太歳星君:木星と対を為し災いをもたらす伝説の天体

太歳星君(たいさいせいくん taisuixinqun タイスイシンチュン)

太歳星君は単に太歳とも呼ばれ、木星と鏡像関係にある仮想の惑星を指しています。また、太歳は木星のこと以外にも視肉(粘菌の一種)の大きなものの呼称にも使用されています。

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太歳は太歳神の略称であり、最も影響力のある年神でもありました。太歳は人々の一年の禍福を掌握していたと言います。

木星の公転周期は約11.9年であり、大体12年ごとに元の位置に戻ってきました。また、十二年周期と言えば十二支があります。十二支には方角がついていますがその方角は北→東→南→西と言う右回りです。一方の木星の出現は北→西→南→東であり、ちょうど十二支と鏡像の関係にすることが出来たのです。そうして作られたのが太歳という仮想的な惑星であり毎年十二支と歩調を合わせて動いていきます。この時木星は鏡に映ったように逆回りの動きをしています。




これが秦から漢にかけて人々は太歳の方角を凶であるとして避けるようになりました。さらに時代が経過し元や明以降には国家の祀典などの際に太歳星君として国民の平安を祈願するようになりました。

因みによく干支と言う言葉を十二年周期で用いていることを耳にしますが、干支は十二支と十干を組み合わせて作られたもので、六十年周期です。六十歳を還暦と言うのは干支が一回りするためです。ですので、普段申年や戌年などと言うのは十二支が正しいです。

中国で中華民国が成立した孫文の辛亥革命がありますが、この革命の起こった年が干支で言うと辛亥にあたるため辛亥革命と呼ばれます。

  • 太歳の発展

太歳はもともとは陰陽説に由来します。陰陽説は三皇の一柱の伏羲により作られたと言われており、古くから中国で信じられていた万物の理です。この世は陰と陽に分かれ太極を為し、この陰と陽はさらに陰と陽に分かれ四象を為し、四象がさらに陰と陽に別れて八卦を為します。




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陰陽説とは何かといいますと、則ち物事を説明する際の根拠であるのです。古くから中国ではこの陰と陽の組み合わせで森羅万象を説明しようとしました。この陰陽説に五行説が結びつき、物事を説明する根拠がさらに盤石になり様々な説明が陰陽五行説を用いて行われました。代表的なのが医学で、中医学と呼ばれて日本でもおなじみです。中医学が科学的でなく感じられるのはそもそも科学ではなく陰陽五行説に基づき発展したからなのです。

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この陰陽五行説は道教中で発展しました。太歳はこの道教中に取り入れら、風水中で発展を遂げて太歳星君となり凶神とされるようになりました。風水では太歳はその年の十二支と関係があり、太歳が現れる方角、則ち木星と鏡像の関係にある方角が災いをもたらすとされています。

出典:baidu

今回は太歳のお話しでした。太歳は風水中では縁起の悪い方角とされていますが、もう一つに粘菌を指す言葉でもあります。

中国の漢代に書かれた山海経を読んでいると、多くの山々で視肉と言う化け物が出て来ます。これは肉の塊で際限なく増殖し、切っても切っても死ぬことがありません。さらに切った破片が増殖してしまうと言う有様です。不思議で恐ろしい怪物に聞こえますが、この生き物は実在し、粘菌を指しています。粘菌はかの有名な南方熊楠も研究に没頭していたと言い、見た目は茶色っぽい肉の塊に見えますが独立した菌が集まって出来ています。菌は細胞分裂を行い増えるため切ってもその破片から増えていきます。

粘菌は栄養価も高く、古くは不死の妙薬として食べられていました。現在でも食べられることがありますが、なかなか見つからないのが現状のようです。

視肉の大きなものは太歳と呼ばれ、珍重されます。食べたことはありませんが、肉のような味がするようで山海経の記述は大方正しいのです。

太歳は貴重品であるため、市場には偽太歳なるものも出回っていますので購入の際には注意が必要です。




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