十大陰師:泣く子も黙る冥府の恐ろしい鬼卒たち

十大陰師

中国の古代神話中の冥府の鬼神たちの中で特に怖い鬼神たちを集めたのが十大陰師です。怖いと言っても妖怪や悪人にとってであって、善人に対しては特に害を及ぼさない場合がほとんどですので、良い子のみんなは安心してください( ´∀`) 悪い子は夜寝ているときに枕元に立って冥府に連れて行かれるかも知れませんので良い子にしてましょう((;゚Д゚))

十大陰師とは、鬼王、日遊、夜遊、無常、牛頭、馬面、豹尾、鳥嘴、魚鰓、黄蜂です。この十鬼神を十大冥師とも言います。彼らはその長によく尽くし、それぞれが兵を率いて悪を懲らしめます。むろん悪鬼に対してはその本領を発揮します。天上に上がることができ、地に入ることができ、彼らの手中から逃れることは至難の業です。

冥府は古来より豊都鬼城にあるとされていました。中国語では丰都(feng1du1)フォンドゥです。これはどこにあるかと申しますと、重慶市の豊都県です。現在では豊都鬼城という鬼のテーマパークで有名です。

豊都付近で有名な食べ物には、干牛肉、麻辣鶏という茹でた鶏肉をほぐして辛いたれで和えた料理、仙家豆腐乳という豆腐を発酵させたものなどがあります。

歴史は、西暦90年の東漢時代に平都県として始まっています。豊都は鬼の住む都として幽都とも呼ばれています。なぜ鬼の住む都と言われるようになったかと申しますと、諸説あり、三国志にも出てくる道教の一派の五斗米道がこの地方で布教活動を行い、五斗米道自体が鬼教とも呼ばれていたためであることや、仏教の地獄を統治する閻羅王(閻魔大王)に因んだり、鬼族という部族に由来する、などとありますが共通して陰間之王、阴间之王(インジエンジーワン)、つまり死後の世界の王や地獄の王などに関連付けられており、死後の魂が向かう場所とも言われています。御多分に漏れず歴史と共に脚色され、西遊記など有名な作品でも鬼城として取り扱われており、時代と共に幽都や鬼国京都と言われる現在の形ができました。

1、鬼王 (きおう gu3iwang2 グイワン)

鬼王は冥府の役人の長です。”鬼王大師”中には王という字が見られますが、王は至高の身分を代表しているわけではありません。鬼王の像は上半身裸で、紅い髪に牙をむき出して、手には鎮妖の鈴を持ち、顔つきは凶悪で、夜叉鬼の様相として彫られています。

鬼王は黒白無常、牛頭馬面を従えており、地位はそれほど高くはありませんが、鬼卒の中では高いため王という字がついています。また、山大王の頭領のようでもあります。清の蒲末齢の《聊斎志異》第六巻《考弊司》では、考弊司を束ねる鬼王として紹介されています。

鬼王のいる衙署堂の下には二つの大きな石碑が立っており、上面には”孝弟忠信”と”礼義廉恥”の文字が分けて刻まれています。実際は欲深く、残忍で暴虐な畜生です。鬼王は自分に謁見するときには、有罪無罪にかかわらず謁見者に太ももの肉をそぎ落とさせる慣例とています。ただし、賄賂を贈った者は免除される場合があり、銀子をたくさん送れば肉を割く苦痛が免除されます。この鬼王は完全に腐った役人となっています。

鬼王の名は多く、《地蔵菩薩本願経》には、儀地獄と閻浮遊(人類の住む世界)には以下の大鬼王がいると書かれています。すなわち、悪毒鬼王、多悪鬼王、大諍鬼王、白虎鬼王、血虎鬼王、赤虎鬼王、散殃鬼王、飛身鬼王、電光鬼王、狼牙鬼王、千眼鬼王、啖獣鬼王、負石鬼王、主耗鬼王、主禍鬼王、主食鬼王、主財鬼王、主畜鬼王、主禽鬼王、主獣鬼王、主魅鬼王、主産鬼王、主命鬼王、主疾鬼王、主険鬼王、三目鬼王、四目鬼王、五目鬼王、祁利失王、大祁利失王、祁利叉王、大祁利叉王、阿那吒王、大阿那吒王等です。また、小鬼王が千ほどいます。

2、日遊 (ひゆう ri4you2 日游 リーヨウ)

日遊神は日遊巡とも称します。中国での信仰中では、白天に責任を持ち四処を巡遊し、人間の善悪の神祇を監察します。一度開始すると、日遊神は四処遊蕩の凶神として知られ、もし罪を犯すと日遊神が不幸をもたらしに来ます。

元朝王曄の《桃花女》には、”今日門を出たとき、まさに日遊神と遭遇した。死には至らなかったが、傷を抱えて戦場へ向かわなければならなかった。”とあります。《玉歴至宝鈔》中には、日遊神が日遊巡を作り、獄吏に着飾らせ、頭髪は乱れ、手に持った木杯には日巡の二文字が書かれていた。

3、夜遊 (やゆう ye4you2 夜游 イェヨウ)

