第三巻:捜神記を翻訳してみた

捜神記の第三巻の翻訳です。

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  • 鍾離意

漢代永平年(紀元58-75年)の間に、会稽郡の人である鍾離意、字は子阿、が魯国の相となった。任じられた後、鍾離意は自ら銭一万三千文を出し、曹孔訴へと渡し、孔子の車を修繕させた。鍾離意は更に自ら孔廟へと行き、机、椅子、刀剣、靴を磨いた。張伯と言う男が堂の下で草むしりをしている時、泥の中から七つの玉璧を掘り出した。張伯はその内の一つを懐に隠し、残りの六つを鍾離意へと報告した。鍾離意は主簿に命じてそれらを机の上に置かせ、孔子が学問を教えていたという講堂の前の床の上には瓶が一つつるされており、孔訴を呼び寄せて聞いた。「これは何の瓶だ?」孔訴は答えた。「これは孔夫子の瓶です。中には丹書があり、皆敢えてそれを取ろうとはしません。」鍾離意は言った。「孔夫子は聖人だ。その聖人の所に残っている瓶だ、その瓶を後代の賢良に見させようとしたためだと思う。」そしてその瓶を割ってしまった。すると中からは綿書が出てきて、そこには、「後代は私の著書、即ち董仲舒を研究するように。私の車を守り、私の靴を磨き、私の書の箱を開くのは会稽人の鍾離意である。玉璧は七つあるが、張伯がそのうちの一つを隠してしまった。」と書かれていた。鍾離意はすぐさま張伯を呼びよせ、詰問して言った。「玉璧は七つあると言うがなぜ一つ隠したのだ?」すると張伯は地に頭をこすりつけて赦しを乞い、すぐに玉璧を差し出した。

  • 藏仲英家の怪物

右扶風の藏仲英は侍御史に任ぜられた。侍御史の家の下女が食事を作っているとき、木托盘中に入れていると不潔な埃が入り汚れてしまった。米が炊きあがる頃には釜がどこに行ったか分からなかった。武器に至っては弓矢が勝手に動き出した。火が竹箱の中から噴き出してきて、箱の中の衣服は全て焼けてしまったが、箱自体は何も焼けておらず元のままであった。家中の婦女や下女はある日鏡を全て持ち去られた。数日後、鏡は食堂の中などから出てきた。さらに人の声で、「あなたたちへ鏡を返す。」と言った。三歳四歳くらいの女の子で忽然と姿を消した。探せどどこへ行ったか分からなかった。ニ、三日後には厠の中で鳴き声がした。このような出来事がひっきりなしに続いた。汝南郡の許季山の占い師に占ってもらうと、「あなたの家にはきっと老いた青犬が一匹おり、さらに家中には益喜という名の下女がおり、その下女が犬と一緒にこの出来事を引き起こしています。あなたがもしこの不気味な事態を収束させたいのなら、その犬を殺しそして益喜を実家へ帰すことが必要です。」と言った。藏仲英は占い師の言う通りに実行すると怪奇現象は治まった。その後、藏仲英は太尉長史に任ぜられ、魯の国相となった。

  • 喬玄が白光を見る

太尉喬玄は字を公祖と言い梁国の人であった。喬玄は当初司徒長史に任じられた時、五月の後半のある日、大門の辺りで寝ていると夜半を過ぎ頃に東の壁で雪の白色を見た。それは開け放たれた門のと同じ明るさであった。喬玄は身辺の者を呼びこのことを言うと、集まってきた者たちは皆何も見えないといった。そこで喬玄は自ら確認しに行き、出て壁をさすってみた。壁は元のままであった。しかし、床に戻ると再び東の壁に雪の白色を見た。このために喬玄は非常に恐怖を覚えた。喬玄の友人の応劭がその時喬玄に会いに来たがっていたので、喬玄はこの件を応劭に話した。応劭は、「私の同郷に董彦興という人物がおり、許季山の外孫です。彼は幽奥隠微を探索し、神妙変化を深究し、《春秋公羊伝》の眭弘と《易経》の京房に精通し、彼に勝るものはどこにもいません。ただし、彼は天性の堅物ですので、卜占で恥を作ったり望まないことをやるかもしれません。近日中に枯れはその先生の王叔茂に会いに行くと思いますので、私を彼行かせ彼を連れてきます。」と言った。




