神農本草経:中医学の神髄が詰まった中国最古の薬学の書物

《神農本草経》は《本草経》や《本経》とも呼ばれており、中医四大経典の一つであり、現存する漢方薬の書物の中で最も初期に書かれた本です。この書物の起源は神農氏にあると言われていますが、神農氏が生きていたとされる時代は文字がありませんでしたので、神農氏が書いたわけではありません。

何千年も前から脈々と口頭で伝承され、蓄積されてきた知識が東漢時代に纏められ書となりました。しかし、書となったのは一度だけではなく、様々な人たちの手によって改善改良がなされていますので、作者は一人と言う訳ではありません。秦漢時代の様々な医学の知識を集めた当時の漢方薬の集大成がこの神農本草経で、以降は医学を志す者たちの聖典となりました。

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その中の大部分の漢方薬学理論と配合規則には、”七情和合”の原則が用いられ、数千年の実践の中で蓄積された経験に基づき開発され、漢方薬の根源を成す規則であり、実際に非常に高い治療効果を挙げています。




神農本草経には全部で三巻あり、365種の薬が三品分類法で記載されており、上、中、下の三品に分かれています。また、東洋医学は陰陽五行学説に根差しています(腎臓は水、肝臓は木など)が、この五行との関連性も神農本草経から見て取れます。

神農本草経の内容

神農本草経は古代の医家が各方面で用いた経験が書かれており、すでに知られていた薬物の知識を系統的に整理した書物です。書内には合計365種類の薬が収録されており、意図したかどうかは不明ですが一年365日と同じ数です。実際、当時の薬の数は365種類をはるかに超えていますので、術数思想の影響を受けたことによって、数ある薬の中から365種を選び取り、”三百六十五度に法り、一度一日に応じ、以て一歳を成す。”としたとも考えられます。

《神農本草経》によって薬の捜索が止まったわけではなく、また薬の分類作業も進行して行われました。365種の薬物を上、中、下の分類しており、”三品分類法”と称されます。分類は薬物の効能により行われます。

《本経・序録》には、”上薬120種を君と成し、主に命を養い以て天に応じ、無毒で長く飲んでも人を傷つけず。”とあります。これは人参、甘草(かんぞう)、地黄(じおう)、大棗(だいそう)などです。”中薬120種は臣と成し、主に性を養い以て人に応じ、無毒有毒、投薬には加減が必要。”とあります。薬の効能を見て使用する、百合、当帰(とうき)、竜眼(りゅうがん)、黄連(おうれん)、麻黄(まおう)、白芷(びゃくし)、黄芩(おうごん)などです。最後に下薬に関しては”下薬125種は佐使を成し、主に病を治療し以て地に応し、多毒であり長期間の服用は不可。”とあります。これは大黄(だいおう)、鳥兜(とりかぶと)、甘遂(かんすい)、巴豆(はず)などです。

神農本草経には高いレベルの薬学の解説が含まれており、これを基にして薬学理論が展開されています。この薬学に関する解説は序盤の総論の部分に主に記載されており、薬学の各方面ごとに十三条に渡り要点が簡潔に記述されています。

薬物の配合例には君臣佐使の原則が用いられています。君臣佐使とは当時の社会の階層を表しており、効能に合わせて薬物を分けるカテゴリーとして使用されています。すなわち、上品薬は君薬、中品薬は臣薬、下品薬は佐使薬と言われています。そしてその薬物の特性を考慮して君薬、臣薬と、その効能をサポートする佐使薬を配合します。配合比率は、一君、二臣、三左、五使、あるいは一君、三臣、九佐使とされています。

さらに、薬物の配合に二種類以上を用いる場合にはその組み合わせを検討する必要があります。なぜならば、二種類以上の薬物を用いた際にはお互いが影響を及ぼし合い、一方の薬性が減少したり、一方の毒性を制約したり、薬性が無効化される場合や、お互いが薬性を高め合って高い毒性をもたらす場合などがあるからです。神農本草経では薬物同士の影響には七種あるとし、その関係を包括単行、相須、相使、相畏、相悪、相反、相殺としています。この”七情”には”合和視之”が必要であり、これが”七情合和”の配合原則を形成しています。




