぎ、地上は灼熱地獄の状態を呈していました。




しかし、この状況に喜ぶ者たちがいました。それは怪禽猛獣たちです。この化け物たちは干上がり火焔に包まれている灼熱の大地を駆け回り、天の時を得たと各地で人民たちを苦しめました。人間の災難驚いた天上の神は驚き、天帝帝俊が射撃の名手として名高かった后羿を人間界に遣わし堯を助け人民の苦難を取り除くように命じました。后羿は天帝から下賜された紅色の弓と白色の矢を携えていました。

后羿は太陽を見ると、戦いの準備を始めました。彼は肩の上から紅色の弓を取り、白色の矢をつがえて太陽の一つに狙いを定めました。矢を放つと白い矢は軌跡を描きまっすぐに太陽へと突き刺さりました。間髪を入れずに続けざまに全部で九本の矢を放ち次々に太陽に命中し、矢が突き刺さった太陽は天から次々に落ちていき、最後にはただ一つの太陽のみが残りました。最後の太陽は堯が人民のために残してください、とお願いした太陽でしたので后羿は射らずに踏みとどまりました。

この出来事により、この紅色の弓は落日弓と言われるようになりました。

第二位:軒轅弓(轩辕弓)

軒轅弓は黄帝軒轅が使用していた弓です。黄帝には神々が鋳造した神剣である軒轅剣も所有しています。この弓は、泰山の南烏号の柘(つげ)と、燕牛の角、茨鹿の弓弭(ゆはず)、川魚のにかわで作られています。この弓で蚩尤を射り、不死身を誇った蚩尤の心臓を貫いて倒したという伝説もあります。《封神演義》中には、乾坤弓という名で、李靖が使用していました。髑髏山の白骨洞の碧雲童子をこの弓で喉を射て倒しています。

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黄帝:中国の始祖であり古代神話中最大の功労者

第三位:覇王弓(覇王弓)

覇王弓は楚の覇王である項羽が愛用した弓です。その威力は比べるものがなく弓身は黒鉄を打ち付けて作られており、重さは127斤(約三十キロ)で弓弦は蛟龍の背筋であったと言われています。項羽が15歳の時、烏江中で黒蛟龍が悪事を働き四方に被害が出ていました。項羽がこれを聞きつけて夜に槍を持って単騎烏江へとやってきて黒蛟龍を探し出しました。黒蛟龍との死闘は日をまたいで次の夜まで続き、遂に黒蛟龍を殺してしまいました。そして背から筋を取り出して弓の弦にしました。この弦は異常なほど強靭で火や氷などは全く受け付けず、刀や槍でも切ることが出来なかったと言います。

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燭龍や蛟龍など様々な龍たち:中国の神獣、四象、霊獣特集

第四位:射雕神弓(射雕神弓)

モンゴル帝国のチンギスハンは強靭な弓と鉄騎の機動力を生かした先鋒で人類史上最大の版図を持つ帝国である元の礎を築きました。元の最大版図は遠くアフリカや東ヨーロッパにまで及んでおりユーラシアの四分の三にまで及んでいます。そのチンギスハンが使用していた弓が射雕神弓で、草原で鷲の神を射落としたという伝説により名付けられました。

第五位:震天弓(震天弓)

西暦661年に、唐の将軍である薛仁貴(せつじんき)が軍を率いて北方の遊牧民族である突厥人(とっけつじん)と大山一帯で決戦を繰り広げました。突厥人は馬術に優れ勇猛であり、この精強な兵を率いるのが”天山射雕王”の異名を持つ頡利可汗(けつりかがん)でした。兵士数は十万を超える大軍を率いて薛仁貴率いる唐軍に立ちふさがりました。




戦闘が始まる前に頡利可汗は自軍の勇将を唐軍に挑ませました。特に武勇に名高い三人の大将、元龍、元虎、元鳳を前面に出し唐軍を威圧しました。この将軍同士の戦いで敗北してしまうと自軍の士気は大きく低下してしまいその後の戦いが不利になってしまいます。

しかし、薛仁貴は冷静でした。この局面を自分自身で打開しようとしたのです。薛仁貴は弓で三人の将軍に狙いを定めて三連射しました。三本の矢を射た後に龍、虎、鳳の将軍は次々に声を発し倒れてしまったのです。

これには突厥軍は慌てふためき混乱に陥り、兵たちは次々に投降してしまいました。唐軍はこの戦いで大勝利を得て薛仁貴の武威は大いに天下に轟きました。この戦いで薛仁貴が用いたのが震天弓でした。

第六位:万石弓(万石弓)

この万石弓は鋼鉄よりもさらに硬くてしかも軽いと言われている紫檀(したん)の木から造られており、三国時代の黄忠が所有していました。《三国演義》では、黄忠は二石力の弓を引くことができ、的には百発百中であったと書かれています。長沙の戦いでは、劉備旗下の勇将関羽と一騎打ちを行い、関羽を射殺す機会に恵まれながらもそれをせず、最終的には互いをたたえ合いました。その後、黄忠は劉備の配下となり曹操軍の夏侯淵などを討ち取っています。

第七位:霊宝弓(灵宝弓)

霊宝弓は李広が所有していた弓の事です。

漢の武帝の時、匈奴が漢の領土に侵入し、遼西太守を殺害し、さらに韓安国将軍を破りました。これにより李広が右北平郡太守に封じられたため、匈奴は李広を恐れて数年間右北平郡には侵入できずに李広は漢朝の飛将軍と称されました。この李広が幾多の戦いで使用し戦功を上げたのが霊宝弓です。

第八位:神臂弓(神臂弓)

神臂弓は神の腕を意味しており、史記にも記述がみられます。神臂弓は弩(クロスボウ)であり、山桑を使って弓身を作り、檀でゆはずを、台座を鉄で、そして弦を絹で作っています。その精度は弓の名手が使うと三百歩先の竹簡のすき間を通すことができるほどです。
この弓は歴史上では南宋の英雄岳飛や三国時代の蜀の名丞相であった諸葛亮が所有していたとも伝えられています。

第九位:遊子弓(游子弓)

遊子弓は水滸伝に出てくる北宋時代の花栄が所有していた弓で、引くためには非常に強い力が必要ですが、放たれた矢はまるで子供が遊んだ後に家に帰るが如く飛翔します。花栄は梁山泊に集った英雄たちの中で序列第九位の好漢であり、馬軍八虎騎と先鋒の第一員を兼ねています。その弓と槍の技術は高く特に弓は百歩離れた柳の葉をも射貫く精度を誇っていました。この花栄が愛用した弓が遊子弓であり、劇中では数多の活躍を見せています。

第十位:龍舌弓(龙舌弓 long2she2gong1 ロンショーゴン)

龍舌弓は龍筋を弦に用いて作られた伝説の名弓で、矢の速度と命中精度が極めて高かったことが特徴です。三国演義中に見られるように、三国時代の呂布が龍舌弓を用いて轅門射戟したことで有名です。

轅門は門の名前で戟は呂布の愛用の武器である方天画戟の事です。呂布が徐州に駐屯して劉備や袁術側の紀霊将軍と会した時に轅門にかけた戟を弓で射ぬいた、という話です。

出典:baidu

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