暫くして、董彦興は応劭と共にやってきた。喬玄は董彦興を恭しくもてなし、盛大な酒宴を用意して酒をふるまった。董彦興は喬玄の説明を待たずに、「私は郷の学生で天賦の才などありません。あなたは礼節を持ち甘言を囁いていますので私は不安を感じています。もし私は大まかにでも分かればあなたのために占いましょう。」と言った。喬玄は何度か辞退したが、董彦興に自身の運命を占わせることにした。董彦興は橋玄に、「あなたはきっと奇怪な出来事に遭遇するでしょう。それは門が開いたような壁の白光のことです。ただし、それ自体はあなたに危害を加えることはありません。六月上旬の早朝の鶏が鳴くころ、南の家から鳴き声が聞こえると思いますが、それは縁起の良いことです。秋になると、あなたは北方の郡府に任官され、その郡府の名の中には金という字があります。あなたの官職は将軍、三公です。」と言った。橋玄は、「私はすでにその奇怪な出来事に遭遇しており。今は一族が滅んでしまうような災難から救ってほしいと思っており、その希望を託せるところはどこかと思案していましたところ、あなたは私の心を解放しました。」と言った。

六月の九日のまだ空が明るくなっていない頃に太尉の楊秉が突然死んだ。七月七日に橋玄は鉅鹿の太守に任命されたが、鉅の時には金という字があった。その後橋玄は遼将軍になり、太尉、司徒、司空の三公の要職を歴任した。

  • 管輅が王基を筮う

管輅は字を公明と言い、平原の人であった。易の卜卦を善く用いた。安平太守の東菜人である王基は字を伯輿と言い、家の中で怪事件が多く発生していたので管輅に占わせた。卜卦の後管輅は、「あなたの卦ですが、一人の卑賎な婦人がおり、男の子を生みましたが、子供は生んですぐに走り去り、火坑に飛び込んで死んでしまいました。また、一条の大蛇が床の上で筆を銜えており、皆見ることが出来ますが、すぐに離れてしまいました。また、一羽の烏鴉が家の中へ飛んできて燕と争うと燕は死んでしまい、烏鴉は飛び去りました。このような三つの卦でした。」と言った。王基は十分に奇怪に思い、「卦は非常に正確です。そのレベルですと、どうか私のために吉凶を占ってください。」と言った。管輅は、「その他の禍はありません。ただ、客舎時代は昔のことですので、あの妖魔奇怪達は一緒に騒ぎを起こしたのです。子供が生まれてから歩いたと言いますが、自ら歩いたわけではなく火の精霊がその子を灶の中へ引き込んだのです。大蛇が筆を銜えていましたが、老いた書佐にすぎません。燕と争っていた烏鴉は老いた侍従にすぎません。精神は純正で妖怪ではないので害にはなりません。万物が変化したものですので道術では阻止できません。昔の妖怪はこのような状況で現れます。現在の卦の中の象徴で、凶兆は現れておらず、そのため妖怪が頼りにしていることを知り、妖怪が作り出した凶兆ではなく心配には及びません。以前に殷の高宗武丁が祭祀した大鼎は野鶏の鳴く地方ではなく、殷の中宗太戊の庭院は桑谷は生い茂る地方ではありません。しかし、野鶏が鳴くと武丁成は賢明な高宗となり、桑谷は育ち、太戊時代に隆盛しました。なぜこの三件が吉祥の象徴ではないとわかりますか?あなたは身を案じ徳を養い、従容光大で、神怪があなたの天性を汚したためではありません。」と言うと、それ以降は何も起こらなかった。王基は安南将軍に任ぜられた。

以降、管輅の同郷の乃太原が管輅に、「あなたはこの前、王基のために妖怪に就いて語りました。老書佐が蛇に変わり、老侍従が烏鴉に変わったと聞いています。それらは全て人ではないですか。どうして卑賎な動物になってしまうのです?爻象(占い結果)に現れてあなたの思念を現したのですか?」と言った。管輅は、「もし、本性と天意がなければ、どのように爻象に背き思うがままに振舞えるのですか?万物は変化し固定形状はありません。人の変化には決まった変化はありません。ある者は大から小に、ある者は小から大に変わり、本来は良いも悪いもないのです。万物の変化には一定の道理があります。それで、夏の鯀は黄熊に変わり、如意は蒼犬に変わりました。これは高貴な身分から山の野獣の類に変わっています。あの状況の蛇は東南の方角に配しており、烏鴉は太陽の精霊を住処にし、これは暗黒が現れた形象で太陽が下山する景色です。書佐、侍従の如く、それぞれの卑微の体躯で蛇と烏鴉に変わりました。これでもまだ分かりませんか?」と言った。

