盤古:天地開闢をした創造神。全てはここから始まった。

盘古(ばんこ pan2gu3 パングゥ)

盤古は中国神話中でひと際重要な地位を占めている天地創造の神です。天地創造と言えば女娲もいますが盤古は女媧とは別系統の神話であると考えられています。この盤古が道教に組み込まれて最高神の元始天尊となったため、もともと非常に重要な地位を占めていた神であったと推測されます。

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女媧:中国神話における創造神で人を始めとして様々な動物を作り出した女神

因みに大昔に存在したとされる超大陸であるパンゲアは中国では盤古大陸と呼ばれています。




周の軍師、太公望の《六韜・大明》には、”盤古の宗は動かすことはできず、動くものは必ず凶となる。”とあり盤古の名が見られます。崑崙山で開天辟地が行われた盤古の神話は《三五歴紀》、《五運歴年記》、《述異記》などにも見られます。特に盤古が万物に変化したと言う話は南朝の梁人の任昉が書いた《述異記》に最も早く書かれており、最も早い盤古の形状は《広博物志》と《乩仙天地判説》にあり、龍首蛇身、人面蛇身と書かれています。

  • 天と地について

中国古代の先秦時代、秦以前の春秋戦国時代の史料には老子の哲学以前に信仰における最高神は”天”或いは”帝”でした。これは甲骨文字や金文及び各史料から伺い知ることができます。孔子は、”ただ天が大を為し、ただ堯が則ちこれである。”と《論語・泰伯》中で堯の偉大さについて触れています。つまり天が最高でありその天とは堯や舜などの古代の帝王であると言っているわけです。この時代は天の事を蒼天(そうてん)とも呼んでいました。

老子は、”物質が混ざり、先に天地が生まれた。”と老子の二十五章で書いています。つまり天地とは最も古くから存在していたとし、この考えが中国諸子百家の哲学の根底を為しました。これは陰陽説では易には太極があり両儀を生んだ、としています。これはどういうことかと言うと、太極が分かれて陰と陽の両儀を為したと物事の始まりについて書いています。物事は全て陰と陽に分けられ同様に天と地が分かれたことを示唆しています。

  • 先秦時代の盤古

盤古に関しては学会でも様々な説があり議論が行われる対象となっています。これは創造神と言う最高神であるにも拘わらず現存する資料が少ないためです。




文献中で見られる最古の盤古の名は三国時代の呉の《三五歴紀》、《五運歴年紀》中に見られます。三国時代以前にお盤古の神話は存在しており、民間で広く語られる存在でした。また、最初期の盤古は伝説中の盤古開天が行われた場所、則ち盤古山に由来すると考えられます。この山は秦漢時代の言い伝えによると、呉と楚の間にあったと言われています。

  • 史書に記載される盤古

《三五暦記》には、”天地の混沌は鶏のようで、盤古はその中で生まれた。一万八千歳、天地が開け陽清は天になり、陰濁は地となった。盤古はその中にあり、一日に九回変わり、神は天に聖は地に行った。天は一日に一丈高く、地は一日に一丈厚くなり、盤古は一日に一丈成長した。一万八千年後には天は極めて高く、地は極めて深く、盤古は極めて大きくなった、”とあり、天地開闢の様子が描かれています。

《述異記》には、”盤古氏は天地万物の祖である。則ち、生き物は全て盤古から始まった。昔盤古氏が死ぬと頭は四岳に、目は日月に、脂は江海に、毛髪は草木になった。秦漢時代の俗説では、盤古の頭部は東岳、腹は中岳、左腕は南岳、右腕は北岳、足は西岳になった。”とあります。

  • 盤古神話:盤古開天

一般的に伝わっている盤古内点の内容は以下の通りです。

大昔に天と地は分かれて居らず宇宙にはただ渾沌がありました。開天大神である盤古は並ぶもの無き巨人であり混沌の中で生まれ育った。盤古は混沌の中で眠っている間に成長し、一万八千年が経過した。ある日突然目が覚めましたが目の前には混沌があり何も見えずに非常に慌てました。