《山海経・海外南経》には、”南方の荒野に十六の神霊があった。それぞれは頬が小さく、肩が紅く、手を取り合って黄帝の夜警をしていた。彼らは昼には隠れ、夜になると現れたことから”夜遊神”と呼ばれた。”とあります。夜遊神は深夜に外で遊蕩する人の例えとして使用されます。日遊神とは相反で、夜遊神は夜間に四処で遊蕩巡行の凶神であり、日遊神とは昼夜に交代し、専門的に人々の面倒を探し、上司に報告します。その様子は百姓に災いを成す”陰間小特務”です。

古代には、人々の間には夜遊神の伝説がありました。《山海経・海外南経》には、”神人が二十八柱いた。連腕で、帝のためこの野において夜を司った。”とあります。この二十八神とは夜遊神のことです。郭璞は注釈で、”昼に隠れ夜に現れる。”としています。楊慎補も注釈で、”南中夷方域にこれあり、夜行きてこれに逢い、土人は夜遊神と謂い、また怪ではない也。”とあります。

4、無常 (むじょう wu2chang2 无常 ウーチャン)

豊都鬼域の無常殿内には黒白の二無常があります。黒白無常鬼、または無常とも言います。昔の迷信中では、人が無くなると無常が魂を取りに行き、漂う魂を捕まえて、悪人の死亡の使者を打ち、陽間で死去した人を陰差に引き合わせることに責任を負います。

黒白無常は、民間伝説では、黒に遇う者は凶と成し、白に遇う者は則ち喜となります。《北平風俗類征》には、”元旦黎明、携帕友は喜神の方へ行き、喜神に遇えたと謂う、則ち一年が健康で安寧に過ごたので、白無常者に遇った也。無常に少しずつ物を乞い、その物の財源となるのもは死であった。”

5、牛頭 (ごず niu2tou2 牛头 ニゥトウ)

牛頭は仏教から来ました。牛頭または阿傍とも言い、その形状は牛の頭と人の体で、手には鉄の刺股を持ち、山をも排す力を持っていました。《鉄城泥犁経》には、”阿傍が人となったのは、父母に不忠であったためで、死後に陰間で牛頭人身となり、逃げた罪人の捜索捕縛と巡回を担当する役人となった。”とあります。

ある資料では仏教の初期には牛頭だけでしたが、仏教が中国に伝来されると人々の間で牛頭と馬面の対称と成双が強調されるようになり、さらに馬面が加えられました。また、他の史料では馬面は馬面羅刹とも称されており、こちらも仏教から入ってきました。

古今の資料中では、インド神話には馬面が冥府の役人の説明は見られません。密教中では馬面明王がありますが、馬面明王は密教中で大神であり、観音菩薩の化身ですので地位的には冥府の役人とは大きな隔たりがあります。

仏教が中国に入ってきた際には、牛頭馬面は民間に流伝し道教に取り入れられて閻羅王と判官の爪牙として描かれるようになりました。現在では仏教の寺院には牛頭馬面はほとんど見られませんが、逆に城隍廟、東岳廟、閻王廟などで頻繁に見られます。

6、馬面 (ばめん ma3mian4 马面 マーミエン)

馬面は冥府の著名な肉体から抜け出た魂の使者です。鬼城酆都(豊都)と各地の城隍廟中に牛頭馬面の姿で見られます。日本では牛頭と共に牛頭馬頭(こずめず)と言う言い方を聞いたことがあるかもしれません。中国では牛頭馬面と言います。

7、豹尾 (ひょうび bai4wei3 バオウェイ)

豹尾は獣類の亡霊を管理している冥師であり、鳥嘴、魚鰓、黄蜂と並んで”四大陰師”と称されます。四大陰師の管理は、陸上の獣類、天上の鳥類、水中の魚類及び地上の昆虫類の各動物の亡霊に分かれます。

ただし、上記の説明は大雑把な説明であり、詳細は豹尾は中国の古代の方術中で仮想の歳神名であり、凶神と成し、虎で飾っており、先鋒の将、常に歳神の黄幡と相対しています。《協紀辨方書》には、《乾坤宝典》を引用して、”豹尾と凶神吊客、喪門は同じで、その居るところは嫌って避ける。”と有ります。

8、鳥嘴 (ちょうずい niao3zui3 鸟嘴 ニャオズイ)

鳥嘴は天上の鳥類の亡霊を管理している冥師であり、豹尾、魚鰓、黄蜂と並んで”四大陰師”と称されます。

9、魚鰓 (ぎょさい yu2sai1 鱼鳃 ユィーサイ)

魚鰓は水中の魚類の亡霊を管理している冥師であり、豹尾、鳥嘴、黄蜂と並んで”四大陰師”と称されます。

10、黄蜂

伝説によれば、黄蜂は地上の昆虫の亡霊を管理する冥師であり、豹尾、鳥嘴、魚鰓と並んで”四大陰師”と称されます。

出典:baidu

色んな冥府の番人がいますが、結構ひどい鬼が多いですね(;´∀`)

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