  • 管輅が顔超に延命を教える

管輅が平原県に到ると、顔超の面持ちの異常に気が付いた。予言では顔超は成年にならずに死んでしまうとのことであった。顔超の父親は管輅に顔超の寿命を延ばす事を求めた。管輅は顔超に、「あなたは家に戻り透明な酒を一瓶、一斤の鹿の干し肉を準備しなさい。そして逢卯の日に麦畑の南辺の大きな桑の木の下で二人が囲碁を打っているのであなたは彼らに酌をし、干し肉を渡し、彼らが酒を飲み終えるとさらに酌をし、飲み干すまで続けなさい。もし彼らがあなたに質問すると、あなたは彼らに額づき話す必要はありません。このようにすると、彼らは必ずあなたを救うでしょう。」と言った。




顔超は管輅の言葉通りに行って見ると、二人の人物が囲碁を打っていた。顔超は干し肉を差し出し酒を注いで彼らの前に置いた。やがて目の前の酒と肉を飲み喰いしだし、酒が無くなると再び酌をた。やがて北側に座っていた人物が顔超を見て言った。「あなたはそこで何を待っているのだ?」顔超はただ額を地にこすりつけて拝礼するのみであった。南側に座っていた人物が、「先ほど彼の酒と肉を飲み食いしたので、このままでは申し訳がない。」と言うと、北側の人物は、「彼の寿命は文書上ですでに決まっている。」と言った。南側の人物は、「その文書をちょっと見せてください。」と言い、文書に記載されている顔超の寿命を見てみると十九歳と書かれていた。そこで九の字を曲げて十の字の上に持ってきて顔超に言った。「九十歳まで生きるように変えておきました。」顔超は拝礼した後に去った。管輅は顔超に、「これは本当に天の助けだ。私もあなたの寿命は延びて嬉しい。北側に座っていた人物が北斗星で南側に座っていた人物が南斗星だ。南斗星は生を司り、北斗星は死を司る。人が受胎すると南斗星が誕生日を定め、北斗星が死ぬ日を定める。願いがあれば北斗星に言えばいい。」

  • 管輅が郭恩を筮う

利漕口に郭恩という老百姓が住んでいた。字を義博と言い三人兄弟であったが皆足の病気になりびっこを引いていた。このため管輅に蓍草(めどはぎ)で病気がどこから来ているのかを占ってもらった。管輅は、「卦の中にはあなた方の近い人の墳墓があり、この墓の中に女の鬼が一体います。あなたの伯母ではなく、きっと叔母でしょう。過去の飢饉の時にきっと彼女に米を送った人がいたと思いますが、この人は叔母に井戸の中に落とされました。叔母は喜んでまた大きな石を落としました。この石により頭が割れて死んでしまいました。この孤独な霊魂は無実の罪で苦しみ天に訴えました。それであなた方皆にこのような病気にさせたのです。」と言った。

  • 淳于智が宅居を卜う

上党郡の鮑瑗は、家中で様々な病気で死者が続出した上に貧困で辛い思いをしていた。淳于智は鮑瑗を卜占しこう言った。「あなたの家は縁起が悪いので、このような貧しい状況になってしまいました。あなたの家の東北に大きな桑の木が何本かあります。あなたは城市へと行き、城に入ってから数十歩歩いたところで鞭を売っている人を見かけますので、その鞭を買って来てその桑の木に吊るしてください。三年が過ぎるとあなたは財産を築くことでしょう。」鮑瑗は言われた通りに城市へ行き言われた通りの所で鞭を買って桑の木に吊るした。三年が経つと鮑瑗の家の涸れてしまった井戸から数十万銭の貨幣が出てきた上、二万以上の銅器や鉄器が出てきた。これにより、以降はお金に困ることはなくなった上に病人もいなくなった。