また、神農本草経には薬物の効能と共に効能をもたらす病気についての記載もあります。これは、古来から実施されてきた豊富な臨床経験の結果であると言えます。現代医学においても神農本草経に記載されている薬の効能の大部分が実証されています。

さらに、現代においても広く研究が行われおり、人参補益(滋養強壮)、 黄連止痢(下痢止め)、麻黄定喘(喘息の薬)、常山截瘧(マラリアの薬)、大黄瀉下(下剤)などが知られています。治療に使用できる病気も約170種と広範囲に渡り、内、外、婦人、子供、目鼻耳などの五官等の疾病が含まれています。この他にも薬物の性質や産地、採取方法、乾燥方法、薬物原則と服薬方法なども書かれており、広大な知識が体系的に記されています。

  • 神農本草経の集注

神農本草経の名前が見られる最初期の書物は《隋書・経籍志》で、”神農本草、四巻、雷公詩集注”とあります。《旧唐書・経籍志》、《唐書・芸文志》には、”神農本草、三巻”とそれぞれあります。宋の《通志・芸文略》には、”神農本草、八巻、陶隠居集注。”とあります。明の《国史・経籍志》には、”神農本草経、三巻”と、《清史稿・芸文志》には、”神農本草経、三巻”など、歴代の様々な書物中に見られます。現存する最古の神農本草経は原文に注釈が書かれた書物で、1616年の《神農本経》です。日本でも森立之により1854年に神農本草経として出版されています。

  • 神農本草経の学術的な価値

神農本草経は東漢以前の薬学の知識の集大成であることから神農本草経の学術的価値は非常に高く、この書物から当時の薬学に関する知識や技術を知るため史料的価値も非常に高いと言えます。さらに、本書に基づいた臨床試験が長期間行われてきましたので、豊富な臨床結果も揃っています。すなわち、今に至ってもなお中国の医学界に多大なる影響を与え続けているのです。

《本経》では、”君臣佐使”の理論を提起し、13条の薬学理論に帰結しています。また、《本経》を基にしてさらなる発展を遂げるべく、《本草経集注》、《新修本草》、《証類本草》、《本草網目》などが書かれています。薬学において正しい薬効を得るためには薬物間の相互関係が鍵となります。《本経》では”七情和合”の原則の基で理論展開がされており、これが数千年の投薬治療で多大なる結果をもたらしています。

  • 薬の形状の規定

《本経・序録》には、”薬性には丸薬に適しているもの、粉末に適しているもの、水煮に適しているもの、酒漬けに適しているもの、軟膏に適しているもの、またはこれらを兼ねるもの、湯や酒に入れてはいけないもの、並随する薬性は強くなりすぎることはない。”とあります。この中薬剤型は二千年前にはすでに成立しており、様々な種類の薬に対する薬剤の形状の研究のたまものです。

例えば、消石を”煉これ膏の如く”と例えたり、術は”煎餌を作り”、茺蔚子(じゅういし)は”浴槽に入れて治療することができ”、葡萄は”酒が作れ”、白芷(ビャクシ)は”顔の潤いを保つ面脂が作れ”、牛角、牛胆は”丸薬に入れることができ”、蝟皮(いひ)は”酒で煮てこれを殺し”、露蜂房(ろほうぼう、ハチの巣)は”煮込むのがよく”、当帰(とうき)は”金創(傷口)には煮てこれを飲んで”治し、雷丸は”研磨剤を作り小さな百病を取り除き”、蛇蜕(蛇の抜け殻)は”煮込むのがよく”、貝殻は”焼いて用いるのが良い”などです。