しかし、やがて心中に怒りがこみあげてどこから持ち出したのか大きな斧で眼前の混沌を斬りつけました。大きな声が聞こえた後に混沌は破裂してしまいました。その中にあった軽くて清いものは上に上がり天となり、重くて濁っているものは下に落ち地になりました。

天地が分かれて以降、盤古はそれらが再び合わさることを恐れたため頭で天を支え、脚で地を踏みつけて天地の間に立ち天地の変化に合わせ盤古も変化しました。

天は毎日一丈高く、地は毎日一丈厚くなり、盤古の体も毎日一丈成長しました。一万八千年後には天は極めて高く、地は極めて厚く、盤古の体も極めて大きくなりました。この時の盤古の身長は九万里に達したと言う人もいます。このように巨大になってまでも盤古は天地の間に立ち、それらが再び混ざり合わないようにしていました。

その後、天地は徐々に現在の形になっていき、支える必要が無くなると休息のために遂には倒れ込んでしまいました。その時、突然盤古の体に変化が見られました。口から吐き出した気は風と雲に変わり、左目は太陽に、右目は月に、手足と胴体は大地の四極と五方の名山になり、血液は江河に、筋は道路に、筋肉は土に、頭髪は天上の星々に、全身の毛は草木に、歯や骨、骨髄などは金属や石、宝玉に、汗は清露と甘露になりました。




一方でこの伝説には別の説もあり、盤古が天地を開いた後に混沌が陰陽の両儀を成し、この内の陽と盤古の左目が結びついて太陽燭照(たいようしょくしょう)が生まれ、陰と右目が結びついて太陰幽熒(たいいんゆうけい)が生まれたとされています。

太陽燭照と太陰幽熒に関しては以下をご覧ください!

太陽燭照と太陰幽熒:中国神話で最も早く生まれて最も尊い聖獣たち

  • 盤古の家族

盤古には妹がおり、兄妹一対であったと言う言い伝えもあります。盤古は妹の斧で天地を開いたと言い、兄妹あわせて陰陽の始まりであり万物の祖とされています。これは同じ創造神である伏羲と女娲の兄妹の関係にも見られます。

  • 珍しい複姓

中国では基本的に姓は漢字一文字です。現在では二文字の姓もあり非常に稀ですが、何と盤古と言う姓がかつて存在しました。《述異記》には、”盤古氏夫婦、陰陽の始まりであり、天地万物の祖である。南海中にある盤古国人は皆盤古を姓としている。”とあり、かつて盤古国と言う国が存在し、その人々の姓は盤古であったと言うことです。

盤古と言う名字がかつて存在しましたが、何と女媧と言う姓は僅かながら現存しています。複姓は三国志では公孫とか諸葛とか司馬とか夏候とか結構沢山見られますが徐々に数を減らし、現在あまり残っていません。諸葛亮の血縁の子孫が暮らす村が現存していることはよく知られています。

姓は先祖を表し、中国では姓を元に先祖をたどっていくと神話時代の帝たちにたどり着きます。かつては姓が同じであれば同族であり同姓同士は結婚できないと言う時代もありましたが、現在はそのような習慣は残っていません。

因みに姓の祖となった帝では帝嚳とその一族が有名です。帝嚳とその子孫に由来する姓は王、劉、周、呉などがあり中国の全人口の43%を占めています。

出典:baidu

今回は盤古のお話でした。

天地開闢の神話は中国には二系統存在しており、その一つがこの盤古です。そしてもう一つが主流となっている女媧による天地創造です。なぜ二つの天地開闢の神話が並列して存在しているかについては詳しいことはよくわかっていません。

女娲に関しては以下をご覧ください!

女媧:中国神話における創造神で人を始めとして様々な動物を作り出した女神

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