  • 淳于智が免禍を卜う

譙郡の人である夏侯藻は、母親の病気が重く淳于智に卜占をお願いしたいと思っていた。忽然と、一頭の狐狸が夏侯藻に向かって激しく吠えたてたので夏侯藻は非常の驚き怖くなり急いで淳于智の所まで走って行った。淳于智は、「これの災禍は緊急です。あなたはすぐに家に帰り、狐狸の吠えたところで胸を抑えて啼哭しすると、家の人驚き皆門から出てくるでしょう。しかし、一人だけ出てこない人がいるはずですので、それまで啼哭を止めずに続けなさい。このようにして、この災禍は免除されるでしょう。」と言った。夏侯藻は家に戻り、淳于智の言った通りにすると病気の母親すら出てきた。家にいた全員が門の外へ出てきて集まっており、五つの部屋のある家屋は引っ張られるように倒壊して崩れ去った。

  • 淳于智が病を筮う

護軍の張劭は母の病が重かった。淳于智は張劭のために卦を行い、張劭に西の市で一匹の猿を買ってきてその猿を母親の腕に結びつけさせた。周囲の人を呼び猿を打たせ、ひたすら休ませず、三日後にその猿を解放した。張劭はこの話に従った。猿が門を出ると犬に咬まれて死んでしまったが、母の病は治癒した。

  • 郭璞が豆を撒き兵を成す

郭璞は字を景純と言い、廬江郡へと到り太守胡孟康に早く江を渡り南方へ行くように勧めた。胡孟康はその勧告を聞かず、郭璞は荷物をまとめてその地を離れる準備をした。郭璞は主人の家の婢女が好きであったが、得る方法はなかったので三斗の小豆を探して主人の住宅の周りを囲むように撒いた。主人が早朝起きると数千人もの紅の衣服を着た人たちが家を囲んでいるのに気が付いた。近寄って見ると見えなくなった。非常に気持ちが悪くなり、郭璞に占ってもらった。郭璞は、「あなたの家にあの婢女を置いておくのはよろしくありません。東南に二十里の所で彼女を売るのがよろしいでしょう。気を付けて欲しいのが値段を争わないことです。そうすれば妖怪を取り除くことが出来るでしょう。」と言った。郭璞は人を遣わしてその地で婢女を安く購入し、また主人の家の井戸に道符を投げ込むと、この数千人もの紅衣の人たちは一人ずつ井戸の中に飛び込んでいった。主人は非常に喜んだ。郭璞はその婢女を連れてその地を離れ、数十日後に廬江は敵の手に落ちた。

  • 郭璞が死んだ馬を救う

趙固が乗っていた馬が突然死んでしまい、趙固は非常に悲しみ惜しんで郭璞の元へとやってきた。郭璞は、「あなたは数十人に竹竿を持たせて東へ三十里の地へ行かせなさい。そこの陵園の中にある木を一気に打ちつけさせなさい。そのとき必ず一匹の妖怪が出てくるので捕らえて家に連れ帰りなさい。」と言った。趙固は郭璞の言われた通りにその地へ行き言われた通りの事をやってみると、一匹の猿のような妖怪を得た。家に連れて帰るとその怪物は門をくぐると死んだ馬を見た。するとすぐさま死んだ馬の頭の前に走っていき、死んだ馬の鼻から息を吸ったり吐いたりした。しばらくするとその馬は起き上がり元気よくいななき以前と同じように飲食した。ただ、あの怪物は二度と現れなかった。趙固は郭璞の奇才を知り郭璞に多額の報酬を与えた。

  • 費孝先の卦

西川の人の費孝先は 軌革卜占術に精通しており、当時の人々は皆その名を知っていた。費孝先を信奉する王旻は商売をするために成都へやってきて費孝先に卜卦を請うた。費孝先は、「停まるべきのに停まらず、洗うべきなのに洗わず。一石の搗いた粟で三斗の米を得る。聡明な人に出会うとあなたは生き、暗愚な人に出会うとあなたは死ぬ。」と言った。再三にわたり王旻はこの語句を暗唱し、暗記した。

王旻が戻ってきたとき、大雨に遇うと近くにあった家の下で休み、道行く人たちも雨宿りのためにその家に集まり一杯になった。王旻は、「停まるべきなのに停まらないというのはここではないのか?」と思った。それで雨をもろともせず道に出た。するとすぐにその家が倒壊した。王旻ただ一人が害を免れた。

