氷夷神(ひょういしん bing1yi2shen2 ビンイーシェン)
氷夷神は馮夷とも書きますが、古代中国伝説中の黄河の水神です。または河川の神の通称ともなっている場合もあります。
宋代の張守節が書いた《史記正義》では、”河伯は姓を馮、名を夷と言い、河で浴している際に溺死し、河伯となった。”と書かれています。
河伯に関しては様々な伝説が残っており、一般に認識されている河伯は黄河の中に住んでおり、白亀に乗り、五彩の条紋の魚に先導させて各地を巡視したり、上流へと遡上して崑崙山へと到り諸神と聚会したりします。過去には水害を免れるように河伯を祭る習慣もありました。
河伯に関しては以下をご覧ください!
河伯:黄河を統べ河伯娶婦と言う悪しき風習の元凶となってしまった水神
神話時代より黄河はたびたび氾濫を起こしていました。黄河程の大河が起こす水害は想像出来ません。このような背景もあってか河伯を祀る習慣は悪習となり、河伯娶婦と言い河伯に嫁がせるという名目で若い女性を生贄に捧げていました。この風習は后魏国の西門豹により収束したと言います。
以外にも河伯の話には孔子と言う名が出てきます。孔子は春秋戦国時代に生きた儒教の祖です。春秋戦国時代は紀元前であり、まだまだ神話が実際の生活と密接に結びついていました。孔子は麒麟と関係が深く、孔子の生まれる時に孔子の家に麒麟がやってきて玉書を吐き出したと言います。さらに孔子の晩年にはやはり麒麟が出現し、魯の重臣たちにより捕獲されたと言います。孔子が魯の歴史書である春秋はこの麒麟を捕まえた獲麟の話で締めくくられています。
河伯は直接孔子と関係があったわけではなく、孔子の弟子である子羽に襲い掛かったことがあるという話が残っています。子羽が白璧を身に着け黄河を渡った時に河伯はその璧を奪い取ろうとしまし、陽侯や蛟龍などをけしかけますが子羽はこれを見事に撃退して黄河を渡り切ります。渡り切った後に子羽は璧を石にたたきつけて割ってしまったと言います。
河伯の故事は《庄子・秋水》にも記載されており、余りの力量の違いに呆然としてしまう様を表す”望洋興嘆”と言う言葉を生み出しています。
望洋興嘆に関しては以下をご覧ください!
河伯:黄河を統べ河伯娶婦と言う悪しき風習の元凶となってしまった水神
出典:baidu
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