薬の原材料は様々な方法で加工されていると同時に、異なる薬を用いる場合は高い治療効果を得るために異なる形状で使用することが重要であるとも書かれています。

  • 薬の効き方についての解説

《神農本草経・序録》には、”病気を治療するときには、まずその原因を突き止め、病理機構を伺い、五臓は弱らず、六腑は尽きず、血脈は乱れず、精神を保ち、服薬すれば必ず治る。病気になってしまっても半分は治癒できる。病気が進行してしまった場合は命を守ることは難しい。”とあります。つまり、病気に対しては人々に予防の重要性を説き早期発見早期治療を行うことが大切であり、病気が進行してしまった場合は薬で治療することは難しいと書かれています。




また、薬のみで病気を治すのではなく、体内の防御機能(今でいう免疫機能)を高めることで薬の薬効を引き出すことが重要であることも強調されています。

  • 症状から病気を分類して投薬すること

《神農本草経・序録》では、”寒の治療は熱を以て薬とし、熱の治療は寒を以て薬とし、飲食を消化できないときは嘔吐を以て下薬とし、鬼疰蠱毒は毒を以て薬とし、癰腫瘡瘍は瘡を以て薬とし、風湿は風湿を以て薬とし、適宜使い分けるべきである。”とあります。これらの言葉は投薬治療を行う前提の下、寒や熱という病気の性質を見極め、病気の原因や消化不良や風湿(リウマチ)といった治療を行うべき症状を明確にし、病気の程度並びにその程度に基づいて投薬を行い(例えば”鬼疰蠱毒”はどれも重篤な症状に分類される)、さらに体の病気(癰腫瘡瘍や風湿など)と内臓の病気(鬼疰蠱毒)の差異を見極めて投薬することの大切さを強調しています。

癰腫瘡瘍や風湿には、”瘡薬”及び”風湿薬”を用い、鬼疰蠱毒には”毒薬”を用います。書物中には365種の薬物の効能と主な治療対象が記されており、さらに書内には内科疾病、婦科疾病、外科疾病、五官科疾病、皮膚病などの分類に基づき、異なる病には異なる薬物を以て治療にあたるという内容が記されています。これは、症状を分類して適切な投薬を行うという薬学思想を表しています。

鬼疰蠱毒は呪いの一種ですので病気とはちょっと違う気もしますが、当時は病気の一種と考えられており、その治療法も記されています。

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  • 服薬時間の重視と薬効の関係

《神農本草経・序録》には、”病が胸膈(胸と腹の間)より上にある者は、食後に服薬する。病が腹より下にあるものは食前に服薬する。病が四肢血脈にある者は、空腹時そして朝に服薬するとよい。病が骨髄にある者は、満腹時そして夜に服薬するとよい。”とあります。この服薬のタイミングと薬効には密接な関係があるとされ、このタイミングは経験に基づいて導き出されました。

  • ”薬有陰陽”理論について

陰陽は陰陽五行学説に基づいて説明されます。この世の混沌とした状態を太極と言い、この太極が陰と陽に分かれました。陰と陽は男女、昼夜など二種類に分けられる対称に用いられます。例えば男は陽で女は陰などです。

薬も陰と陽に分けられており。《内経》では初めに”薬有陰陽”理論の説明から始まっています。《本経》ではこの理論を実践しています。この”薬有陰陽”は、広範囲の内容を含んでいます。例えば植物薬と鉱物薬は陰と陽に分けられます。鉱物薬の性質は重く陰に属し、植物薬の性質は軽く陽に属します。また、植物薬の中でも、その花や葉、枝などは陽に属し、その根や乾燥させたものは陰に属すなど分かれます。

薬物の元となる性質に対しても陰陽に分けられ、即ち”陽は気を成し、陰は味を成す。陰味は穴を出て下り、陽気は穴を出て上がる。味厚者は陰と成し、薄者は陰の陽と成す。気厚者は陽と成し、薄者は陽の陰と成す。味厚はすなわち排泄し、薄はすなわち通ず。気薄はすなわち排泄が起こり、厚はすなわち発熱する。気味辛甘発散は陽と成し、酸苦涌泄は陰と成す。”となります。この理論の詳細に関しては《素問・陰陽応象大論》に見られます。