王旻の妻は隣人と不倫しており、夫婦になりたいと思い王旻の帰りを待ち毒殺しようとしていた。王旻が帰ると妻は不倫相手に、「今晩身体を洗うのは私の夫だから。」と言った。空が暗くなり妻は王旻に身体を洗うように言い、頭巾と手帕を新しいものに取り換えた。王旻は、「洗うべきなのに洗わずとはこのことではないのか?」と思い、身体を洗わないと決めた。妻は怒り、考えなしに自分が身体を洗いに行ったが、夜半に殺されてしまった。翌朝、王旻は妻が殺されているのを見つけると大声で叫んだ。




近所の人たちが来たが何が原因か分からなかった。そのため、王旻は官府に捕らえられ拷問を受け、殺人として罪を宣告された。王旻は自分を弁護することが出来なかった。郡守が罪を言うと、王旻は泣きながら、「死んだ、死んでしまったのです。終始費孝先の予言どおりになってしまいました。」と言った。左右の官吏は王旻の話を上に報告すると、郡守は死刑の執行を止めて王旻を呼んだ。そして、「お前の隣人は誰だ?」と聞いた。王旻は、「康七です。」と答えた。郡守は役人を派遣し康七を捕らえて言った。「お前の妻を殺したのはきっとこの者だ。」尋問の結果、予想通りであった。郡守は僚属に、「一石の搗いた粟で三斗の米を得る、とは康七を意味しているのではないのか?(意味不明です)」と言った。これにより、この件は解決し、最後に残った「聡明な人に出会うとあなたは生きる」という言葉もその通りであった。

  • 隗炤が金を埋蔵する

隗炤は汝陰郡鴻寿亭の百姓で、易経に通じていた。隗炤は死ぬ間際に遺言を書いた板を妻子に渡した。その内容は、「私の死後、非常に厳しい災荒がある。このような状況なのでも家は売るな。五年後の春になると皇帝の派遣した使者が鴻寿亭で宿泊するだろう。その姓は龔である。その人物に私は黄金を貸したので、この板を見せて取り立てなさい。この遺言に背くことの無いように。」であった。彼の死後、家は非常に貧乏であり妻は何度も家を売ろうとしたがその度に夫の言葉を思い出し思いとどまった。

予定の日が訪れると、龔という使者が亭中に宿泊のためにやってきたので妻はその板を龔という使者に見せて借金の返済を申し出た。龔という使者は板を見たが何のことだかさっぱり分からず、「私はこれまでお金に困ったことはないがあなたはなぜこのようなことをするのだ?」と言った。隗炤の妻は、「私の夫が死ぬ間際にこの板を書いて渡してこうするように言いました。私は別に取り乱しているわけではありません。」と言った。

龔という使者はしばらく考え込むと何のことか理解してメドハギを摘ませて卦を占った。卦占が終わると、彼は手を叩いて賞賛して、「よろしい、隗炤よ。あなたは自分の明智を顕にせず自分の形跡を隠していたので誰もあなたを知らなかったのだ。あなたが本当に困窮を明察して伝え、吉祥災禍を深く知る人物なのだ。」と言った。

そして彼は隗炤の妻に、「私はあなたの夫から黄金を借りていません。あなたの賢能の夫はもともと黄金を持っていたのです。彼は死んだ後にあなた方が短い間ですが困窮することを知っていたので彼は黄金を隠して太平の日が来た時に再度話そうとしていたのです。子供にも妻にも言わなかったのは、黄金を使用しても貧困が終わらないことを恐れたからです。彼は易経に通じているので、この板に彼の心意を書いたのです。五百斤の黄金ですが、彼は青色の瓶に入れて銅の円形の板で蓋をして堂屋の東の頭に埋蔵しています。壁から一丈で深さ九尺の所に埋まっています。」隗炤の妻が戻って掘ってみると、言われた通りに黄金が出てきたが、全ては卜占の時期と状況まで一致していた。

  • 韓友が魅を駆る

韓友は字を景先と言い、盧江郡舒県の人であった。占卜に長じており、前漢の京房の厭勝の術を行えた。劉世則の娘が鬼魅に病気にさせられて何年も治らずにいた。巫医は治療のために彼女に祈祷を行い、旧城の荒塚へと討伐に行き、狐狸、揚子江鰐を数十匹捕まえたが病気は良くならなかった。

韓友が占うと、一つの袋を作らせ、娘が発作を起こすのを待ち、壁の上に広げた。韓友は門を閉め気を発し、どんなものも追い立てている様子であった。暫くすると袋は非常に大きくなり、終いには破けてしまった。娘の病はまだ酷かった。韓友は今度は二つの袋を作り重ねて広げ、先ほど同じように追い立てると袋はまた膨張した。このため韓友は慌てて袋を縛ると、その袋を木の上に吊るしてしまった。二十日前後経つと、袋は段々消えていった。開けてみると中には二斤の狐狸の毛があった。そして娘の病気はよくなった。