  • 酸、咸、甘、苦、辛、薬の五味について

《本経・序例》には、”薬には酸、咸、甘、苦、辛の五味がある。”とあります。咸は塩辛いという意味です。この意味は、人々に薬本来の味わいを指示すと共に、人体に対する気血陰陽の作用を示すことにあります。実際には薬の味わいは五種ではないですが、五行学説の影響を受けているために五種に分類されています。今に至るまで薬の味は全て五種に分類されており、例えば渋味は酸に、淡味は甘にそれぞれ含まれています。薬の味を五味に分類することにより五行に合わせて薬の味を考えることができます。中医学は道教の陰陽五行学説と密接に結びついている一例です。

  • 薬の寒熱温凉の四気について

《本経》には、薬には寒、熱、温、凉の四気がある、とあります。四気はすなわち四性で、これは薬あるいは食べ物の寒熱温凉の四種の性質を表しています。上で味覚に五味があると書きましたが、四気はこれに対しており、四気は陽に属し、五味は陰に属し、《素問・陰陽応象大論》にある、”陽は気と成し、陰は味と成す”の意味です。物事の属性は陰陽に分けられ、”陽中に陰有り、陰中に陽あり”、と言うように薬の寒熱温凉の四気はさらに陰陽に分けることができます。すなわち、温性、熱性は陽となり、凉性、寒性は陰に属す、となります。




程度を比較すると、熱は温より、寒は凉より程度が高いです。温熱薬は微温、温、熱、大熱があり異なる量級です。同様に寒凉薬は凉、微寒、寒、大寒があり、こちらも量級が異なります。もし、薬の性質上で寒熱温凉の差異が無ければ”平”を用いてその薬の性質を標定します。

  • 薬の有毒無毒を汲み取ること

《本経・序録》には、有毒無毒を汲み取ることが大切である、と書かれており、実際に薬を用いるときにはどの材料が有毒であるか、どの材料が無毒であるかを熟考する必要があるということです。さらに毒がある場合、その毒の程度や範囲などを熟考して患者の症状を踏まえて投薬を決めることが大切であるという意味です。

  • 薬の七情和合について

上の方でも書きましたが、《本経・序録》では、”薬には単行者が有り、相使者が有り、相畏者が有り、相悪者が有り、相反者が有り、相殺者が有る。この七情を視ることが大切である。”とあります。これは互いの成分が薬効を妨げないようにするための薬物配合理論中の”七情和合”の原則です。

出典:baidu

中国の医学、即ち中医学や東洋医学、漢方などとも呼ばれていますが、この中では陰や陽、気など陰陽五行学説の考え方、今でいう非科学的な内容が出てくるため馴染めない方も多くおられるのではないかと思います。

古い中国では陰陽五行学説が一般的な考え方としてありました。物事を理解するときには何かしら身近な例があると理解しやすいですので、そこで五行学説と照らし合わせて説明することで理解を助けることになります。

陰陽五行学説は昔の中国では普通に考えられていた思想ですので、昔の人にとっては受け入れやすい考え方であったと思います。また、五行学説は物事の真理を説明しているとされていますので、病気もこの考え方により説明でき医療の際に大衆の支持が得られやすい事も五行学説が取り入れられ受け継がれてきた一因であったと推測します。要するに五行学説に基づいて説明することで説得力がある説明が出来たのだと思います。

個人的に注目したいポイントは神農本草経が豊富な臨床結果に基づき書かれている点です。本書が書かれる以前から、そして書かれて以降も何千年に渡り薬の臨床試験が繰り返されてきました。薬自体はトリカブトなど劇薬を用いているので良くも悪くも薬としての効能はあります。しかし、トリカブトは毒薬としても使用されるので使用を誤れば身体に害をなします。そのため劇薬を適切に使用して薬効を得るために臨床試験を長期間繰り返すことで細かい薬学理論の構成に至ったと推測できます。また、現に今に至っても漢方薬が用いられていることや研究対象になっていることから本書には多くの有益な情報が含まれており、また受け継がれています。