  • 厳卿が災いの除去を祈願する

会稽郡の厳卿は卜占に長じていた。厳卿の同郷の魏序が東へ行きたいと思ったが強盗が多かったため厳卿に占ってもらった。厳卿は、「あなたはどのようにしても東へはいけません。もし行ったならあなたは金品を強奪されるのみではなく残酷な方法で殺されるでしょう。」と言った。魏序はこのことを信じなかったので、厳卿は、「あなたは行かなければならないかもしれませんが、この禍を取り除く方法を考えなければなりません。あなたは西門の外の独山の寡婦の家に行き、底の白い雄犬を船の前面に縛り付ける必要があります。」と言った。

魏序は言われた通りに一匹の犬を得たが、その犬は様々な色が混じっており、白犬ではなかった。厳卿は、「模様のある犬でもいいのですが、ただその犬の毛の色は純色ではないのでこの点が不安に思います。時期が来ても少しの毒汁が余っていても、それの危害は六畜の類に到って終わるに過ぎないでしょう。あなたは何も憂慮する必要はありません。」と言った。魏序が道半ばに来た時に忽然と犬が忽然と恐れ、まるで人が犬を打つようであった。暫くして魏序が確認すると犬はすでに死んでおり、黒い血を吐いていた。その晩に魏序の家の数羽の白鵝が理由もなく死んでしまい、魏序の家に人は以降に災禍に見舞われることはなかった。

  • 華佗が瘡を治す

沛国人の華佗は字を元化と言い、またの名を旉と言った。琅邪郡の人である劉勳は河内郡の太守に任ぜられた。劉勳にはニ十歳の娘がおり、左足の膝の関節に瘡があり苦しんでおり、瘡痒には痛みはなく、乾いても数十日で元に戻り、このような症状が七、八年続いていた。劉勳は診察してもらうために華佗の元へ行くと、華佗は、「この瘡は簡単に治ります。米糠の色をした黄色の毛の犬を一匹と馬を数頭準備してください。」と言った。劉勳は縄で犬の麦をくくり馬に引かせた。馬が疲れると別の馬に変え、馬が三十里以上走ると犬は動かなくなってしまい、人に犬を引かせて歩き、五十里ほど歩いた。そして薬水を取り出し劉勳の娘に与えて飲ませた。娘はやがて昏睡してしまった。華佗は大刀で犬の腹部を開き、斬った腹部を娘の瘡へ二、三寸の距離まで近づけて止めた。暫くすると、一条の蛇のようなものが瘡から出てきて、華佗は鉄椎針で蛇の頭を横から刺した。蛇は皮肉の中で長いこと揺れ動き、暫くすると動かなくなってしまったので取り出すことができた。三尺の長さがあり、まるで蛇であったが眼窩はあったが眼球はなく、鱗は逆に生えていた。その後、瘡に膏薬を塗ると七日でよくなった。

  • 華佗が喉病の診察をする

華佗は道中に喉に病気を起こした人を見た。食べ物を食べたがっていたが飲み込めなかった。その人物の下男は車に乗せて医者に見せようとしていた。華佗はその呻き声を聞いて車を止めてその人物に言った。「さっき通った道端で一家が大蒜をすりつぶした酢を売っていたでしょう、その酢を三升買って飲みなさい。そうすれば病気は治るでしょう。」それを聞いてその人物は華佗の言った通りにして酢を買って飲んだ。するとすぐさま一条の蛇を吐き出した。

出典:古詩文網

話の中に郭璞の名が出てきますが、郭璞は知る人ぞ知る晋時代の文化人です。と申しますのも郭璞は山海経の注釈を行った人で有名なのです。山海経は原本はすでに失われており、郭璞が注釈した書物が山海経に関する最古の書物であり、このため山海経を読むときにはよく郭璞の注釈が引用されています。

その他にも聞いたことがあるような話や名前も出てきます。例えば管輅の北斗と南斗の話は聞いたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。華佗や橋玄は三国志の登場人物で三国志好きなら知らない方はいないでしょう。どちらも少しだけの登場ですが物語にかなりのインパクトを残しています。

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