現代医学の観点から考えるとなかなか受け入れがたい印象がしてしまう中医学ですが、実際効能があり現代医学的にも効果が認められている点も多くあります。何よりも中医学のバイブルの一つと言われる神農本草経が、科学が未発達の二千年近く前に書かれたということは大いに注目すべき点であると思いますし、複雑な化学物質が合成できない中で自然にある素材と経験で中医学の基礎を大成させたことには驚嘆します。

神農本草経の名前に由来となった神農氏について少し説明しますと、神農氏は今から5200年くらい前の新石器時代に生きたとされる帝、つまり部落連盟の首領です。神農氏は炎帝とも称され、炎帝神農氏とも言われます。炎帝は神農氏から八代にわたり続きました。神農本草経はこの神農氏に因んで名づけられています。

神農氏は嘗百草、つまり様々な野草を嘗めて薬効の有無を調べることで薬を作ったことから、医学の祖とされています。また、お茶を発見したり農業の神であり市を開いた人物であったなど様々な功績があると言われています。今でも道教や中医学、農業など様々な方面で神様として祀られています。最後は毒草を嘗めたため亡くなりました。

神農氏は道教ともかかわりが深く、道教の秘術の一つである不老不死の妙薬である丹を作り始めたのもこの神農氏だと言われています。丹を作ることは煉丹術と呼ばれており、練丹とも錬丹とも書かれることもあります。丹は赤という意味があるとともに辰砂、即ち朱墨にも使用される朱色の硫化水銀を指しています。神農氏は薬草から丹を作っていました。この場合は薬草を練って作るという練丹という言い方がいいのではないかと思います。練丹術は下腹部にある丹田で気を練る方法の呼称でもあります。時代が流れると次第に硫化水銀を熔かして丹を作るようになりました。この場合は煉丹術や錬丹術という書き方が適していると思います。西洋の錬金術と似ています。水銀は有害ですので、実はこの硫化水銀を使用した煉丹で王を含めた多くの人々が命を落としていますので、不老不死の薬などではなくただの毒です。




中国医学が始まったと言われているのが神農氏の時代、つまり5200年前となりますが、この間に様々な医者が様々な方法で治療を行い、その膨大な治療結果が蓄積されて中医学となっているのです。

最後に陰陽五行学説について説明します。陰陽五行学説は陰陽思想と五行思想が合わさり春秋戦国時代にできました。

陰陽思想は物事を陰と陽に分けて考えます。この世の中も混沌とした太極が陰と陽に分かれることでできました。太極の動は陽を生み、静は陰を生み、一陰一陽はは両儀、即ち天地を成します。この両儀から一陰一陽が生まれ、これを四象(少陽、老陽、少陰、老陰)と言い、春夏秋冬の四季を表しています。この四象には青龍や白虎、朱雀、玄武が当てはめられてます。さらに四象が一陰一陽を生み出して八卦を成します。陰陰陽や陽陰陽など、八卦は陰と陽の三つの組み合わせからできています。八卦は天、地、風、雷、水、火、山、沢を表し、健、順、動、人、陥、麗、止、説を示します。これは八卦鏡が有名です。

五行説は木と金と水、土、火が互いに生成消滅を繰り返しているという考え方です。さらに方角や色、季節なども関連付けられています。こちらも青龍や白虎、朱雀、玄武と言った神獣により代表されており、例えば青龍は木に属し、東、青、春などを表します。青龍は青ですが、木属性には青という色がもれなくついてくるので青い龍となります。金属性は白を表していますので、代表するのは白い虎である白虎となります。

ここで、五行と言いつつ青龍、白虎、朱雀、玄武の四柱しかいないではないか、と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、残りは黄龍で中央(中原)、黄、土用などを表しています。黄龍の代りに麒麟が代表する場合もありますが、この場合は黄麒となります。(麒麟は雄を麒、雌を麟と呼ぶ場合があります。鳳凰も同様で鳳を雄、凰を雌とする場合があります。)

この陰陽思想と五行思想が合わさり陰陽五行学説ができ、様々な複雑な事柄について説明が成されるようになり、医学にも応用されました。

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